名前の無い旅人

列車に乗った私はまた椅子に丸まる猫に駆け寄り、話しかけた。


出発時刻までの数時間。

春海駅の景色について語っていたら、

ほんの数分にしか感じなかった。


「ふうん…そんなに良いものなら見てみたかった…」


彼女は寂しそうに呟く。


「大丈夫、あなたにとっておきのお土産を持ってきたよ」


私は笑って言い放った。

彼女は目を見開いてからまたゆっくり閉じ、「どうせ下らないものだろう」と吐いた。


「ナギ」


「何て?」


「あなたにぴったりの名前」


そう言うとナギはくすぐったそうな顔をして顔を体に埋めた。


丁度、出発の汽笛が鳴る。

そしてまた戻った静寂の中、小さな声が聞こえた。


「ありがとう、タビ」


あんなに愛想の無かったナギから名前を呼んでもらえて、私は思わずにやけてしまうが、まだ私の旅は始まったばかりだ。


地に足のつかない気分のまま、

私は窓の外を眺めた。


今思えばやっぱり不思議。

外の景色はみるみる変わり、

あっという間に季節が違う地に着く。


世界は私が思うよりずっと広くて、

私は世界が思うよりずっと小さい。


しばらくして。

ナギと話していたのを見てか、

1羽の鳥が飛んできた。


「あなたタビって言うのね!」


どこかで聞き覚えのありそうな言葉と同時に「あ、あなたの肩借りていい?」としっかり許可を得て私の肩に乗った。


「アタシね、春海駅の話を聞きたいの」


「いいけど、なんで降りなかったの?」


聞き返されて鳥は恥ずかしそうにキョロキョロすると言った。


「アタシ、方向音痴なのよ!」


それは気まずいことを聞いたと反省しつつ、楽しい話を聞かせた。


「そうなのね!アタシも水浴びが好きだから羨ましいわぁ〜」


「ところで、あなたの名前は?」


「アタシ?アタシの名前は3つあるのよ!

 ピー、モモ、ピヨ子ってね!

 好きに呼んでちょーだい」


ありふれた名前の付け方すぎてびっくりしたのは黙っておこう。


「じゃあモモって呼んでもいい?」


「もちろんよ!」


丁度車内アナウンスがかかった。


「まもなく〜露駅〜露駅〜

 お降りのお客様は湿気にご注意ください」


窓の外はすっかり雨模様になっていた。


「モモ、次の駅一緒に行かない?」


「え…でも、アタシ…」


「方向音痴でも私がついていれば

 大丈夫だよ」


私の言葉にモモは目を輝かせ、賛同した。


汽笛が鳴り、ドアが開く。

もう慣れた、もう慣れたのに

収まらない高揚感。


肩に乗るモモは雨だと言うのに

美しい歌を歌っている。


ここは露駅。


また超えた境界。

その瞬間、空が晴れた。

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廻季列車 雨音シグレ @Amaoto_1997185

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