転んで机に脚を取られる「男」の話

醍醐兎乙

転んで机に脚を取られる「男」の話

 男は目を覚ました。

 空気が重く、どこからか流れてくる異様な冷気が、男の体を刺すように締め付けてくる。

 薄暗い場所で、赤黒いシミの付いた、見覚えのない天井を見て、男は思った。

「ここはどこだ?」


 最近二十歳を迎えて飲酒を覚えた男は、アルコールによる高揚感にすっかり魅了され、夜な夜な友人たちと飲み歩いていた。

 泥酔して見知らぬ場所で目を覚ますことも多く、男は申し訳なく思いながらも、いつも友人たちに迷惑をかけている。


「昨日は確かに自分の部屋で寝たはずなんだが」

 男は翌日、早番でコンビニのシフトに入っていた。

 最近二日酔いによる遅刻が多く、アルバイト先に迷惑をかけてしまっている。

 遅刻のフォローをしてくれている先輩や店長から、何度も厳しく注意を受けており、罪悪感から早番シフトの前日は飲酒を控えていた。


「今何時だ?」

 携帯電話を探すため、男はズボンのポケットに手を触れた。

 手から伝わる感覚に、違和感を覚え、男は自分の服装を見た。


 男が着ていたのは、普段から寝巻き代わりに愛用していている、高校時代の体操服。

 一人暮らしを始めて、ズボラな生活を満喫している男だったが、こんな格好で外出したことは、これまで一度もなかった。


 あきらかな異常事態に動揺し、男はすぐさま体を起こして、周囲を見渡す。

 部屋の広さは学校の教室ほどで、窓や扉はなく、壁や天井には赤黒いシミがこびり付いていた。

 天井からぶら下がっている蛍光灯だけが、部屋を薄暗く照らしている。

 

 部屋の薄暗さに目が慣れてきた男は視線を下げた。

 自分が座っているのが、部屋の中心に立っている長机の上だとわかる。

 長机の上には男だけが乗っており、他にはなにも乗っていなかった。


「なんだこれ……!!」

 視線の先には、足場の踏み場がないほど、床一面に、壊れた机や椅子が広がっていた。

 無事に立っているのは、男が座っている長机だけ。

 他の机や椅子は、脚が取れそうなほど折れ曲がっていたり、脚を無理やり引き千切られた跡があり、人間の力では再現できない、破壊的な有り様に見える。

 その光景はまるで、勝者と敗者を現しているようで、男は言葉にできない恐怖に襲われた。

 

「なんで俺はこんな場所にいるんだ」

 意味がないと自覚しながら、男は自問の言葉を口にする。

 声は震え、呼吸は浅く、手足が冷え、感覚が鈍くなっていく。


 男は恐怖に震える手を、なんとか動かし、携帯電話を探すため、ポケットの中に手を入れた。

 ポケットの中で指に触れるのは、柔らかな布地の感触のみ。

 

 男はポケットに手を入れたまま動けず、心臓の鼓動がひどく耳に響いて、視界が狭くなるのがわかった。


「……そうだ、寝てる間に携帯が机から落ちたのかもしれない」

 男は震える声で、現実逃避をしたくなる自分の心に少しの希望を与えた。


「それにこの部屋を調べれば、出口が見つかるかもしれない」

 男は自身の心に生まれた小さな希望を積み重ねることで、恐怖に支配されている体を、なんとか動かせるようになった。


 唯一壊れていない長机を離れるのは、安全な場所から離れるような心細さを、男に感じさせた。

 しかし僅かな希望を心に宿した男は、その心細さを押し殺して動く。

 床を埋め尽くしている、壊れた机や椅子に、男はゆっくりと脚を降ろした。

 不安定な足場で転ばないように、身をかがめ、携帯電話が落ちていないか、男は調べ始める。


「……ないか」

 何度も何度も、見返し、手を伸ばし、携帯電話を探したが、見つけることができなかった。

 男の心にある、僅かな希望が一つ砕ける。

 挫けそうになる心を必死に抑え、男は出口を探すため、立ち上がり部屋の中を見渡した。


「おわっ‼」

 男は部屋を見渡した際、不安定な足場の上でバランスを崩し、脚を取らた。

 壊れた机や椅子の隙間に脚が埋まってしまう。

(このままだと転ぶ⁉) 

 男はこの部屋で唯一自立している、長机の脚へ咄嗟に手を伸ばした。

(こんな場所で怪我をしたり、捻挫でもしたら絶対助からない‼)


 男が必死に伸ばした手は、長机の脚をしっかりと掴み、男の体を支えた。

 掴んだ長机の脚は、まるで根が深く張っているかのごとく動かず、脈動を感じさせるような不気味な感覚が、掴んだ手から男に伝わる。

 

 男が戸惑っていると、壊れた机や椅子の隙間に埋まった脚が、なにかに掴まれる。


 限界を迎えている心の、僅かな希望に、致命的なヒビが入った。

 しかし、男は力を振り絞り、掴まれた脚を引き抜こうとする。

(脚が引き抜けない⁉)

 心臓が凍るような恐怖が、男の全身を駆け巡る。

 男の心に残っていた、最後の僅かな希望が、完全に砕け散った。


 掴まれている脚を見る。

 薄暗くなにも見えない。

 見えないが、なにかが、そこにいる。

 長机の脚を強く掴む。

 引っ張るように、しがみつくように掴む。


 パニックに陥っている男の頭に、不気味な、人とは思えない声が響く。


『これより脚の引っ張り合いを開始する』 

 

 声の残響が消える間もなく、男の脚は人知を超えた力で引き抜かれる。

 男はなに一つ抵抗することができないまま、自分の脚が千切れる音を聞いた。

 

 激痛に襲われる男が、最後に見たのは、部屋の中心で、唯一、己の脚で立ち、引き抜いた男の脚を天板に乗せた、長机の姿だった。

 


 他人の脚を引っ張る、そんなものを招く部屋の中心で、この部屋の主であり、唯一の勝者である長机は、新たな挑戦者が、己の脚を掴むのを待ち続ける。 


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