第5話
郊外を貫通する産業道路。
その両側にならぶコンビニやパチンコ屋、カラオケや深夜営業の量販店の前には、夜中になると、今ぼくの目のまえに突っ立ってるような女たちが山ほどたむろしている。
安い発泡酒やドリンク片手に地べたにじかに座りこみ、馬鹿笑いしているかと思えば突然血相をかえ、隣にすわった表情のとぼしい子どもに狂ったような罵言を浴びせかける女たち。
何の根拠もなく薔薇色の明日を保証する爆音のジェイポップと、ぎとぎとする現実離れした照明のなかで、彼女たちは不安感を麻痺させながらゆっくりと退行してゆく。その子供たちを道連れにして。
もうずいぶん前からこの寂れきった河口の町ではあるうわさが語りつがれている。
さびれた小さな港へ続く産業道路西側の、枯死しかけた藪や雑木林には、捨てられた赤ん坊――もちろん人間のだ――が、生き延びて野生化しているというのだ。夜ふけの藪の奧から泣くような、歌うような声が聞こえたり、生ゴミが食い散らされていたり、雨上がりの夜明けには川沿いの砂の上に足跡が残されていることもあるらしい。
しかし、うわさと言うのは事実だけが生み出すものではない。
それが、ここ――鳥沢と言う海辺の町にやって来て、僕にはつくづくよく分かった。
★
――先ほどからずっと、どこかでかたかたと小さな音がしていた。
「奥さん、なんなら警察よびましょうか?」
まだわけの分からぬことを呟いている女に、ぼくは極力なにげない風をよそおって話しかけた。子供よりもこの女のほうを、ぼくは一刻もはやく警察にひき渡したかった。
「このへんは人通り少ないですからおうちにお戻りになるか、警察に連絡するかなさった方がいいですよ」
ぼくは心底そう思っていた。
道のそばの森の中に、本当に何かがいる。
それも、茂みの向こう側ではなくその真ん中に。
確かに大きさは人間の子供ほどだ。
だが。
足音から察するかぎりそれは、どう考えてもよつんばいで這いまわっていた――。
ぼくは女にこれ以上話しかけるのをやめた。
ときには物事をあいまいにするのも警備員の才覚だが、よい警備員はいざとなったら余計なこととは一切かかわらない。
そのとき河の対岸で、石油タンクを横から照らしていたライトが消えた。
川ぞいに、巨大な影が落ちて来た。
排水路の水音みたいな女のつぶやきが断ち切られた。
不意に言葉をうしなった女は、ぎょっとした顔でぼくに振り向いた。
「ね、今さ、そこの藪の中で何か動かなった?」
「いいえ」
「そう? 気のせい?――気のせいだよね!」
インチキな芸能プロにデビューさせられた幼い演歌歌手みたいな作り笑いを浮かべ、女は上目づかいにぼくを見た。
「なんならお子さん見かけたら、電話さし上げましょうか?」
無論そう言ってみただけで、電話番号のやりとりをするつもりなどはない。ともかくこの女にはさっさと消えてもらいたかった。
しかしキャリーバッグの取っ手を握ったまま、女はあい変わらず坂のすぐうえで突っ立っていた。茂みの中では、なおも何かが動いている。
なのでぼくはなお、女と藪の暗がりから目をはなさせずにいた。
いっぽうで、かたかたいう虫の音のような音もまだ続いていた。
「ねえ、あんたさあ」
女の声色が、急になまあたたかい響きを帯びた。
なにか軽いけれど決して治らぬ病気のようなものが肩に舞いおりて来たような気がして、ぼくははげしい悪寒をおぼえた。
「なんで聞こえないふりするわけ?」
「聞こえないって、なにを?」
水槽に入れられた大きすぎる魚みたいに女は口を何度かぱくぱくさせたが、結局それ以上何も言わなかった。
戻って来た沈黙の中で、ぼくそのときようやく気づいた。
かたかた鳴っていたのはキャリーバッグのコロだった。
バーをにぎった女のこぶしは力が入りすぎ血の気がなくなっている。
LEDの点滅を頬にあび女の横顔は、怯えた笑顔と全くの無表情がめまぐるしく交錯していた。
三猿 - さんざる - 深 夜 @dawachan09
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。三猿 - さんざる -の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます