【一話完結】隣の席の聖女様が、毎日俺を堕落させてくる

ふじな

隣の席の聖女様が、毎日俺を堕落させてくる

 突然だが、最近二年生へと進級した俺には、一つの悩みがある。


「おはよう、伊織くん」


 教室の扉を開けて一番に飛び込んできたのは、学園の「聖女様」と呼ばれているくらいには美しく可憐な微笑みは、俺の悩みの元凶でもあった。

 その微笑みに釣られるように、クラス中の視線が彼女に向けられる。クラスの奴らの多くに目にハートが浮かぶのが分かった。


 そんな聖女様の名前は、朝丘聖あさおかひじり。「聖」と書いて「ひじり」と読むという、名前まで神聖な女の子だ。


 最近の悩み。

 それはこの朝丘聖という女子生徒が、俺をだんだんと堕落させようとしてくること。


□ 


「ねえねえ、伊織くん」


 二時間目の現代文の時間。

 隣からちょんちょんと人差し指でつつかれるような感覚がする。横を見れば困った顔のような聖女様──朝丘さんが俺を見ていた。

 俺が声に気がつくと、すぐに朝丘さんは普段離れている机をこちらに寄せてくる。


「な、なんだよ」

「教科書忘れちゃったんだ。見せてほしいな」


 こてん、と首を傾げながらそう微笑む朝丘さんはなんともあざとい。だが、ここで断ったら教科書を持っていない朝丘さんは、授業についていけなくなってしまうだろう。

 仕方なしに教科書を机と机の間に置くと、彼女は嬉しそうに笑った。


「じゃあ、五十五ページ。朝丘、二行目から読んでくれ」


 先生がそう言うと、朝丘さんは先ほどよりもぐっとこちらに顔を近づけてきた。その近さに思わず心臓の鼓動が高鳴る。


「はい。私が彼女に恋をしたのは──」


 彼女の透き通るような優しい声が、教室中に響く。ある者は目を閉じながら、またある者は朝丘さんに視線を向けながら彼女の声を享受していた。

 そうして彼女はクラスのほとんどに見守られながら音読を終えると、ふうっと息を吐いて席に座る。


「いつもより伊織くんとの距離が近いから、どきどきしちゃって読むペース、早くなっちゃったかな」


 そんな心配事を彼女は一つ零す。

 そう言う彼女はいつも通りというか、むしろ俺の心臓の方が早くなっている気がする。鼓動が彼女に聞こえていないか、気になって仕方がない。


「それはこっちの台詞だ」



「伊織くん、手、繋ごっか」

「何でいきなりそうなるんだ」


 朝丘さんがいきなりそう言いだしたのは、放課後、下校途中での出来事だった。本当は朝丘さんと一緒に帰る予定ではなかったのだけど、気がついたら朝丘さんは俺についてきたのだ。


「だって伊織くん、いつも帰るときは一人でしょ? たまには誰かの温もりがあってもいいんじゃないかなって」

「別に必要ない」


 そう言っているというのに、朝丘さんは俺の手を掴むとぎゅっと手を握ってくる。驚いて思わず手を放そうとしけど、朝丘さんの手は俺の手を追いかけてきて、それを許してはくれなかった。


「……伊織くんの手、あったかいね」

「……夕方であったかいからだろ」


 まあ、たまになら誰かとこうして帰ることも悪くない。そんなふうに思った放課後だった。



「伊織くん。はい、あーん」


 昼休み。朝丘さんはいつも学食だというのに、今日は席に座ったまま可愛らしいピンクの小包を取り出した。

 どうやら今日はお弁当らしい。……そこまでは良かったのだが。


「……いや、なんで当たり前のようにあーんしてくるんだよ」

「伊織くんもあーんって言うんだ。可愛いね」

「話聞いてるか?」


 前触れもなく朝丘さんは俺の方に卵焼きを差し出して、言外に「食べてくれ」と主張してきたのだ。


「甘めにしてみたんだ。自分じゃこの味に慣れきっているから、他の誰かに食べてもらって美味しいか聞いてみたかったの」


 俺が食べる言い訳までを用意して、彼女はさらに卵焼きを近づけてきた。


「……」

「……どう、かな」

「甘すぎるけど……食べられないこともない」


 それが俺の照れ隠しだと分かっている朝丘さんは、嬉しそうに微笑んだ。


「……よし」


 よほど嬉しかったのか、そんな独り言も丸聞こえだ。

 卵焼きは自分で作るものよりも甘くて美味しかったような気がする、なんて恥ずかしいから絶対に言ってやらない。



 みーん、みーんと夏を知らせる蝉の声がうるさいくらいに響く。

 新しい学年になって三カ月。今日も今日とて朝丘さんからの誘惑に耐えている俺の耳に飛び込んできたのは、朝丘さんからの突拍子もない一言だった。


「伊織くん。今度の土曜、一緒に海に行こうよ」

「行かない。土曜は家でだらだらするって決めてるんだ」

「そんな堕落した生活しちゃだめ。……海って楽しくないかな? プールでも良いんだけどさ。泳ぐと気持ちいいよ?」


 俺を堕落させようとしてくるのは朝丘さんの方じゃないか。でもそんなことを言ってしまえば、「伊織くんは私に誘惑されて揺らいじゃうんだね」とからかわれることは分かっているので、口をつぐむしかない。


「それに、一緒に行けば私の可愛い水着姿が見れちゃうわけだよ? 伊織くんにしか見せないとっておきの姿だよ?」


 聖女様にそう言われて、海に行かない人間はいないのではないか。その一言に俺は「ずるいぞ」とだけ言うと、スケジュールを確認するためにスマホを開いた。

 朝丘さんが隣で笑っていたけど、そんなことには気がつかないふりをするのだった。



「伊織くん、どう、かな」


 土曜日。俺は彼女と近くの海まで来て、海水浴を楽しんでいた。


 彼女のピンク色の可愛らしい水着は、彼女の柔らかそうな体をぎゅっと締め付けるように包んでいる。


 なんだかんだ日頃から彼女を拒否している俺だが、それは朝丘さんが魅力的ではないこととはイコールにならない。彼女の可愛らしい、けれども艶やかな色気のある姿にごくりと唾を飲み込む。


「可愛いと……思うけど」

「けど?」

「……可愛いと思う!」


 諦めて大きな声でそう言った俺を見て、朝丘さんは「具体的にどこが可愛いのか入って欲しいな」と、さらに身を寄せてきたのだった。



 海から帰ってきた日の翌日から、俺は風邪を引いて学校を休んでいた。


 だが風邪は軽めのもので、医者に行って処方された薬を飲んだらだんだんと調子が戻り、明日にはもう学校に行けそうだ。


 出されてた課題、やらなきゃな。そう考えていた時、家のチャイムが一回、軽く鳴る。

 インターホンを確認すると、そこにいたのは朝丘さんだった。


「伊織くん、体調はどうかな。先生に伊織くんの家はご両親が共働きだって聞いたから、看病に来ちゃった」

「プライバシーを守ってくれ、先生」


「というか、なんで来たんだよ。まあ、何も考えずに家に上げる俺も俺だけどさ」


 ため息をつくと、朝丘さんは悲しそうな顔で口を開いた。


「勿論看病のつもりだよ? といっても伊織くん、元気そうだから遊びに来たという方が正しいのかもしれないけど。……というか」


 こほん、と一つ咳をして、朝丘さんは真剣な顔で俺を見つめる。


「伊織くんは、なんとも思わないで女の子を家にあげちゃうの?」

「……思わないわけじゃ、ないけど。いやでもこれは成り行きっていうか」

「私は伊織くんにとって特別だって期待したら、だめ、なのかな……」

「そ、そういうわけじゃない。俺だって朝丘さんのこと、気になってるし……」


 俺が一つそう呟くと、朝丘さんはぱっと顔を上げる。


「何て言ったか、聞こえなかったな」

「……お、俺は朝丘さんのこと、気になってるから!」


 思わず俺は、そう叫んでいた。それが朝丘さんの作戦だとも気づかずに。



 翌日の朝。風邪がすっかり治った俺は、今日も今日とて朝丘さんのいる教室の扉を開ける。


「おはよう、伊織くん」


 そこには彼女になった「聖女様」が俺に微笑んでいた。

 あれからというもの。「気になってるってことは、私と付き合ってみるのもいいってことだよね?」と迫られ、俺は頷くしかなかった。


 「聖女様」こと朝丘さんとは、恋人関係になったのだ。

 

「と、いうか朝丘さんが俺のどこに惹かれたのか分からないんだけど……」

「私にそれを聞いちゃう? そうだな、いっぱいあるけど一番好きなところは──」

「いや、やっぱり恥ずかしいからいい! ほら、早く授業の準備するから!」


 自分で言うのもなんだが、朝丘さんに俺の話題を振ったら止まらなくなりそうなので、恥ずかしくなって切り上げてしまった。


「────、そんなところかな」


 朝丘さんが後ろで何かを呟いた気がする。でも、俺の耳には届かなかった。


「何か言った?」

「ううん、何でもないよ」


 朝丘さんがにっこりと微笑むと、ちょうど授業のチャイムが鳴った。

 こうして今日も、朝丘さんに朝丘さんに堕落させられる俺の一日が始まるのだった。


────


『雨の中公園で美少女を拾ったら、六畳一間で天使を飼うことになった件。』というラブコメを書いています!

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