翡翠と玉 下
例えば、画家が抽象的な事象を真っ白なキャンバスの上に表現するように。建築家が鉛筆からから生じる線の一本一本によって新しい建造物を設計するように。ものを制作するということは、多くの苦労や困難を有する。たとえそれが、先述したような一からものを生み出す作業ではなく、将棋というゲームを踏襲したゲームの制作であってもだ。
しかし、そうした苦労があったとしても、僕はいま、野鳥将棋の制作に挑戦してみたいと感じている。それは、本来交わることのなかった野鳥と将棋の二つが図らずも交わったという「偶然」を尊重する姿勢でもあったし、あるいはまた別の意味合いもあったかもしれない。
さて、僕らは野鳥将棋を作成するにあたって、いくつかの基準を設定した。一つは、まったく新しいゲームを作ることを諦めるというものであり、もう一つは、全く新鮮味に欠ける作品は作らないというものであった。
つまり、将棋という元のゲームをあまりに逸脱してしまうと、ゲーム設計の経験がない僕らにはとうてい収集がつかなくなってしまうし、一方で将棋と同じ魅力しか持たないゲームもまた、誰の興味も惹かない陳腐なものになってしまうということだ。
「禽将棋のルールや形はそのままに、禽将棋に出てくる鳥の名前を身近な野鳥のものに変更するというのはどうでしょうか。例えば、タカを先ほどの写真にもあったモズに、キジをメジロにするといったかたちで」
そうした僕の提案に、先輩は正直に首を傾げた。
「ううん、どうだろう。禽将棋の駒というのは、今ある将棋みたいに五角形の駒に文字が書かれているタイプのものなのかな」
僕は頷く。禽将棋では、「鷹」や「鶴」といった漢字が駒に書かれることで、それぞれの鳥を表現するというかたちが取られている。
「なんといったら良いんだろう──。それだと、どうも野鳥の魅力が十分に伝えられない気がする。勿論、将棋というゲームを否定する意図があるわけではないのだけれど。でも、もう少しだけ、野鳥を生かした設計にできないかな」
言いづらそうに述べられた言葉は、確かに慎重に選ばれていたが、まっすぐな意見だった。
僕は思わず頭を抱えた。こういった何か新しいものを創り出すという行為は、どうやらあまり得意ではないらしかった。
「意見を出してもらってばかりでは失礼だよね」
一方の先輩はそう言うと、スクールバッグからノートとボールペンを取り出し、紙面にインクを走らせた。書いては止まって。再び書いては止まって。書き連ねられていく文字と、ペン先が紙の上を滑る掠れた音。ごくありふれた極めてリアリスティックな知覚が、人けのない教室ではより鋭敏になり、かえって非現実的な体験のように感じられる。
少しというにはいくらか長い時間が経過し、先輩はボールペンを机に伏せた。そのコツンという音で、いささか大げさな表現かもしれないが、僕は我に返った。おかしな表現かもしれないが、陶酔状態から覚めたような感覚がした。
「これでどうかな」
そういって先輩はノートの上下を反転させ、書かれた文章をこちらへ見せた。そこにあったのは、数々の野鳥の魅力の記述と、それをいかにして将棋に落とし込むかといういくつかの考察。そして、ノートの下の方には、デフォルメされた野鳥のイラストが複数並んでいた。おそらくこれらの野鳥はそれぞれ別の種なのだろう。よく観察すると、くちばしや尾の形、身体の模様などが違っているのがわかる。先輩は、それらの文章やイラストを指さしながら、いくつかの提案を行った。例えば、「駒に書かれている漢字の代わりに野鳥のイラストを用いてはどうかな」と僕に言った。
「野鳥たちは実際に自然を生きていて、その小さな身体には私たちの予想を遙かに超えるようなダイナミズムが満たされているの。でも、その生命の輝きは、私たちが文字に起こすことによって簡単にこぼれ落ちて、見つけられなくなってしまう。私はその輝きを、断片的でもいいから掬ってあげたいの」
僕は、手元のノートに再び視線を落とした。下部に並んだイラストは一見すると簡単に描かれているようであったが、よく見ると細部までしっかりと描写されていて、色づけをしたら羽の一つや二つでも動かしてしまいそうな力強ささえ感じた。
「良いと思います。すごく」
率直な言葉だった。先輩のイラストを用いることで、たとえ部分的であれ野鳥の持つ何か本質的なものを駒に憑依させることが可能となるだろう。さらに──、
「将棋というゲームをプレイするためには駒の識別をする必要があります。駒にイラストを使うことで、野鳥の外見の特徴に気を配ることにもなるかもしれません」
僕がそう言うと、先輩は笑みを浮かべ、その声はいくぶんか弾んだものになった。
「俄然やる気になってきたよ」
先輩はブラウスの袖を捲るとペンを持ち、改めてノートに向き合いはじめた。
文化祭本番までは、今日を入れて三日だ。その日数を念頭に置くと、あまりのんびりとしていられないことは確かだった。僕もこのまま口を開けて突っ立っているわけにはいかない。
とはいえ、イラストを手がけるのは先輩なので、僕はもっぱら補佐的な立ち回りに比重をかけることになるのだが。
それからの文化祭準備期間の二日間で、僕らは可能な限り時間を作りあっては教室に集まり、野鳥将棋の制作に力を注いだ。先輩が野鳥など諸々のイラストを描き起こし、僕が材料の調達に奔走する。時間が無いなかでは、材料調達の時間すらも惜しいように感じられるもので、思い返せば僕は走ってばかりだった。
結局、野鳥将棋はペーパークラフトの要領で作成することとなった。実際に遊ぶ想定をする以上ある程度の強度は必要なので、頑丈な厚紙を材料に用いたのだが、これがなかなかの強敵だった。並のハサミではなかなか歯の立たない代物に、準備日後半を迎えた頃には、僕の手は握力を失い、骨が出っ張っていてハサミの柄とよく接触するところは絆創膏だらけになっていた。
駒は、既存の将棋のように平面では面白くないということになり、チェスの駒のように高さを持たせるという案に落ち着いた。土台となるペットボトルのキャップに錐で穴をあけ、バネを垂直に立て、その先に野鳥のイラストの描かれた厚紙を接着する。バネによって野鳥のイラストが揺れ動くような設計だ。おかげで少しやっかいな工程も追加されたが、野鳥の持つ動きのコミカルさがよく表現できていると先輩は大いに喜んでいた。その様子を見て、僕も喜ばずにはいられなかった。
ゲームのルールは僕に一任されていたが、禽将棋のルールは広く認知されていないという理由から、現代の将棋にほぼ手を加えないものに決定した。チェスのような駒を用いるために、いくつかのシステムは変更しなければならなかったが(本来の将棋では、駒を裏返すというギミックが存在する)、なるべく本来のゲーム性を逸脱しないように努めた。将棋同好会の奴らには、この点をよく褒められた。
また、どの駒がどの野鳥に相当するかは、僕ら二人でよく話し合って決めた。お互いの知識を引き出しながら、ときには素晴らしいひらめきで、ときには強引な紐付けで決定していった。
「王様の駒はミソサザイという鳥にしたいの」
先輩はそういった。ミソサザイという鳥は、各地の民話や伝承などで、王様として扱われている鳥なのだそうだ。僕はそれを聞いて大型の鳥をイメージしたのだが、実際の姿はまったく異なっていた。ミソサザイは、日本でも有数の小さな体を持つ鳥なのだそうだ。それから先輩は、動画サイトでその鳴き声を聞かせてくれた。美しい高音で、小さな身から発せられているとは思えないほど力強かった。
「では、香車はツバメなんてどうでしょうか。香車はその一直線の鋭い動きから、槍とも称される駒なんです。飛燕という言葉が素早い様子を表す用例もありますし、イメージ的にぴったりな気がします」
「いいね、それ」
先輩が頬を緩める。それからすぐにノートを開き、ツバメのイラストの下描きを始めた。僕はその真剣な横顔に見とれていた。あとで指摘されて気付いたことだが、その日僕はクラスでの準備をすっかり忘れ、当番をまるまるすっぽかしてしまっていた。
そうして、文化祭前日の夕方に、きっと世界で初となる「野鳥将棋」が完成した。
最後の駒が完成した瞬間、僕らは思わずハイタッチを交わした。お互いがお互いの満足げな顔を見て、その喜びを分かち合った。
結局、通常の将棋との変更点は、その大半が見た目の工夫にとどまったが、野鳥の魅力をふんだんに盛り込んだ作品になった。
何も知らない人が見たら、ただの工作の延長線上だと感じるだろうか。よくある試みの一つにすぎないと感じるであろうか。しかし、二人にとっては、いや少なくとも僕にとっては、それは物質的な側面以上の価値を持ったものであった。その価値とは、思い入れとか、愛情とか、そういった類のものだ。
僕らは、完成したばかりの「野鳥将棋」を、左右に分割した将棋同好会と野鳥同好会の展示スペースの丁度真ん中に、机と椅子とともに設置した。盤の上に置かれた駒たちが、カーテンの隙間から差し込んだ夕日に赤く照らされて、長い影を伸ばしていた。掛け時計が下校時刻の近いことを示す。僕らはそれぞれに荷物を背負って、学校を離れた。
野鳥将棋の完成で妙に気持ちが高ぶっていた僕らは、途中まで同じ方向だった帰り道で、喋りっぱなしだった。何を話したかはよく覚えていないけれど、確かに僕らはあたたかな空間に存在していた。横から差し込む夕日が、目の前の景色のなにもかもをフィルターにかけたみたいに赤く染めていた。
文化祭当日、「野鳥将棋」を多くの人が遊んでくれている光景を少なからず夢見ていた僕は、現実を突きつけられることとなった。
当日、教室で見張りをする僕の目の前に広がっていたのは、あまりに賑わいのない教室だった。野鳥同好会のブースにも将棋同好会のブースにも、間隔を空けてたまに数人が来客する程度で、「野鳥将棋」に対してしっかりと興味をしめしてくれたのは、当初ひやかし半分で顔を出しに来た担任と、こどもの頃から将棋が好きだという校長先生と副校長先生、それと何人かの生徒たちにとどまった。(そのなかでも、特に先生方からは大絶賛であった)一方の他の先生や生徒たちは、バネで揺れる野鳥の駒を見て多少の興味を持ったとしても、少し観察するなり何回か指で弾くなりすると、すぐに興味を失ってしまう様子だった。生徒が立ち去った後も小刻みに揺れ続ける野鳥のイラストを見て、僕はため息をついた。
「いやぁ、なかなか散々だね」
その声に驚いて振り返ると、そこには先輩が立っていた。先輩のクラスの出し物なのだろう、焼きそばのイラストと値段が大きく描かれた看板を首から提げている。
「先生方はかなり褒めてくれていましたよ。自分たちで作ったのかって」
僕がそういうと、先輩は短い笑い声を漏らした。
「そう、それは良かったよ」
現在教室には僕と先輩以外誰もおらず、わずかに開いた窓の隙間から吹くやわらかな風の音が聞こえた。カーテンの裾が小さくゆるやかに揺れる。
「そうだ、それで、私がここに来た目的なんだけどさ」
しばらくして、先輩が口を開いた。
「クラスの準備にあまりにも顔を出してなかったせいで、後片付けを押しつけられちゃってさ。こっちの片付けにはちょっと参加できそうにないんだ。写真の展示の方の片付けは同好会の他のメンバーに任せたんだけど。野鳥将棋は私たちでつくった作品でしょう。あれの処分は他の人には任せられない。だから、君にすべて任せるよ。取っておいてもいいし、場所に困るようなら焼却しちゃっても構わない」
僕は半ば唖然として、ただ先輩の発する言葉を聞いていた。
「あれを作ってる間、すごく楽しかったよ。こうして文化祭の日に間に合ったのも、君のおかげ。ありがとう」
先輩は微笑んで、僕に手を振った。
「じゃあ、私焼きそばを宣伝する仕事が残っているから」
僕は、狐につままれたような気持ちのまま、手を振り返した。
「あ、それと、よかったらお友達も連れて焼きそば食べに来てね」先輩はそう言い残すと、短い髪を揺らして廊下のほうへと足早に姿を消していった。
僕は次の客が来るまでのしばらくのあいだ、彼女の去っていった方をただぼんやりと眺めていた。
それ以来、何度か先輩の姿を廊下で見かけることはあっても、何か直接言葉を交わすような機会は一度もなかった。おそらく、僕が先輩の気付くように手を振ったならば、それなりに僕が望むような反応を返してくれたことだろう。だけれども、僕はそうしなかった。そうする勇気を持ち合わせていなかった。
最初はそうしてあれこれ迷っていた心も、気がつけばに乾燥した粘土のように、ボロボロとした硬い外側に覆われた、取り返しのつかないものになってしまっていた。
それから季節ばかりが過ぎ去り、気付けば半年ほどが経過していた。先輩は卒業し、僕は三年生になった。
そういえばついこの間、近所の川でカワセミを見た。鮮やかな青い背中がまっすぐに飛んでいるのを見た。カワセミは漢字で翡翠と書くのだと、いつかの先輩が言っていたことを思い出す。宝石のヒスイとまるっきり同じ表記なのだ。ヒスイは古くは玉とも呼ばれていた石だ。今更ながら、あのとき、玉将の駒をカワセミにすれば良かったかもしれないと思った。惜しいことをしたと、図らずもそんなことを考えた。
あのときの野鳥将棋は、僕の部屋の古い勉強机の引き出しに丁寧に仕舞ってある。当時の空気をその身にまとったまま、暗い引き出しで静かに眠っている。
この間ふと思いついたのだが、今度、小さい頃お世話になった学童にでも「野鳥将棋」を寄付してこようかと思う。この手の玩具は、きっとそういう場所にあった方が道理にかなっているのだ。
翡翠の玉 鯰川 由良 @akilawa7100
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