後編


 奥様に案内されて彼女の自宅へ向かっている最中のことだった。背後に人の気配を感じた瞬間、後頭部に強い衝撃を受けたと思えば、一瞬で意識が刈り取られた。


 次に沖月が目覚めた時、見えたのはホテルの一室のような綺麗な部屋だった。依頼人の奥様は……傍にはいない。襲撃され、攫われて……? 同じように別室にいるのだろうか?


「目が覚めたか、探偵さんよお」

「あ、あんたは……?」


「旦那だ」

「…………奥様の……?」


 覆面すら被らずに顔を見せて堂々としていると思えば……犯罪組織ではなく、依頼人の旦那だった。なら、襲撃の理由には察しがつく。浮気と勘違いされたのだろう。

 後頭部を殴られ、意識が落ちた沖月をホテルに……いや、自宅か? に連れてきてくれた。


 沖月を縛りもせず、ベッドに寝かせていたのも納得できる。


「殴ったこっちが悪いが……誤解されるような距離感だったお前も悪いだろ」

「そんなに近づいていましたかね……」

「キスしているように見えたぞ」

「拳ひとつ分の距離は空けて歩いていましたけど……」


 浮気現場を見て頭がカッとなり、見えないものが見えてしまったのかもしれない。

 強い衝動に任せて沖月を殴って……今に至る、と言ったところだろうか。


「気分は悪くないか?」

「……なんとか。なにもなさそうですね。痛みはありますけど……たんこぶになっているのは健康な証とも言えますし」


「そうでもないけどな」

 恐ろしいことを言い残した彼が……椅子に座りながら頭を下げた。


「悪かったよ……」


「誤解が解けたなら良かったですけど……」


 ただ気になるのは、奥様の姿がないことだが。


「奥様は?」

「…………」

「奥様は、どこですか?」


「――うちの女とあんたが繋がり、俺の浮気の証拠を握ろうとしていたことは知っている……暴かれると、ちとまずいんだよな……」


「いえ、それは別件として……まあ、後々調べることにはなりそうですが」

「やめてくれないか?」


「証拠を押さえるのを、ですか? その言葉が証拠になりそうですけど……」


「浮気にも事情があるんだよ……ただ、それを伝えたところで女は納得しないだろ。嫌なもんは嫌だと言って拒絶する。面倒くさい生き物だ」


 浮気とは裏切りであり、理由があろうと裏切ったことには変わりないからだろう。


 理由がある浮気と言ってしまっている時点で許されないことだ。理由があって手助けしている、面倒を見ている、ならば逃げ道はあったかもしれないが……。


「奥様とは違う女性と会って、愛を育んでいたのであればアウトですよ」


「理由があるんだって言ったろ……話してやるよ、全部を」



 ――――三年前。



「三年前まで飛ぶんですか!?」



 そんなにも前から浮気をしていたということになる。


「いや、出会いが三年前というだけだ。ちょこちょこ会ってはいたが、本格的に深い関係になったのはもっと先の話だ……浮気と呼ぶ関係は、一年前からだろうな……」


 なら一年前から説明してほしい、と思ったが、言わなかった。

 情報は多いに越したことはない。端折ったりかいつまんだりして情報が不足し、不正解を引いてしまえば探偵としては名折れだ。


「三年前、俺の祖父はまだ生きていてな……武術の先生だったんだ。色々と教えてくれたさ――」



 あらためて――――三年前。


 祖父であり、師範である大男に呼び出された。


 久しぶりの実家、懐かしい道場に足を踏み入れた後、師範が「かかってこい」とばかりに腰を落として孫を待つ。


「……そう睨んでも、戦わねえよ?」

「戦え。拳で語らなければ伝わらんこともある」

「なんでうちは肉体言語しか使えない奴ばっかなんだよ……」


 実際、最も上手く伝わるコミュニケーションではあるが、既に結婚している身だ。別の家庭を持っている以上は、言葉でのコミュニケーションを大事にしたい。


「戦え!!」


「あーもう分かったよ!!」


 倒されて終わることが分かっていても、染みついた癖は抜けなかった。

 腰を落とし、待っている祖父に掴みかかり、あっという間に倒される。


 ……なにも伝わってこなかったけれど。

 肉体言語が伝わらなければ、怪我を覚悟で戦った意味は?


 勝ち誇った祖父が、腕を組んで遠い目をする……。



「儂が子供の頃はな――――」






「――ちょっと待ってください先生!!」


「……おい、説明してるんだから止めるなよ。トイレか? それともお腹すいたか? 先に食べちゃうか? そこに見えてるハンバーグ、美味そうだし」


「あ、じゃあ食べますか? ――じゃなくって!! えっと……ちょっと待ってくださいね、整理します。……わたし、今どこにいるんですか?」


「?? 当然、沖月探偵事務所だけど」


「違います!! 先生の三時間前、そこから依頼人の奥様の旦那さんの三年前……で、旦那さんのおじい様が、『儂の子供の頃――』とか言い出してましたから、このまま回想すれば五十か六十年は前になりますよね!? 一体どこまで遡る気ですか!?」


「師範の子供の頃の初恋相手とのいざこざを語るんだが、当時の先生の回想も入るからな……。その先生の腹違いの妹も出てきて、またまた時代が遡るから――まだ回想が残ってるな」


「聞いてられませんよ! あと気になってましたけどジグソーパズルは!?」


「ああ、あれはどうでもいいよ。関連性はないし。絵は絵、文章は文章。文章を揃えて別の絵が浮かび上がってくることも、絵を揃えて別の文章が見えてくることもないから。製作者の遊び心ってだけじゃないかな?」


「……先生はどうして、そんなに汚れているんですか……?」


「帰宅途中でたくさんの大型犬に襲われてね。いや、じゃれ合っていただけなんだけどね……。依頼に関しては解決の目途が立ってるから安心してよ。だからひとまず……、腹ごしらえをしながら続きを話そう。今どこだったっけ? 師範の回想だったよね?」


 はぁ、と深い溜息を吐いた助手。

 彼女はラップを外して、出来立てから少し冷めてしまったハンバーグを食卓に並べ、


「いいです、顔も知らない人の回想話なんか聞いてられません。だったら先生の子供時代のことの方が興味ありますよ」


「そうか? じゃあ渾身のエピソードトークでもしてあげようか?」


「聞いてあげますけど、回想の中で回想に入らないでくださいね? 聞いてるこっちはまるでダンジョンに迷い込んだみたいに出口も入口も見失いますから」




 …了

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第5階層 渡貫とゐち @josho

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