第5階層
渡貫とゐち
前編
フライパンの上でハンバーグを転がす。
じゅーじゅーと食欲をそそられる音と匂いを一番近いところで堪能していた。
青いエプロンをかけた大学生の彼女の名は、
ここ、
「ん、こんなものかな」
しっかりと焦げ目がついていることを確認してから、ハンバーグをお皿に乗せる。彩の野菜を加えて映えるように。
写真を撮るわけではないけれど、目に見えるのは同じなのだ。味と同じくらい見た目も重要だ。汚いよりは映えた方が良いに決まっている。
忙しければ妥協はするが、今日は時間があるので少しだけ凝っている。それでも本人は「食べてしまえば結局一緒だけど」と、冷めた一面もあるのだが。
「先生、遅いな……お昼頃には戻るって言ってたんだけどな……」
依頼人に呼び出されて、打ち合わせ? をしているはずだ。そう時間はかからない、と言っていたが、現場で問題が起こって延長しているのかもしれない。
帰宅が遅れそうならひとつでもいいので連絡してほしいと言っておいたはずだが、それどころでなければ連絡するのも難しいか。
探偵という仕事はサラリーマンのように決まった時間で動くわけではない。探偵自身が動きたい時に動く。解決の手がかりがあれば
そのため、数日間なにも食べず、眠ることもないなんてことはざらにあった。
何度も倒れては救急車で運ばれている……。色々な人に心配をかけて。それでもあの人は生粋の探偵だから……改善する気がないのだ。
その分、雇われた助手の彼女が、探偵の健康状態を管理しているわけである。
「せっかく作ったのに冷めちゃうけど…………はぁ、仕方ないわね」
出来立ての昼食にラップをかけて、
彼女だけ先に食べていても文句は言われないだろうけど、食卓を一緒に囲むのが市来有のルールだ。自分がそれを破るわけにはいかない。
すると、玄関の方で――どたがたんっ!? と音がした。
積んだ荷物が崩れたような音だが、立て付けの悪い扉の、きぃ、という音が聞こえたので探偵が帰ってきたのだ。
そうなるとさっきの音が気になる。つまづいて転んだだけならいいけれど……。
「先生!?」
探偵――
履いていったはずの靴は両方共なく、白い靴下が黒く汚れてしまっている。朝はセットされていた髪も崩れ、前髪が目を隠すくらいには乱れてしまっている。
ひとまず風呂に入れて綺麗にし、服も着替えさせて洗濯と掃除を――と考えたところで、それよりもまずは事情を聞かないと! と思い出す。
今の生活に慣れてしまって、探偵助手というよりは家政婦の思考が染みついてしまっていた。……望んでいない成長だ。
「――どど、どうしたんですか!? 一体なにが……っ」
「き、聞いてくれ、有……」
「はい!」
「三時間前、の、ことなんだが……」
三時間前。
依頼人と打ち合わせをするため、指定された喫茶店に入った探偵――沖月光次。
整髪料で髪を整えたことで目つきの悪さが目立ってしまうが、隠しているよりはマシだろう。
依頼人がくるまで喫茶店で腹ごしらえを……と思ったが、昼食を作って待ってくれている助手のことを考え、胃に入れるとしても飲み物だけにしようと思いコーヒーを頼む。
詳しくないのでブレンドにしておいた(メニューの先頭にあったのだ)。
メニューを見て、キリマンジャロとか、興味はあったけれど名前だけ知っていて実物を知らないので、怖くなって寸前でやめた。ブレンドくらいがちょうどいい。
「すみません。あの……沖月探偵事務所の……?」
「あ、はい。沖月光次と言います。もしかして依頼人の……?」
「はい。
二児の母っぽい人だった。実際、二児でなくとも子持ちの奥様である。
彼女が依頼人であり、探偵事務所に足を運べない理由はなんとなく察することができた。
探偵事務所に足を運んでいることをもしも見られていたらまずい、と彼女自身が思っているからだろう。……成人男性とふたりきりでお茶をしているように見える今の状況も、奥様からすればそこそこまずい状況なのではないか……?
一応、指摘してみる。
「見られていたとしても、旦那から話題に出すことはないでしょうね。あの人も同じように別の女性と密会をしているはずですから」
「……そうですか。では依頼は、事前に言っていた通り、浮気調査なのですか? 確実な証拠が欲しいと?」
「いえ……ああいや、なくはないのですけど、仕事の内容を変更したいと思いまして。電話口では浮気調査をお願いしますと伝えたのですが……昨日になって新しい問題が出てきまして……。依頼料は増えても構いません。別件をお願いしたいのです」
探偵としては変更は構わない。仕事がなくなったわけではないのだ。
依頼料を増やしてもいい、というお墨付きを貰ったのだ――法外な値段は吹っ掛けたりしないが、多少、色を付けても罰は当たらないだろう。
「浮気調査は、ではキャンセルで?」
「また別の機会にお願いしたいと思います」
次の仕事も確保できた、と見てもいいだろう。
「それで――別件の依頼というのは、一体?」
「祖父が亡くなったのですが……」
「ご愁傷様です」
「はい。それで……祖父が大事にしていた年代ものの壺がありまして……。実はその壺の中にこんなものが入っていたんです」
「?」
奥様がスマホを取り出し、写真を見せてくれた。
映っていたのは絵だ……いや、妙な線が入っている。これは……ジグソーパズルだ。
青空と、男子学生四人が映っている写真……いや、絵、か? イラストなのか写真なのか分からなかった。スマホだからだろうか? 実物を見れば判断できるかもしれない。
「壺の中にパズルのピースが……? でも、完成させたみたいですけど……なにか問題でもありましたか?」
まさかひとつだけピースが足りないとでも言うのだろうか。逃げた飼い猫探しも請け負っている探偵だが、しかし足りないピースを探してくれという依頼は……。
「絵は完成したのですけど……裏面が……」
「裏面?」
スマホの画面が、横へスワイプされる。パズルが完成した絵の裏面は、達筆な字で文章が書かれているらしいが、こっちもパズルになっていて……読めなかった。
恐らくバラバラになってしまっているのだ。
表の絵を揃えたことで文章が崩れてしまっている……。
「文章の方を完成させれば絵は崩れてしまいますし……文章も達筆過ぎて正直、合っているのかどうかさえ分かりません。探偵さんに、どうにかできないか相談したのですが……、頼む相手を間違っていたりしますか?」
不安そうな奥様だ。
確かに、これは探偵の仕事なのか迷う気持ちも分かる。探偵は殺人事件によく居合わせるから、イメージができてしまっているが、目立つ仕事がそれというだけで実はなんでもありだ。探偵にもよるが、沖月探偵事務所はよほどのことがなければなんでも請け負うスタイルである。
「大丈夫です、うちで引き受けますよ。絵と文章、ジグソーパズルの謎……そしておじい様の意図を、見事に解いてみせましょう!」
「よろしくお願いします……では、実物の絵を見せますので、私の自宅の方に――」
…続
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