04「冒険者ローグ」
王宮で国王を殺害したのだ。現場を見られてはいないだろうが、どのような抗弁も無用であろう。ローグが戦うと覚悟を決めた途端、手にした長剣が高い音を立てて半ばからへし折れた。これも天の配剤だろうか。半分になった武器では目の前の大軍を切り抜けることも、まず無理だろう。するとローグに許されたのは、騎士の集団に勇ましく突っ込んで斬り死にするか、それよりもこの場で喉を掻っ切って自害するだけだ。
フッと、自嘲の笑みが浮かんだ。だが、不意に王座の頭上に張り巡らされたステンドグラスの向こうに巨大な影が浮かんだ瞬間、ローグは外套を翻して身を守った。
「ローグ! 無事だったのね!」
重厚なステンドグラスを破壊して現れたのは一匹のワイバーンに騎乗しながら杖を構えるアリスだった。割られたガラスが雨のように降りかかった。
アリスはワイバーンを器用に操って謁見の間に舞い降りると、ローグをかばうように騎士たちに向かって杖を向けた。
「さあ、早く! ワイバーンに乗って! アタシといっしょに逃げよう!」
アリスがそう言った瞬間、シャナイアの瞳に激しい感情が浮かんだ。たったいま、夫であるアルフレドが殺されたというのに、彼女の心はあきらかに目の前の男を取られることに激しい怒りを感じているのだ。アリスの脇腹からはぽたぽたと激しい血が流れ出ていた。だが、ローグは
「お断りいたしやす」
と、至極当然のようにアリスの提案を跳ねのけたのだ。
パッとシャナイアの顔に喜悦が浮かんだ。
「なんでよおっ!」
「いまのあっしは、もう誰のことも信じることができねえんで」
「そんな……」
「ローグ、大丈夫です。わたしに任せてくださいっ。みなの者控えなさいっ。ロムレス王妃として命じます。わたしがよいというまで、この部屋に入ってはなりません! いいですかっ? 我が命に反すれば一族郎党例外なく吊るし首にします!」
王妃の命は絶対だった。騎士たちは反論をしようとしたが、彼らの主人である国王は血だまりに伏して明確な上位者は王家の正当な血統を引いているシャナイアだけなのだ。
憤懣やるかたなく、騎士と兵士はぞろぞろと謁見の間を出ていった。シャナイアはアルフレドだった者のそばにいくと、転がっていた血濡れた王冠を拾った。顔は心なしか上気している。シャナイアがローグを見る眼は劣情にも似た熱が宿っていた。アリスが露骨に嫌な顔をした。
シャナイアがしずしずとローグの前に進み出る。うっとりとした様子でローグに近づく。その黒々とした瞳は淫猥な艶に磨きがかかり、いまにもローグにしなだれかかりそうな風情であった。
「不運なことにアルフレド国王は事故により命を落としました、しかし、この国は英雄を常に求めているのです。ローグ、あなたは逆賊であるチャズとアリスを討って魔王の剣を取り戻した天下無敵の英雄です。剣聖の称号剥奪も、すぐに間違いであったと天下に知れ渡り、あなたの名誉は回復するでしょう。ね? それでいいじゃないですか。これが、本当。真実だったんですよ。あなたはみなの愛する英雄に戻れるのですよ! わたしたちは遠回りをしたけど、これで本当に幸せになれるなら、過去のことはぜんぶ水に流しましょう? ね?」
「シャナイア、アンタやっぱり狂ってるよ!」
アリスは全身の毛を逆立てながらシャナイアを罵倒した。シャナイアは暗にローグに向かってアリスを殺せと命じているのだ。国宝である魔王の剣を、王宮魔道士であったアリスが奪い、それをローグが国王の貴重な死と引き換えに取り戻した。そういった筋書き通りにしろと命じているのだ。
「ローグ、アンタが他人のことを誰も信じられないっていうのなら、アタシがアンタを絶対に裏切らないって証明してみせればいいの!?」
――できるはずがない。
人が人を裏切らないということなどはありえない。虚しい。なんという意味のない繰り言なのだろうか。人が生きていれば、損得が生じる。誰もがひとつしかない椅子の奪い合いを行えば、零れ落ちるのはいつだってローグのような人間ばかりと相場は決まっているのだ。
しかし、アリスは次の瞬間、思いもよらぬ行動に出た。手元にあった魔剣を鞘から引き抜くと、なんら躊躇なく自分の胸元に叩き込んだのだ。これにはさすがのローグも狼狽した。
「アタシが……にんげん……やめれば……ずっと、ずっといっしょに……」
魔剣は凄まじい速度でアリスの生命エネルギーを吸収しながら、輝き出した。真昼に現れた太陽のような凄まじい熱と輝きにローグは顔を手のひらで覆った。輝きの明滅がさらに激しくなった。ローグが視界の奥底に、太陽の爆発を感じた時、カーンと澄み切った音が室内に響き渡った。
――そこに残ったのは、ただひとふりの剣であった。
アリスの姿はない。ローグもシャナイアも奇妙過ぎる光景に思わず周囲を見渡した。
「なあに、捜してるのよ。アタシは、こーこ。ここだってば!」
声。魔剣の刃がカタカタと震えながら、女性の声を発していた。ローグは聞いたことがある。高位の魔道士は自らの命を魔力の高い剣と同一化させることで、能力を飛躍的に向上させ、唯一無二の武器とすることができる、と。
だが、同時にその秘儀は人間をやめることを意味していた。文字通りの壮絶な禁呪である。正気ではとても使えない。異常者のための御業である。
アリスは人間をやめて剣になったのだ。
ローグはごくりと生唾を吞むと、魔剣を手に取った。重くもなく軽くもない、不思議な手ごたえだ。しかし、指の一本一本にまで吸いつくような剣の手触りは戦士の性分として手放せるような部類のものではなかった。
「ローグ?」
シャナイアの不思議そうな顔が網膜に映った。
「わたしの英雄に、なって、くれますよね?」
シャナイアの笑顔はローグの脳裏にある幼き日のものと寸分変わらなかった。
だが、決意は変わらない。
ローグは魔剣を大上段に構えると、シャナイアの両手に持った王冠に真っすぐ振り下ろした。手ごたえというものはほとんどなかった。それくらい、魔剣と同一化したアリスの切れ味は凄まじかった。ローグは魔剣を鞘に納めると腰に佩いた。そうするのがあたりまえのように、しっくりと馴染んだ。
「英雄なんてものは、もうどこを捜したって金輪際見つかりっこねえんで」
ローグはそう言うとシャナイアに背を向けた。シャナイアは脱力して両膝を床に打ちつけしばし呆然として、真っ二つになった王冠を覇気のない瞳でジッと見た。それから我に返ると、自分の顔に爪を立てながら絶叫を上げた。どこまでも長く続く、地獄の亡者の雄叫びのようであった。
そんなシャナイアの行動がさも愉快であったのか、ローグの腰に佩いた魔剣がカラカラと笑った。
「ざまあないね、シャナイア! もう、アンタの好きなようにはさせないよ。これからローグはアタシを抱いて毎晩寝るんだ! アンタじゃなくて、このアタシをね! たとえ、アタシは二度と女としてローグと触れ合えなくとも、これで満足なのさ。ローグの子を産めなくったって、いつでも一緒にいられるなら、これ以上の幸せはないの! だから、アタシは道具になったって構いやしないんだよ! これでローグは永遠にアタシのものさ!」
ローグはもう振り返らなかった。ワイバーンはそのまま所在なげに謁見の間に佇んでいた。逃げる必要はない。腰の魔剣さえあれば誰にも負けない。幾千幾万の敵が立ちはだかろうと生き残れる自信が自分の中に生まれていた。
数日後、ローグの姿は街道にあった。王都で買い直した旅装は真新しいが、以前のようにやがては薄汚れるだろう。
ゆくあてもないが、いまのローグはそれでいいと満足していた。腰には小うるさい相棒がいてわずかに気にはなるが、慣れたいまとなっては風の音と大差はなかった。
空は青が目に痛いくらいにまぶしく、日差しはゆるやかだった。
ローグは軽やかに歩を進めながら、心はもう、次の街に移っていた。
「ねえローグ、次はどこにいくの?」
「さあな」
ロムレス王国史によると、三代目国王アルフレドは病死。幼君であった四代目は有能な執政の養育により無事成人し、その後五十年に渡る長き治世は叡王リックの名を諸国に知らしめたとある。
勇者パーティーは全滅した 三島千廣 @mkshimachihiro
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