エピローグ

第28話

「フーッ……流石に肝が冷えたな、全く」

 煤まみれのカクマが、帽子をとって顔を拭った。

「だが、これでヴィンセントも懲りたろう。なんとかなってよかったな」

「本当になんとかなったんでしょうか……」

 アマリリは車の消えた道の向こうを眺めた。今回の選択は正しかったのだろうか。彼女がヴィンセントを生かしたことで、今後カクマやアマリリ自身、火の粉を被ることがあるかもしれない。

「今から戻ってきたヴィンセントさんに刺されたりしませんか。私たち」

「あいつもそこまで暇じゃないさ」

 カクマは路上の車を動かそうと躍起になっていた。ヴィンセントが乗り捨てたまま、放置していった蒸気自動車である。

「ヴィンセントはまだ、北方マフィアと抗争するつもりでいる。僕らに報復する余裕なんかないと思うよ」

「つもりでいる?」

「うん。今頃、張さんが話をつけてるはずだ。僕があいつをヘコますから、街中で衝突するのは避けろと言って……上手く運べば、抗争はそこまで激しくならないはずだ。ヴィンセントが水路に沈められることもないだろう」

「では、最初からあの人を殺すつもりはなかったんですか?」

「まあね」

「そうだったんですか。はあ……」

 アマリリはため息を吐いてその場に崩れ落ちる。

「あんなに追い詰められてたのに! もう少しで焼き殺されるところだったのに!」

「ま、あんなヤツでも戦友だからね。どの道、異界兵はそう簡単には殺せない。ぎゃふんと言わせて帰らせるぐらいが丁度いいんだ。……さて」

 運転席に滑り込んだカクマが、ステアリングを握る。

「忘れ物がなさそうなら、早めに助手席へ乗ってくれ。もう試験まで時間がない」

「カクマさん、運転できるんですか?」

「もちろん。向こうではちゃんと免許を取ってたんだ」

 アマリリが乗り込むのを待って、カクマが蒸気自動車を発進させる。ぎこちない運転とは裏腹に、車は機嫌良く加速を始めた。

 ミラーに映った背後の路上へは、路地裏の人々が姿を現しつつある。その内の一人と目が合ったような気がして、アマリリは思わず首をすくめた。

「どうした」

「今、後ろの人と目が合ったみたいで」

「後ろの? ああ、分解者(デトタリス)が出てきてるのか」

「分解者?」

「路地裏の住民だ。道に捨てられたものをなんでも拾って生活する人たちだよ。ヴィンセントの捨てていった連中を回収しにきたんじゃないかな」

「回収して、どうするんですか」

 カクマは黙って肩をすくめた。知らない方が良いということらしい。

 アマリリは話題を変えることにした。

「試験には間に合いそうですか」

「たぶんね。この調子なら、三十分前には会場に入れる」

「そうですか。結局、私の読み通りでしたね」

「……読み通りなのは結構だが、君のコンディションはどうなんだ。間に合ったところで、問題が解けなきゃ落第なんだぞ」

「その件で、少し相談なんですが」

「なんだ」

 まっすぐ前を向いたまま、アマリリは答えた。

「ひと暴れしたせいで、お腹が空いてきました」

「……」

「何か買ってから行きませんか」

 ほどなくして、アマリリにはカクマの調達した茹で団子とコーヒーが支給された。挽肉入りのずんぐりした団子を食べる内に、車は学園へと到着する。

 試験会場に使われる講堂の周りには、親子連れがうようよしていた。

「あれ、リヴ家の人たちじゃないか」

「そうみたいですね」

 カクマの示した先には、シャーロットとその父親の姿がある。今日のところは、博打を我慢できているらしい。

 口の中の団子をコーヒーで流し込み、アマリリは後部座席の荷物を掴んだ。

「では、私も行ってきます」

「一人で大丈夫か?」

「カクマさんが来ても、試験会場には入れませんから。試験が終わる頃にもう一度ここへきてください」

「わかった。忘れ物は確認したか?」

「しました」

「猟銃の弾は大丈夫か。徹甲焼夷弾を返してもらってないぞ」

「そーれーはー……ちょっと待ってくださいよ」

 コートのポケットの中に、先ほど抜いたバラ弾が残っていた。

「これで全部です。あとは散弾をしこたま持ってきましたから」

「よし。じゃあ、頑張って--いや、ちょっと待った。団子が一つ残ってるぞ」

「それはカクマさんが食べてください。流石に持って行けませんから」

「いや、僕は……」

「団子の一つくらいいいでしょう? 食べ物を粗末にするとバチが当たりますよ。ほら、冷めない内に」

 アマリリが強引に押し付けると、カクマは黙って両手を上げた。

「わかった、わかった。これば、僕がありがたくいただくことにしよう」

「捨てたら怒りますよ」

「捨てないよ! さあ、もう行きな。頑張っておいで」

 先ほどの戦闘と試験への緊張で、気持ちが昂っているのかもしれない。アマリリは強気に指を弾いてみせた。

「頑張るどころか。トップで受かってきてやりますよ」


「本当に心配していたのよ。いっそ遅刻したのかと思って……」

「すいません。私の方も色々あったんです」

 アマリリとシャーロット。二人がやり取りする声が、試験会場へと遠ざかって行く。その背中を見送って、覚馬は大きな……大きな息を吐き出した。運転席のシートにもたれ、バカば呆然と空を見上げる。

 今朝の首都は快晴。一つの雲も見当たらなかった。

「大変だったみたいだな、覚馬」

 その空を遮るようにして、彼を覗き込んできた者がある。

「光藤。来てたのか」

「そりゃあ来るよ。教え子たちの大勝負だもの」

「その割に寝坊したと聞いたが」

「きみと張さんが揉めたせいだよ! 私まで付き合わせることはなかったのに。おかげで今日は遅刻したんだ。たまんないよ、もう」

 覚馬は無感情に光藤を眺める。彼らの周囲で、受験生と親がヒソヒソ言った。流石に人目を憚ったのか、光藤は咳払いして気を取り直す。

「エヘン。……そっちは無事にすんだみたいだね」

「まあな。今日のところはだが」

「張さんと北方マフィアは上手く行きそうだって。嫌な人に借りを作ったね、きみ」

「僕の借りじゃない。ヴィンセントに返済させるさ」

 覚馬はアマリリにもらった包みを開けた。中には茹で団子がまだ湯気を上げている。

「お。いいもの持ってるじゃないか」

「あの子が置いていったんだ」

「それ、よければ私にくれないかな? 朝ごはん抜きだったんだ、今朝は」

「駄目だよ。これは僕がもらったんだから」

 片平覚馬は茹で団子を齧った。

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鉄色少女は夢をみる。 斎藤麟太郎 @zuhuninja

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