第三章 茂野延村 1





「じゃあ、どうしても行きなさるのか」

 直太朗がなん度目かの、同じ言葉を繰り返す。

「はい。やっとわかった兄の消息です、確かめずにはおれません」

 やはり智司が同じ返事をする。

 同行の四人も、彼と共に行くことを承諾した。


「千曳岩までは案内しよう、わしらはそこから先へは入れんのだ」

「ありがとうございます、このご恩は忘れません。必ず兄を連れここへ戻ってきます」

 そう言うと、智司がミニバンの運転席に乗り込む。


「じゃあお婆さん、ちょっくら行ってきます。慎一郎さんを見つけて夕方までには帰って来るから、また美味い晩飯お願いしますよ」

 雄太が気楽な口調で、里子へ礼を言う。


 言葉は軽そうだが、その表情にはどこかしら緊張感が漂っていた。

「待ってるよ、沢山ご馳走を作っておくから早く戻って来てね」

 老婆の顔にも不安が浮かんでいる。


「よし、敵陣に乗り込むぞ」

 それまで玄関横でタロとじゃれ合っていた大輔が、大きな声で気合いを入れる。

 闘志を身体全体に漲らせ、最後にタロの頭をひと撫ですると助手席に坐る。


「いってきます、お婆さん」

「お婆ちゃん、そんなに心配しないで。こっちは五人もいるんだから、どうにかなるわよ」

 涼音と麗子が老婆に声を掛ける。


「無茶はしないで、危なくなったらすぐに引き返すのよ。そうだ、これを持って行って。桃の干し菓子なの。イザナキさまは桃を投げて悪い魔物を追っ払ったというわ、まだ時期じゃなく生の桃はないけどきっと役に立つ。夏から秋にかけてもう一度ここに遊びにいらっしゃい、一面桃の実で一杯になるから。この集落は桃の生産で代々生計を立てて来たのよ」

 そういって、涼音に三個の吊るし柿に似た干果を握らせた。


「ありがとう、お婆さん」

 五人の中でも一番顔を強張らせている涼音の手を握り締め、里子は耳元に口を寄せ誰にも聞こえないほどの小声で呟いた。


「あなたにはなにかを感じる、きっとあなたの存在がこの五人の安否の鍵を握るわ。信じなさい自分の力を、あなたの好きな人のためにね」

 そういってチラと運転席の智司を見た。

 好きな人と言われ、涼音の頬が微かに赤らむ。


「愛はなにものにも勝る力よ、あなたは本当は強い人間。あなたが守るのよ」

 今までにない表情で、里子が再度涼音の手を握った。

「あたしが──」

「そうよ、あなたがね」

 曇った顔の涼音の頬を、里子が両手で包んだ。


「わたしには見えたの、あなたとあの若者が二人してこの家の玄関に立っている姿が」

「えっ」

「わたしには子どもの頃から、少しだけ不思議なものが見える時があるの。大した力じゃない、でも先祖代々のものよ。実はね、お爺さんは他所の村からここへ来た人なの。だからこの村の人間が持つ、本当の感覚は分かってない。でも、わたしとこの村のために今でもここに残っていてくれる。かけがえのない優しい人なの、この歳になっても愛してるわ。こんなお婆ちゃんが愛してるなんて言っちゃ可笑しいかしら」

 里子がはにかんだように微笑んだ。


「そんなことありません、素敵です」

 涼音はこの老婆を、心から可愛いと思った。

「婆さん、岩の境界まで送って行く」

 直太朗が里子へ声を掛け、軽トラックのエンジンを回す。

「みなさん気を付けて」

 里子は五人へ手を振った。



 三年前この家へ兄慎一郎が立ち寄り、茂野延村に入って行ったことが判ってから、色々な事が話し合われた。

 すぐにでも村へ行こうとする智司を、直太朗が引き留めた。

 ほかの四人も同調しない。


 ここは行政へ連絡して、警察ないしは県や市の職員同行の上、堂々と乗り込むのがいいんじゃないかと大輔が提案した。

 しかし直太朗は、そういった手順を踏めば何らかの隠蔽工作がなされ、容易に真実は明かされない可能性が高いという。


 おそらく彼の兄の名は、住民票にも記載されていないであろう。

 そうでなくても不可思議な力が作用している場所である、どんな妨害があるか分かったものではない。


 では一旦迂回して、白馬方面から入って行けばどうだろうとなった。

 歪んだ空間は彼らがたとえ村に到着しても、都合のいい歪んだ日常を見せるだけで真の姿は見せはしないだろうと直太朗は言う。

 村が無防備に異形の姿を見せるのは、茂野延村出身の者かここ平坂からのルートを通った者のみなのだという。


 そういうこの土地も茂野延村ほどではないものの、意味のない者が無意識に辿り着く場所ではないという。

 確かに彼らは車で十分足らずの距離を、三時間かかっている。

 それはこの異空間ともいえる場所にやって来るのに、どうしても必要な時間だったのであろう。

 その後もあれこれと意見を出し合ったが、これといった妙案は出て来なかった。


「それなら俺が単身村に行ってみる、お前らはここで待っててくれ」

 智司が単独行動を提案した。

 彼としたら怪しい場所に、仲間を連れて行く事は出来ないのだろう。

 しかし兄が居るかもしれないのに、手をこまねいているわけにもいかないのだった。


「なら俺も一緒に行くよ、お前ひとり行かせる訳にゃいかねえからな。親友だろ智司、それに慎一郎さんも満更知らねえ方じゃねえからよ。なんとか助け出さなきゃな」

 大輔が同行を進み出る。


「なに自分だけ格好つけてんの、あんたが行くならあたしも一緒よ。あんたひとり行かせたら、村の可愛い女と浮気されかねない。それにあたしがついてなきゃ、結局はなにも出来ないんだからさ」

 怜子が冗談交じりに言う。

 実のところは、単純な性格の大輔のことが心配でしょうがないのだろう。


「じ、じゃあ俺も行くよ。俺たちはいつだって団体行動だ、高校の時から何年の付き合いだよ。いまさら逃げはしねえよ、一蓮托生だ。これにペルーの雅和と死んじまった錠一が揃ってりゃ、無敵の放送部の再現なんだけどな」

 雄太の言う通り高校生の時、彼らは放送部のメンバーとして知り合った。


 二年の時には、昼休みの放送室に立てこもり大音響で〝クイーン〟の曲をかけまくって停学を喰らった事もあった。

 なにをするにも、その六人はいつも一緒だった。

 青春を共に歩いてきた仲間であった。

 一年生の時からの付き合いで、社会人になってもその関係は続いた。


「あ、あの──、あたしもご一緒していいですか? ご迷惑なら無理は言いませんけど・・・」

 遠慮がちに涼音が口を開いた。


「なに言ってんの涼音ちゃん、あんたももう仲間じゃん。それに智司の彼女だもん、一緒なのは当然でしょ。いつまで他人行儀なこと言ってんのよ、もちろん一緒に連れてくって。ね、智司」

 怜子の言葉に二人が真っ赤になっている。


「なに赤くなってんの、あんたら中学生か。もう二十六なんだから、もうちょっとシャキッとしなさいよ。二十六歳の夫婦なら、子どもがいたっておかしくないんだよ。見てるこっちが苛々して来るわ」

 こうして五人は、共に村へ行くことで話しはまとまった。



 直太朗の運転する軽トラックは、すぐに森の中央の小道へと入って行く。

 一分ほどで視界が開けた。

 目の前に現れたのは、高さ百メートルほどの岩の壁だった。


 いま通って来た森が視界を塞ぎ、集落からはこの岩の壁が見えなかったのだ。

 岩壁の直前まで行き、軽トラは停止した。

 直太朗が車外に出て、五人を手招きする。


「これが千曳岩だ」

 そうして、眼前に立ち塞がるように俊立する岩の壁を指し示す。

「これが──」

 五人はその威容に圧倒されている。


「出雲の千曳岩など、比べ物になりませんね。これこそまさに神話に出て来る千曳岩だ」

 智司が感心したように、見上げている。


「ここを通れば、十分もせずに茂野延村に行ける。しかし帰ってくる方法が分からん、十分に気を付けるんだぞ」

「この道を戻れないときは、白馬への道を通って戻りますよ」

 大輔がそう言うのに対し、直太朗は首を振った。


「おそらく村は、あんたらを出してはくれんだろうな。ここを通った者はここからしか、村を出ることは出来ん」

「そんな馬鹿な」

「実際にその身で経験することになる、あそこはそんな場所なのじゃ」

 直太朗はなにか感慨深い表情で、目の前の岩を見上げていた。


「これから言う事は、戻って来ても婆さんには言わんでもらいたい。約束できるかな」

「はい、約束は守ります」

 智司が応える。

 他の四人も頷く。


「実はわしは、茂野延村から来た人間なんじゃよ」

 思いもよらぬ言葉が、老人の口から解き放たれた。

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物部村綺談『閉塞集落』・神祓い師 序篇 泗水 眞刀 @T-mack

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