第46話 噛まれた跡
婚約が正式に認められて、今日から俺の帰る場所はクラウスのいる緑ノ宮になった。
たいして荷物もなく、引っ越しは事前に終わらせている。
護衛の勤務が終わると、玄関を出たところで「迎えに来た」と尻尾を振るクラウスが待っていた。
歩いて十分もしない距離を並んで帰ると、緑ノ宮では、すべての使用人が揃い、クラウスの婚約者となった俺を出迎える。
すでに知った顔ばかりだ。
簡単な紹介で済ませて、部屋に案内された。
「こちらが、お部屋になります」
ボイスが扉を開けた部屋を見渡すと、高価そうな調度品や家具があり、折角準備してくれたクラウスの好意を無下にもできず、そのまま使わせてもらおう。
俺が持ち込んだ荷物が不似合いすぎて笑える。
クラウスが「気に入ってくれた?」と不安そうに訊くから、「うん。ありがとう」と笑顔に返した。
俺が使用するのは、緑ノ宮の妃の部屋になる。
隣は夫夫の寝室でクラウスの部屋は内扉で繋がっているらしい。
「それでは、何か問題がございましたら、お申し付けください。本日は、ささやかながら婚約の祝いの食事をご用意いたします。準備が整いましたら、お呼び致します」
ボイスは礼をして、退出する。
貰った油絵をどこに飾ろうかと考えていると、肩を引き寄せられた。
「僕と婚約なんかして、本当によかった?もう後悔してたりしない?」
「するわけないだろ」
ただいまの意味を込めて、軽く口付けをして笑い合う。
整えられた部屋は、まだ、よそよそしく落ち着ける感じがしなかった。
「僕の部屋も見る?」
居心地が悪そうにした俺を察したのか、クラウスに手を引かれて、隣の寝室を通り過ぎて、次の扉に向かった。
寝室は二日前に寝泊まりしたから知っている。
扉を開けて現れたクラウスの部屋は、妃の部屋とは違い、質素で乱雑としていた。
まず、机の上に積み上げられた本の多さに驚く。
天井まで届く本棚の中も、ぎっしりと本の背が並んでいた。
「執務室を兼ねてるから、荒れてるけど」
執務室という言葉に、俺は反応する。
「クラウス様は、ここで公務をしてるのか?」
クラウスにとって、耳の痛い話かと思い、今まで公務について尋ねたことがなかった。
「ここでしてる。王宮図書館長と美術館長なんだ。目録作成や翻訳なら緑ノ宮でもできるし、夜に入館すれば、誰にも会わない」
クラウスは公務をしてないと考えていたが。
「絵ばかり描いてるのかと思ってた」
「間違ってはないかな。ゲリンと出会ってからは、昼間はゲリンの絵ばかり描いてたから。でも、これからは、夜はゲリンと過ごしたいから、昼間に仕事をするようにする」
クラウスは俺を抱き寄せて、ボイスが呼びに来るまで離さない。
食堂で婚約祝いに相応しい豪勢な夕食を頂き、その後、庭園のガゼボに移動してから、改めて美味しいワインで乾杯した。
満月が輝く夜だ。
テーブルに置いたランタンのみの薄暗い中。
身体を寄せ合って座り、クラウスは酒は得意ではないらしく、最初に乾杯した一杯のみで、あとはもっぱら俺が飲んでいた。
「引きこもりになったつもりはないんだ。確かに社交は苦手だったし、飛べない聖獣だって馬鹿にされるのも嫌だったけど」
「誰に言われたんだ?」
クラウスが特別な聖獣だ。
卑下することはない。
空飛ぶ聖獣の方が、地上の聖獣よりも格上だと言うのか。
「直接、言う人はいなかったよ。でも、父上が僕達を蔑ろにするから、それに倣ってたんじゃないのかな」
クラウスの父である先の王は、退位後、離宮に移り政務宮に顔を出すことは久しくなかった。
「僕達?」
俺が聞き返すと、クラウスが小さく頷く。
「父上は、ディアーク兄上とルシャード兄上しか眼中になかった。僕とか姉上とかオティリオ兄上は、存在しないみたいに扱われた」
だからエリーゼ王女は父親に反発して死を選んだのか。
暴君だったと王国の民もわかっていたが、聖獣の子とそうでない子を差別していたとは。
国王という地位は、子に愛情を注ぐ時間などないのだろうが、政治の駒としか思ってないのは不幸でしかない。
「ディアーク兄上が即位してからは風向きが変わったんだけど、それも、あからさま過ぎて、僕は反対に反発したくなった。それからかな。引きこもって顔も隠すようになったのは」
クラウスは俺の肩に額を寄せた。
クラウスの瞼に唇を落とすと、クラウスはくすぐったそうにする。
「クラウス様の目が好きだ。俺といる時は隠さないで。ずっと見ててほしい」
「僕はゲリンを梟の下で初めて見た時から、目が離せなくなったんだ。美しい外見だけでなく、内から輝いて見えたんだよ。今まで曇っていた白黒の世界に、色が生まれてキラキラとしたんだ」
「暗くてよく見えなかったんじゃないのか?」
俺とカスパーが、クラウスをお化けだと思ったとは言い難い。
「ゲリンが婚約してくれただけで、僕は幸せだ。僕の番になってほしいと思ってるけど、オメガの番は生涯に一人だけの特別な存在だってわかってる」
クラウスが、俺の首のネックガードを指で触れた。
「クラウス様は、俺が他のアルファの番になっても平気ってこと?」
「平気なわけない。僕を選んでほしい」
俺もだよ。
もう、クラウスを手放すことなどできそうもなかった。
一時的な感情でもいい、と思っていたが、もう無理だ。
俺の番はクラウスしか考えられなくなっている。
オメガの番は、ただ一人で、生涯かけて番となったアルファを愛するのだ。
「俺が選ぶのはクラウスだけだよ。約束する」
俺が囁くと、クラウスは俺の腰を撫でながら、獣の耳を甘噛みする。
「番にさえなれば、ゲリンのすべてを一人占めできるとは、思ってないんだ。ゲリンの魅力は僕が番になったところで、まったく消えないからね。僕はゲリンのことになると冷静でいられなくなる。本当は束縛して、外に出したくない。でも、そんなことは許されないってわかってる」
「ここが俺の帰る場所なんだろ。絶対にクラウスの隣に帰ってくるよ」
クラウスの希望通り、俺はクラウスの元に帰る。
一日の始まりに会うのもクラウスで、終わりに会うのもクラウスだ。
「うん。ゲリンだけは、僕のそばにいて欲しい。愛してるんだ」
クラウスの綺麗な顔が近寄り、ゆっくりと瞼をとじて口付けを交わした。
クラウスのまつ毛が震える。
俺の胸の奥が、クラウスでいっぱいになって、軋むような息苦しさを感じた。
水中で溺れた時のような、苦しさとは違う。
心が愛で溺れるのは、甘く切なく鼓動が高鳴るのだ、と知った。
おもむろに俺はネックガードの黒チョーカーを両手の指で数回触れると、音もなく外れ、うなじは顕になる。
王宮支給のチョーカーは高性能な仕組みで、俺が順番に触れないと外れない。
「今、噛んでほしい」
俺は、そう言って、うなじをクラウスに向けた。
何の意味もない行為だ。
発情期ではない時に噛んでも番にはなれない。
知っているが、今、この時、噛んでほしいと願った。
クラウスの視線が、俺の全身を舐めるように注がれる。
クラウスが鷹揚に頷くと、うなじに唇を寄せた。
発情期でもないのに体温が上昇する。
クラウスの匂いに包まれながら、クラウスのアルファの愛情に触れて、俺の中にあるオメガと共鳴した。
クラウスの歯がうなじに当たる。
噛まれた跡は、番の証とは違い、すぐに消えてなくなってしまうだろう。
だが、俺とクラウスの心の中には、約束の証として番になるまで残っているはずだ。
完
聖獣人アルファは事務官オメガに溺れる 犬白グミ @shirome220
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