第45話 ゲリンの婚約
婚約の話を有耶無耶にしたまま、クラウスを緑ノ宮に帰らせた。
すでに答えが決定している感じがしないでもないが、とりあえず一晩は考えさせてほしい。
自室に一旦戻ろうとする俺の後を、マイネとカスパーが追いかけてくる。
カスパーが「ゲリン、僕の、護衛、やめない?」と心配げに訊くから、「辞めないよ」と即答した。
マイネが俺の腕に腕を絡める。
「突然、来るからびっくりしたよ。あれ、この服……」
俺の服がクラウスのだと、察したマイネはそれ以上は言及しない。
昨夜、俺が金ノ宮に帰らなかった、とマイネは気づいたようで、納得したように頷いた。
俺の部屋に入ると、正面の壁に飾られた絵に、マイネが興味深そうに近寄る。
「もしかして、クラウス殿下が描いた絵?」
鍛錬中の一瞬をとらえた、剣を構えた俺の絵。
「うん。そう」
「ゲリンだね。すごい、似てる」
カスパーもマイネに倣い、じっくりと絵を眺める。
「クラウス様は特別な目を持ってるんだ。目にしたものを絵のように記憶する能力も長けてる」
クラウスの瞳は、精密な記憶装置のようだ。
その記憶を紙の上に忠実に描くことができる。
「僕も、ほしい」
カスパーが言うが、こればかりは安請け合いができない。
「クラウス様は、俺の絵を誰にもあげないって言ってたから、違う絵なら頼んだらくれるかもな」
「ゲリンは俺の義弟になるんか」
マイネが感慨深げに言い、俺はうっすらと笑った。
「気が早い」
「俺はさ。ゲリンを無理矢理に王宮に連れてきてしまって、危険な目に合わせるたびに、申し訳ないって思ってたんだよ。でも、ゲリンがクラウス様と出会えたのなら、よかったってことでいいよな?」
マイネがそんな風に思っていたとは。
マイネに王宮に誘われた時、一度は断ったが俺の意志で行くと決めたのだ。
あの時は、こんな未来があるなんて想像もできなかった。
マイネと一緒に王宮に行く選択が、その後、クラウスと出会うことに繋がる。
マイネの誘いを断っていたら、クラウスとは会わない一生だったのかと、思うと不思議だ。
クラウスとの昨夜の甘美な記憶が蘇りそうになる。
「……結婚はしなくてもいいから、婚約してください」
俺の両手を握りしめて改めて婚約を申し込んだクラウス。
本来ならば、結婚の約束をするのが婚約のはずだが、結婚はしなくてもいいときた。
クラウスらしい惚けた求婚だ。
いや、違うな。
どう考えても、プロポーズではないな。
そこまで言われてしまったら、断ることもできない。
クラウスの真摯な眼差しが、俺の返事を待っている。
俺はクラウスの両手を握り返して、承知した。
「うん。婚約しようか」
すると、クラウスが俺の胸の中に飛び込んできた。
「ゲリン!」
全身で喜ぶクラウスに、俺はじわじわと重要な決断をしたんだと実感し始まる。
俺が、王弟と婚約なんて。
信じられないことが起こる。
そんなわけで、クラウスと俺の婚約は公になり、それは王宮内に瞬く間に拡散した。
身分違いだという批判が噴出するかと危惧していたが、公爵家からの横槍もなく安堵している。
俺とクラウスの婚約は王家に認められたようだ。
結婚とは違い、婚約ぐらいで誰も文句は言わないのか、それともルシャードあたりが黙らせているのかはわからないが。
もともと、王宮内でオメガという存在は、遠巻きに好奇の目を向けられることが多かった。
それは、王弟と婚約しても相変わらずだ。
嫌がらせを受けたりはしないから、注目されるぐらいは我慢するしかない。
発表した、その日は近衛の鍛錬に参加する日。
予定通りに近衛騎士に混じって剣の稽古に努める。
俺の婚約を耳にした近衛騎士も多いだろうが、無駄口を挟む者は一人もいなかった。
いつもなら、必ずと言っていいほど鍛錬の見学に顔を出すクラウスの姿がない。
婚約者の俺を迎える準備で忙しいのかもしれない。
鍛錬が終わったと同時に、ダイタに呼ばれて、人気のない場所まで引っ張られた。
「何ですか?」
婚約の件だろうと、わかっていたが敢えて訊くと、ダイタが顔を強張らせる。
「クラウスとの婚約は、急すぎないか?」
「緑ノ宮に引っ越すには、形だけの婚約をしないと許可できないとルシャード殿下に言われたので」
ダイタは言いづらそうに口にした。
「……以前、俺がエリーゼと婚約した時、ゲリンもこんな気持ちになったのかと思い知った。俺は、フラれて当然の報いだと納得した」
「思い出させないでください」
俺が眉間を寄せて抗議すると、ダイタがわかりやすく落ち込んだ。
それに、あの時の俺とダイタでは状況が違う。
あの時の俺は、まったく何も聞かされておらず、ダイタよりも衝撃が大きかったはずだ。
「話がなければ、戻っていいですか?」
婚約したばかりの俺が、ダイタと密談していては、体裁が悪い。
「ゲリン、もしお前に番ができたら、他のアルファへの影響がなくなり、近衛騎士になることもできる。当分は、カスパーの護衛でいいと思ってるだろうけど、そういう選択肢もあるって覚えておいてくれ」
ダイタは目を細めた。
カスパーの護衛を続けるために番を探していたのに、番がいれば近衛騎士になれると言われてしまった。
「それでも、オメガは発情期があるから、無理だろ?」
「お前は、すでに近衛騎士と同じ働きをしているよ。それに王弟妃ともなれば、副騎士団長に推薦してやることもできる」
オメガの近衛騎士でもいないというのに、副騎士団長なんてありえない。
ダイタの惚れた欲目なんじゃないだろうか。
俺に副団長など務まるとは思えないが。
「そんなわけないだろ。何を血迷ってるんだよ」
「お前がいるだけで、騎士団の士気が上がるんだよ。入団希望者も増えるかもしれない。俺が団長で、ゲリンが副団長って、よくないか?」
ダイタは、俺のことを微塵も諦めてないのかもしれない。
オメガの俺が、本当になれるのかどうかわからないが、将来的にカスパーが成長したら、近衛騎士になるのも良い。
その時、足音がして、そちらに顔を向けると、傷心しているレイと呆れ顔のオティリオがいた。
「ゲリンを口説いてると、ダイタもクラウスに怒られるよ。クラウスが激怒すると、驚くほど怖いんだからね」
オティリオがダイタに忠告する。
「そう言うオティリオは、すでに怒らせたのか?」
ダイタが訊くと、オティリオは頷いた。
「未知な恐怖を感じたよ。あれは怒らせない方がいい」
気落ちした様子のレイは、俺と目を合わせないで言う。
「ゲリン。クラウス殿下の緑ノ宮に引っ越すと聞きました。結婚も近いということですか?」
レイにとって、婚約とは忌まわしい記憶であったのだろう。
思い出させてしまったに違いない。
「どうだろ。まだ、わからないけど」
曖昧に答えるしかなかった。
クラウスとは婚約後について、まだ何も話をしていない。
オティリオに「それなら、どうして急いだんだ?」と訊かれて、再びダイタと同じ説明をすると、二人は納得したようなしてないような顔を見せた。
レイがため息を吐く。
「せめて、ゲリンの妃教育の担当になりたい。必要になったら、私を指名してください」
「当分、ないと思うけど、その時はレイを呼ぼうかな」
「ないならないでいいです」
「ゲリンが婚約したからか、今日の近衛騎士は覇気がなかったな」
ダイタが、何気なく口にした。
俺が「気のせいですよ」と否定すると、三人のアルファが鼻白らむ。
「ゲリンは目立つんだからさ。自覚しろよ」
オティリオが言い、レイとダイタがこくこくと頷く。
「高嶺の狼ですね」
「政務宮の文官達も、意気消沈してたよ」
「婚約して、ますます綺麗になったし、目に毒だ」
三人のアルファは、俺を揶揄って面白がっているようだ。
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