第44話 帰る場所

 気づけば、夕食も食べずに淫らな行為に没頭して、そのまま気絶するように眠りに落ちていた。

 目覚めると、眼前にクラウスの綺麗な容貌があり、こちらを向く琥珀色の瞳があった。

 

「おはよ」

 クラウスも目覚めたばかりのようで瞬きを繰り返す。


 銀髪が乱れて、真っ白い枕で広がる様は爽やかな色気が匂い立つようだった。

 俺が「おはよ」と掠れた声で返すと、クラウスの顔が近寄り軽いキスで唇を塞がれる。

 

「どこか痛いところはない?」

 クラウスは、俺の頭を愛おしそうに撫でた。


「クラウス様が好き勝手やったから、喉も痛し、腰も痛い」


 これは大袈裟ではなく、事実だ。

 クラウスは、初めての行為に夢中になりすぎた。


「うっ、ごめん。気持ちよかったから、止まらなかった。飲み物もらってくる。何がいい?」


 クラウスは寝台を抜け出して、いつの間にか用意されていた服を着る。

 クラウスの背中には、行為中に悶えてつけた俺の爪の後がくっきりと残っていた。


「水がいいな」

「わかった」


 床に脱ぎ散らかしていた服が、なくなっている。

 部屋を片付けたのは、クラウスだとは思えないが。


 湯浴みから戻ると、寝台のシーツも清潔なものに取り替えられていたことを思い出す。


 気怠い余韻が残る身体を見下ろすと、ところどころに鬱血が散っていた。

 その赤い跡を指で触れてみる。

 数時間前、ここにクラウスが吸いついた跡だ。


 これほど幸福感に包まれて目覚めたのは、今まで経験したことがない。

 まだ尻に何か挟まってるような感覚も関節の痛みすらも、嬉しく感じてしまう。


 俺もクラウスと同じで、夢中で愛し合った。

 性行為が未経験のクラウスは、欲求のままに大胆でありながら、勘の良さも発揮して、翻弄されるばかりだった。


 クラウスが戻ってくると、グラスを受け取り一気に飲み干す。


 このまま、クラウスと過ごしたいが、そろそろ金ノ宮に戻らないといけない時間だろう。

 窓の外は、すでに明るくなっている。


「食事を用意させてるから、待ってて。これ僕の服。着ていいよ」

「ありがと」


 受け取った服を着る前に、鼻に押し当てた。

「クラウス様の匂いがする」


「洗ったはずだから、石鹸の匂いでしょ」


 着てみると、やはりクラウスの匂いがするような気がした。

 オメガのわりには上背がある俺は、クラウスの服は少し大きいぐらいだった。


 覆い被さるように、後ろから抱き寄せられる。

 

「もう手離すことはできない。ゲリンを、ずっとここに閉じ込めて、誰にも奪われないようにしたい」

 クラウスはアルファらしい執着心を覗かせた。


「誰も奪わないから、大丈夫だって」

 腹に回されたクラウスの手のひらに、俺の手のひらを重ねる。


 クラウスは、うなじを守るネックガードに口付けした。

「それでも心配なんだ。ゲリンを失いたくない。他のアルファと会うだけで、嫉妬してしまいそうになる」


 他のアルファとは、流石にカスパーは入らないだろう。

 カスパーが成長したら、わからないが。


「必ず僕のもとに戻ってきてほしい。毎日、ここに帰ってきてほしいんだ」


「え?緑ノ宮に?」

「うん。僕はゲリンの帰る場所になりたい。こうやって、毎朝、目が覚めてゲリンと顔を合わせるのは僕であってほしい。束縛したり我儘は言わないから。お願いだよ」

 クラウスは眉尻を下げて、言い募る。


 一緒に住むという提案は、驚きよりも喜びが優った。

「ここに住んでいいの?」


「もちろんだよ。僕が、ゲリンを拘束して閉じ込めてしまわないように、僕に戻ってくるって約束して。ゲリンのこととなると、冷静な判断ができなくなるんだ」

 

「約束するよ」

 正面から向き合い、額を合わせた。


 笑い合いながら、啄むように唇を重ねる。


「そうと決まれば、ルシャード兄上に報告に行こうか」

「え?」


 考えてみたら、何者でもない俺が緑ノ宮に移り住むことは可能なのだろうか。

 面倒だが、確かに雇い主であるルシャードの許可が、必要なのかもしれない。


「朝食を食べたら、金ノ宮に一緒に行くよ。発情期が近いって言ってたから、早くした方がいい」


 クラウスは嬉しそうに目を細めて微笑んだ。


 昨晩夕食を抜いたため、お腹が空いていた。

 多めの朝食をゆっくりと食べてから、歩いて数分の位置にある金ノ宮に向かう。

 俺は少し焦っていた。


 ルシャードに末弟を誑かすな、と怒られるかもしれない。

 どう考えても、年増な俺が無垢なクラウスに迫ったとしか思われないだろう。

 実際、そうなんだが。

 

 金ノ宮の玄関でクラウスが急用だと告げると、侍従長のジョイは、朝食を終えたばかりのルシャードのいる食堂まで案内した。

 扉を開けると、マイネとカスパーの二人もいて、驚いた顔を見せる。


 ルシャードは無表情で不機嫌そうでもあり、俺の手のひらに汗が滲んだ。

 クラウスがルシャードの前まで、歩み寄って止まった。


「朝から、何用だ?」

 顔を上げたルシャードは、訝しげに訊く。


「兄上はゲリンに番を探せと言ったらしいですね。もうゲリンには僕がいるから、探す必要はなくなりました」

 クラウスは何気に胸を張り、その隣で俺は所在なさげに佇むしかなかった。


 カスパーが「何の話?」と呟く声がする。


 俺は恋人ができたとマイネに伝えてはいたが、その相手がクラウスだとは告げてなかった。

 しかし、クラウスの言葉に驚く様子はなく、噂を耳にしていたのかもしれない。


 クラウスは続けて言った。

「それから、ゲリンが緑ノ宮に住む許可を下さい」


 ルシャードは、ちらりと俺を見てから、クラウスに返した。

「クラウス、それは婚約と捉えてよいのか?」


「婚約?」

 俺とクラウスの声が重なる。


 ルシャードから飛び出した言葉に、クラウスは目を輝かせ、俺は唖然とする。

  

「ゲリン、結婚、しちゃうの?」

 カスパーが口を挟むと、ルシャードが首を横に振った。


「結婚と婚約は違う。ゲリンはカスパーの護衛だ。理由もなく、金ノ宮から他に移る許可は出せない。どうしても移り住みたいのなら、形だけ婚約して、本当に結婚するのかは二人で決めればいい」


 一緒に暮らす話から、婚約する話に変わってしまった。

 俺にはマイネのように王弟妃なんて無理だから、結婚はしなくて良いと考えていたのに。


「ゲリン、僕と婚約してくれる?今すぐ結婚したいとは言わないよ。ずっと先でもいいんだ」


 予想外の提案に呆然とする俺に、ルシャードが畳み掛ける。

「婚約するなら、今日にでも手続きはできるぞ。どうする?」


 どうすると言われても、容易に返事ができるような事案ではないと思うが。


「婚約しようか?」

 クラウスが興奮した様子で俺の腰を抱こうとするから、一歩退いた。

 

 クラウスは逃すまいと、俺の手を握る。


「それじゃあ、手続きを進めておくから、ゲリンは荷物をまとめとけよ」

 そう言って、ルシャードが席を立ち食堂を出ようとするから、俺は制止する。


「待ってください。俺、まだ返事してません」


 ルシャードは淡々とした様子で答えた。

「その様子では、絆されるのも時間の問題だろ」


 予想外にもルシャードは、クラウスと俺の交際を反対するどころか、婚約を提案したのだった。




 

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