第40話 ルシャードの溺愛⑤
数日後、執務室にて秘書官のハンから報告を受ける。
「マイネのよくない噂が広まってます」
獣の耳がぴくっと動き、ルシャードは鋭い眼光を向けた。
「どんな噂だ?」
「マイネがベータと偽って事務官をしていたのは、事実だから仕方がないのですけど、発情期の時にわざとルシャード殿下に接触したと広まってます。子ができたのを盾に結婚を迫ったと……」
ルシャードは眉根を寄せる。
「誰が広めたか、わかってるのか?」
「過去にルシャード殿下にこっぴどく振られたプライドが高いオメガ達ですよ」
苦笑しながらハンが答えた。
「は?」
絶句する。
「ルシャード殿下は、男女問わずオメガに人気がありました。今になって、恨み嫉みがマイネに向っているんです。これまでは、もう誰とも結婚しないと思っていたから溜飲を下げていた節がありますね。どんな美女にも見向きもしなかった殿下が結婚したのだから、マイネの罠に嵌ったと思いたいんでしょう」
「王宮関係者のオメガってことか?」
「はい。ルシャード殿下推しは、いっぱいいます。手が届かないとわかっていても、ショックを受けてるらしいです」
「祝賀会には招待するな」
「無理ですよ。もう招待状を送ってしまってます。反対に、いつも通りのルシャード殿下とマイネの仲の良さを披露すれば、そんな噂、吹き飛ぶんじゃないですか」
婚姻祝賀会は一週間後に迫っていた。ルシャードは舌打ちする。
そして一週間後になり、王弟ルシャード婚姻祝賀会は、一番豪華な行儀の大広間で開催された。
朝から準備が行われ、艶やかな花が飾られ生演奏のオーケストラも配置され、大広間の控え室にいるルシャードとマイネは身支度が整ったところだった。
ルシャードはマイネの白い装いに見惚れる。
婚姻の儀の白い衣装とも違い、何枚も光沢のある薄い布を重ねたような繊細な衣装だった。
今日のために用意したティアラも、清楚なマイネを一層引き立てている。
小さなカスパーも白い豪華な衣装を着て、窮屈そうな様子だ。
一方、ルシャードの衣装はシックなブラックに白銀の刺繍が襟元と袖に施されただけで、マイネとカスパーに比べると控えめだった。
招待客の入場も完了し、控室を開けたハンが「そろそろ時間です」と告げた。
ルシャードがカスパーを抱き上げる。
「カスパー。始まったら、退屈かもしれないがマイネから離れるな」
「うん。わかった」
カスパーは、右手を挙げて返事をする。
ルシャードが「マイネ」と呼ぶと、緊張した様子のマイネも頷き、立ち上がった。
控室から出て大広間の華美な両扉の前に移動すると、二人の近衛騎士が恭しく礼をする。
両扉がゆっくりと開き、オーケストラの生演奏の調べが鼓膜を叩いた。
行儀の大広間の天井はシャンデリアが二百個もあり、その眩い光の中にルシャードが足を踏み入れると、盛大な拍手が起こる。
ルシャードは誰もいないかのように歩き出すが、招待した客七千人の視線を浴びていた。
腕に手を添えたマイネが、顔を強張らせ足取りが遅れたため、ルシャードは歩調を合わせた。
拍手が鳴り止まなかった。
大広間は上座と下座があり、身分が高い招待客は上座に案内される。
王家の顔ぶれが最前に並び、下座には騎士団や王国領主が並び、マイネが世話になったエモリーも来場しているはずだった。
壇上に上がったルシャードは、カスパーを降ろしマイネの隣に並ばせると、「いっぱい、いるね」とカスパーが呟くのが聞こえた。
すべてにおいて煌びやかで豪華すぎる場所に、目眩がしそうに目を細めるマイネの仕草に、ルシャードは頬が緩む。
最後にディアーク王と王妃が登場し、祝辞を述べると、宴の始まりだ。
用意された席に着席し、給仕人からグラスを受け取ったマイネが、早速、飲み干すのを見た。
相当、緊張しているようだ。少し涙目にもなっているのも可愛い。
ルシャードは笑った。
壇上にいるルシャードに挨拶が許されるのは上座のみで、その中にオメガらしい容姿の娘や息子を連れた高官も多い。
マイネの噂を流した人物もいるのだろうが、大広間は祝賀会らしく皆がお祝いムードだった。
表面上はマイネにも丁寧な挨拶をし無礼な態度をとる者もいなかった。
次々と挨拶にやってくる人の波を辟易としながら順番に受け流し、ようやく途切れ、マイネとカスパーの様子を伺う。
「疲れたろ。大丈夫か?」
「はい。緊張しちゃってます」
マイネが囁く声に身体を傾ける。
「……院長先生に、会いに、行っていい?」
カスパーはエモリーの双子に会えるのを楽しみにしていた。
カスパーと仲が良かった双子も一緒に招待をしたのだ。
「あぁ、そうだったな。俺も行こう」
ルシャードも腰を上げたが、宰相のミラに呼び止められて立ち止まる。
すでに歩き始めたカスパーの背中を追いかけるマイネが、振り向きながら言った。
「ルシャード様、先に行ってます」
鹿獣人のミラは、幼い頃からよく知る人物だった。
「殿下。オティリオ殿下がいらっしゃってないのですが。何かご存知ですか?」
ルシャードはマイネに視線を向けたまま、ミラの問いに答えた。
「あいつは今、兄上から俺とマイネとカスパーに会うことを禁止されてる」
「え!いつからですか?」
「マイネと婚姻の儀をした日から、ずっとだ。知らなかったのか?」
「……はい。あの、私が偽装した件に関しては、申し訳ありませんでした」
ミラの謝罪に、ルシャードは一瞬顔を顰めた。
「お前は、マイネが頼んだことを実行しただけなんだろ。もっと早く教えてほしかったところだが、目を瞑る。その代わりマイネを侮辱する奴等に厳しい処遇を頼む」
「承知しました」
カスパーと手を繋いだマイネが、三人の男女に囲まれ広間の中央で足止めされているのを一瞥する。
紫のドレスを着た女性とシルバーのドレスを着た女性とグレーのスーツの男性だった。
三人ともオメガらしい容姿をしているのが、遠目からも伺えた。
獣の耳でも会話までは聞こえてこなかった。
足早にルシャードも壇上を降りると、招待客達はルシャードの進路をさっと開ける。
グレーの男が、嬉しそうに何か言って、オメガ三人は目を合わせて意地悪そうに笑ったのを察知し、急いでマイネを追いかけた。
ルシャードの耳が紫の女の声を捉えた。
「愛のない結婚なんて、お辛いだけです。きっと後悔することになりますわ」
ルシャードは祝賀会に相応しくない言葉に眉を顰め、怒りを露わにする。
「何の話ですか?」と返すマイネの声がした。
「わかってますわ。お認めになれませんわよね。でも、あのルシャード殿下は嘘がつけない方でいらっしゃるから、マイネ様が心を痛めてないか心配で申し上げておりますのよ」
紫の女の発言に同意するかのように失笑する者の姿もルシャードの癇に障った。
ようやく追いつき背後から近寄ると、困惑した表情のマイネが振り向く。
シルバーの女とグレーの男が、ルシャードの険しい気迫に後退りしたが、紫の女だけは、無神経に頬を染めてルシャードに近寄った。
「ルシャード殿下、お久しぶりでございます。私のこと覚えていらっしゃいますか?」
「知らん」
冷たく言い放つルシャードは、カスパーを抱き上げた。
「私、財務大臣ロハの娘ナギラでございます。近衛騎士団のバザード様と婚約してますの」
「ロハの娘か……恥を知れ。俺がマイネとの結婚に後悔などするわけがないだろ。ロハにも強く言って聞かせないとな。覚悟しておくとよい」
ルシャードはマイネの腰に手を添えると、優しく笑いかける。
「マイネ。エモリーに会いに行くのであろう。俺も一緒に行こう」
呆然とする女を残し、マイネを促してルシャードは歩きだす。
血相を変えた近衛騎士が女に駆け寄って叫んだ。女の婚約者だというバザードだろう。
「何てことをしてくれたんだ!」
「バザード様?」
「ルシャード殿下がマイネ殿下を溺愛されていることは、事務官だった時から近衛騎士団なら知っている!」
「嘘…皆、噂して…だって、おかしいじゃないですか。あんな……」
「言葉を謹め!」
その様子を、驚いた表情や好奇の表情の招待客が眺めているようだ。
マイネの悪い噂は、すぐになくなるに違いない。
ルシャードがマイネだけに向ける愛おしそうなは微笑には、難攻不落だった孤高のアルファの影も形もなかった。
完
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