実技試験:一日目①

 試験当日。悠苑のいる廊下にはほんのり朝色に染まった光が窓から差し込んでいた。


「ほらよ、これ。落としたぜ」

「?ああ……」


 後ろから呼びかけられ、振り返ると三人組の男が居た。髪を染めているのだろうか、桃色の髪を持つ、真ん中にいた男の右手にはシャープペンシルが握られていた。確かにあれは悠苑の物だ。しかし両脇の不良じみた男達のにやけ顔が気になる。


 まあ、きっと幻術を使ったいたずらの類だろう。悠苑はそう諦めに似た確信を持っていた。最初にそのペンを見たとき、僅かにだが輪郭がぶれたような気がした。幻術特有の、相手の感覚を上書きする際に生じる揺らぎ。笑いを抑えきれていない両側の声が悠苑を急かす。


「ほら早く受け取れよ」

「拾ってやったんだから感謝しろよ」

「……ありがとうございます」


 落としたことが分からなかった、という顔をして悠苑はとりあえず受け取ることにした。

悠苑の予想した通り、ペンを受け取るとたちまちその幻術は消え、ガラス片という正体を表して牙を剥く。痛みで受け損ねたガラス片が廊下に軽やかな音を響かせ、三人の笑いを誘う。


「ははっ、こいつガチで信じやがった!」

「マジ傑作だぜ、コレ!」

「やっべもう時間じゃん、行こうぜ」


 そう言って桃色の髪の男が二人を引き連れて校庭へ去っていった。廊下に残ったのは悠苑とガラス片、そして嘲笑の余韻だけだった。ガラス片を片付け悠苑も校庭へ向かう。


 桃色の髪の男。あの男が、三刀みと三廻みくるか。襟元の、正三角に三本の刀が刻まれた家紋を悠苑は見逃さなかった。三刀家は一鬼家と同じく白兵戦に長けた家系のはずだが、彼の幻術には目を見張るものがあった。輪郭の揺らぎに気付かなければ、普通に騙されていたかもしれない。天藍はあの男と今日対戦する予定だったはずだが、勝てるだろうか。悠苑は腕に巻いた時計を見て、廊下を急ぐ。


 校庭に出てみると既に試験は始まっていた。至る所で各々が実力をぶつけ合い、観衆が壁のように取り囲んでいる。試験はランダムに二人が選ばれて実施され、同じクラスの者同士が当たることもある。悠苑は見覚えのある顔を探して歩く。


◇◇◇


 天藍の近くまで迫るにつれて彼女と先程の男、三刀三廻が対峙しているのが分かった。すぐにでも殺し合いになりそうなほどの冷徹な視線を送る天藍とそれをのらりくらりとかわすように周りと談笑する三刀。しばらくして審判役の教員が開戦の合図を上げる。が、しかし。


「……どうした二人とも、もう試験は始まってるぞ?」

「いやー、俺はいいです」


 両者ともびくりとも動かなかった。天藍は自分で場を支配する戦い方よりも相手の場を利用する戦い方をするので、動かないのは悠苑には分かっていた。しかし近接戦闘においてこの場の誰よりも訓練を受けているはずの三刀の方が動かないのは予想外だった。ただ彼が出方をうかがっているだけなのか、それともはたまた……


「この程度じゃ、動かなくても勝てるからな」

「……そうですか、なら結構です。すぐ終わらせますから」


 挑発だったか。それはそれとして、まずい。天藍が明らかに挑発に乗ろうとしている。これは天藍の負けになるかなと悠苑は考え、天藍は悠苑の予想通り右手に握られた自動拳銃の銃口を三刀に向けた。


 天藍は戦闘に銃火器と天使を使用する。制圧力のある自動拳銃と精度を重視した回転弾倉式拳銃を使い分ける二挺拳銃に、弾頭内部に術符を埋め込んだ符弾を用いての近距離戦闘、あるいは室内戦が得意だ。それゆえに校庭のような遮蔽物の無い、開けた場所での戦闘は彼女に不利であり相手の動き方を観察したほうが多少ましだろう。


 しかしそんな事は既に天藍の脳内には無かったようだ。彼女は構えた自動拳銃の側面に滑らせていた右手の人差し指を引き金に持っていき、指に力を込めた刹那に、三刀が口を開いた。


「気を付けてよ、左右に俺が居るんだからさ」


 瞬間、天藍の周りから二人の男が現れた。どちらも体格や風貌が三刀によく似ており、同一人物と言っても過言ではなかった。幻術と分かっているとはいえ異様な光景を目の当たりにした彼女は逡巡した後、迫り来る二人の男の体を撃ち抜いた。体に小さな孔が空いた二人は靄のように周りの空気と溶けこみながら消えていくが、気付けばその三倍以上もの三刀の幻術が彼女を囲いこんでいた。

 その光景に多くの者は感嘆の声を漏らした。幻術とはそもそも人間が天使に近い超次元の力を、人工の天使を作ろうとして生まれたものだ。しかし通常の天使と比べてその自由度の低さと負荷の高さから、戦闘において幻術というものはあまり使用されない。


 幻術とは言ってしまえば自分の思い描いた光景を相手にも疑似体験させる技術であるため、相手もよく知っているようなものでなければ効果は発揮されない。

 例えば工程が複雑な事象、解釈が両者で割れる事象などの幻術はかかりにくく見破られやすい。逆に誰でも簡単に想像出来るものの幻術は見破られにくい。これを満たすためにある程度内容を絞らなければいけない。

 そしてなによりもその自由度と即興性から、定型の天使を呼び出す術符と相性が悪く、肉体を媒介にするほかないため高負荷がかかるのが長期戦や連続戦闘に向いていない理由だ。


 それをあの男は自ら幻術の内容を具体的に言い表すことで天藍に想像させ(実際の幻術の内容はもっと曖昧なものなのだろうが)、幻術にかかりやすくしたのだ。そして彼女と、観衆の脳内で生まれた「まだいるかもしれない」という拭いきれない不安に似た思考が幻術と強く共振し今の状況を創り上げた。周りを巻き込むことで自身のみでリソースを割かずに、広範囲かつ複雑な幻術を完成させた彼の技術は計り知れない。悠苑が分析する間にも天藍は次々と数多にも増殖し続ける三刀を屠っていく。

 一つ銃声が鳴る。

 一人に孔が空く。

 五人、六人、七人。再装填リロードを挟みながら甲高い銃声が七つ鳴き、結局その場を動かなかった最後の八人目に銃が向けられたとき、天藍の手首を不意に現れた九人目が掴んだ。彼女は驚きながらもその左手は腰に携えた回転弾倉式拳銃を掴んでいたが、諦めたのかぱっと離す。


「動かなくても勝てる、と仰っていませんでしたか?」

「そうだよ、だから俺はここから一歩も動いてない。最初からね」


 つまり、天藍と話していた三刀は最初から幻術であり、その後既に展開されていた幻術によって本物の三刀の近くまで誘導されていたということらしい。それを察した彼女は三刀を軽く睨みつける。


「実戦試験実施前の天使および幻術の展開は禁止されていますが?」

「んんー、そうだったっけ?まあでも……」


 三刀は向けられた銃口を気にすることなく、もう一人の三刀の方へと進み、ぶつかる。お互いの輪郭が大幅に揺らぎ、水で溶いた牛乳のように曖昧に混ざり合って一人となった。


「これで、もうどっちがどっちだかわからなくなった。俺以外、誰も幻術を証明できない。それでいいよね、審判さん?」

「……勝者、三刀!!」


 少しの間を空けて勝者が告げられた途端に歓声が周囲からあがる。観衆が三刀の方へなだれ込み、先刻までの壁はもう見る影すら無くなっていた。悠苑は天藍には敢えて触れず、次の試合に出るサクヤを探しに出た。


◇◇◇


 サクヤとその対戦相手、四海よつみ小夜さよのところへ着いたとき、周囲は静まり返っていた。先程のような談笑も野次も聞こえない。多くの者が両者の作り出す重圧に耐えているようだった。


 両者とも武器を手に持ち、牽制するように睨みあっている。サクヤは縄に金属製のおもりがついた流星錘りゅうせいすいの使い手で天藍と同じく先端に貼り付けた術符を活用する戦い方を好む。そしてなによりもその手数の多さがサクヤの強みだ。通常の場合流星錘は両手で扱う物だが、彼は左右に五つずつ、両手で合わせて十もの流星錘を扱う。それを武器にできるのは彼の持つ技量と先天性の感覚のおかげだ。


 彼と相対する四海は右手にダガーのような、両刃の短剣を握っている。四海家は白兵戦のような近接戦闘が得意だったはずだ。相性的には距離的な優位がとれるサクヤが有利だが、一つ懸念があるとすれば四海家独自の天使だろう。その昔に四海家の先祖は素手で天使に挑み、激闘の末勝利を収めたという。その際天使と契約し信仰と引き換えにその身に天使を宿すことを可能にした、というのが伝承として伝わっているが詳しい文献は残されていない。

 天使という力はあまりにも理を超えていて、それに太刀打ちできるかどうかによって勝負の行く末が決まる。


「あいつは、勝てるかな?」

「きっと勝ちますよ」


 悠苑の右隣にはいつの間にか天藍が立っていた。しかし視線はこちらではなくサクヤの方へと向け、声に出さず試合の行方を眺めていた。


「もう立ち直れたか?傍から見たら滑稽だったぞ?」

「やはり最初から幻術でしたか。本当に最悪です」


 試合が始まっても暫くは睨み合いが続いており、やがて周囲の空気が若干緩んできた頃、四海が動き出した。ダガーを逆手に持ち、左手を柄頭に添える。表情を一切変えず、一直線にサクヤへ向かって走り出す。サクヤも反応し、手元から術符を数枚取り出して地面に投げつける。術符が張り付いた場所がだんだんと盛り上がり、やがて天にも届くような背丈の土の柱が飛び出す。正方形を描くように四つ角と対角線の交点に生えた合計五本、発生と同時に周囲も少しあとずさる。


 しかし四海は動じる気配もなく中央の柱に突っ込んでいき、姿を消した。困惑の声があちこちから聞こえる中、一部の者は空を見上げていた。なぜならば四海は地面をきしませる勢いで踏み込み高く飛び上がったからだ。どうやら跳躍だけで柱を飛び越えて奇襲するようだった。それに次々と気付いた観衆も驚きを隠せず、サクヤも驚いていたものの右手を軽く動かし五つの流星錘を空中の四海へと走らせる。

「……ッ!?」

 それに四海は飛び越えた土柱の天辺を掴んで回転するように後退したが、その頃にはサクヤが攻勢に出始めていた。両手を大きく後ろから前へ振りかぶり、十もの流星錘が弧を描く。

 伸縮自在のほうき星の糸は土柱に引っ掛かり、そこを起点にまた弧をつくる。そうして流れた星々の一つが四海のダガーに当たり、彼女の両腕を締め上げる。静寂が訪れた戦場にサクヤの声が響き渡る。


「…これで終わりっす」

「……まだ」


「武器も落とされて、それじゃ天使の掌印も結べないっすよね?」

 四海家ともう一つの家には天使の力をその身で扱えるが、それを行使するには両手を使った掌印を結ぶ必要がある。両手を縛られ離された状態でそれを行うのは、はっきり言って無理だと悠苑は思った。審判役の教師も恐らくこの先の展開を読んで諦めていた。

 しかし彼女の眼は諦めていなかった。

「…舐めないで。私はこれで終わるほど、ヤワじゃないの」

 そう言って彼女は今一度右手を握りしめ、そして。


鉤づめのようにした人差し指を伸ばした形に。


 それが何を意味するのか、周りは理解しつつあった。


中指と薬指を伸ばした形に。


 サクヤもまた気づき、対応しようとするがすでにその両手はふさがっていて動かせない。


人差し指と中指を伸ばした形に。


 片手のみでの掌印。回数を分けることで片手でも成立するようにしたのかと、悠苑は感心した。


 最後に彼女はもう一度右手を握り直す。次の瞬間には彼女に、天使が宿っていた。両腕を縛っていた糸を力と勢いだけで振りほどく、というより引きちぎるといった方が正確な気さえした。

 天使の力を誇示するかのように、五本あった土の柱はすべて壊され彼女の武器も拾われて、気が付けばサクヤは四海に押し倒されていた。同じように、周りもその鬼気迫る速さと天使の異質さに気圧されていた。

 あまつさえ戦略を真っ向から潰され、武器を破壊されたサクヤにはここから立て直せるほどの力は残っていなかった。今度は彼女の声がどよめく戦場に響く。


「……審判さん」

「………っ勝者、四海…」


 審判が勝利を告げる前に、四海が言い放った。その一言は観衆をざわつかせた。

「勝者は、サクヤ・ウァリウスです」

 おっと、流れが変わってきたな。悠苑はそう思った。

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