入学早々
凍てつくような寒さが過ぎて暖かな日差しが差すようになった頃。つい昨日この地に着いたばかりの悠苑たちは制服で、これから三年間通るであろう通学路を歩いていた。後ろから男の声がする。
「やードッキドキだなー、ねねてんちゃん、てんちゃんもそう思うでしょ?」
「…………」
「えー無視?ひどいなあ、悠苑様は?悠苑様もやっぱり緊張しますか?」
大型犬のごとく悠苑と天藍に話しかけてきたのは、サクヤだった。朝からずっと、というより船から降りて新居に着いたときぐらいからこの調子ではしゃいでおり、彼曰く「親元離れて生活するとか、一人暮らしっぽくて良くないですか?!」らしい。気持ちは分からなくもないが、あまりにも突っかかてくる回数が多いので悠苑は軽くあしらうことにした。
「サクヤ。少し黙れ」
「うえーん悠苑様に怒られちゃったよー、てんちゃんどうしよー」
「……サクヤ。ふざけるのも大概にしてください。今のはどう考えてもあなたに非があります」
「うえー、てんちゃんまでそんなこと言うのー?ほんとに泣いちゃうよ?」
「それ以上騒げば、頭に鉛玉をぶち込みますよ?」
「やだてんちゃんこわーい、ゆーえんさまたすけてー」
悠苑にあしらわれ大人しくずずずず、とサクヤが下がったはいいものの、それはそれでもう一人に突っかかっていって面倒くさくなる雰囲気だった。駄目だ、どっちも興奮している。そう思った悠苑は今後の方針も兼ねて二人にお灸をすえる。
「おい、二人とも。少しいいか?」
その一言で後ろで二人が立ち止まるのを感じる。騒がしかった空気は一瞬で緊迫としたものに塗り替えられた。悠苑は振り返り、二人に忠告する。
「いいか、こっから先は敵陣だと思え。そして、なるべく
天使、というのは悠苑たちも含むほとんどの者が唯一操れる奇跡で、その驚異的で人知を超えた力でこの地を楽園と呼ばれるまで発展させた大役者でもある。そして極夜ノ使と白夜ノ使の宗教的な話にもつながってくる。
極夜と白夜、どちらも同じ「運命の掌握者」と呼ばれる超次元的な存在が伝承としてある。しかし白夜ノ使は理不尽にやってくる試練に抗うこと、極夜ノ使は運命に従い試練を受け入れる点において宗派が違う。
そして宗教的な話の中での天使とは運命の掌握者から与えられた謂わば想像を具現化する力のことであり、水蒸気から水滴を作るがごとく空間に散漫した天使を利用して炎や風などを生み出すことができる。また天使の媒介や幻術といったものまで発展しており剣や銃器と並ぶ第三の武器として扱われつつある技術でもある。
少し不満そうな二人の視線を受け止めつつ、あらかた一鬼家独自の技術を使って目にもの見せてやるつもりだっただろうなと悠苑は改めて繰り返した。
「下す命令は一つ、目立つな。矢面に立つのは俺だけでいい」
「……ですが」
「ここは敵陣で、これは上官命令だ。大人しく従え」
反省した様子の二人を見て、また学園へと歩を進める。やがておぼろげながらサンクレア聖堂学園の輪郭が浮かんできた頃、彼女が周りに聞こえないほど小さな声で地面に漏らした。
「私達が、弱いせいで…」
「違ぇよ」
天藍が気付いたかのようにばっと頭をあげた気配がし、直ぐに彼女のふつふつとした怒りの声が背中に刺さる。
「聞いていたんですか、今の」
「まあな。言っとくが
「そこまで卑下する必要は……」
「あるだろ。自分達は悪くない、なんて被害者ぶるのはやめろ。例えそれが上の奴らの教育方針だとしても、だ」
元を辿れば自分の祖先が謀反を起こしたのがきっかけだ。その結果として今でも子供の幼稚な口約束すら許さないほどに両家の間には深い溝が出来てしまった。
やっと見えてきた校門を右に曲がり敷地へ入った、その瞬間。悠苑は感じた。悠苑だけに向けられた、明らかな敵意と殺気。
学園内の、悠苑達に向けられた奇異な視線よりも太く濃い糸のような視線の元には男がいた。緑髪の、周りよりも頭一つ高い身長の男。その男はこちらの視線に気づいてなのか口元に笑みを浮かべ、袖元から一枚の細長い紙を取り出す。術符だ。何の天使かまでは見えなかったが、直ぐに術が展開され空間が球体の形に歪んだように見えた。おそらく風を司る天使だ。手のひらサイズの風の球体が悠苑の所へまっすぐ向かってくる。周囲の誰も気づいていない。しかし怪しい動きをして目を付けられたくはない。そんなことを考えている間にも球体は目と鼻の先まで迫っている。
そして悠苑は踏み込まんとした右足を引き、上体を捻り自身の体に対して球体が斜めに着弾するようにして攻撃を食らう。傍から見れば悠苑は何も無いところで後ろに転んだように見えただろう。実際周りからは誰が転んだのかということに気付いたのかくすくすと嘲笑う声が聞こえてきた。
「悠苑様!?」
「大丈夫ですか!?」
「言ったろ。目立つな」
それにしても気を抜くと気絶しそうなほどの威力だった。あまり攻撃には向かない風の天使でここまでの威力が並大抵の人間に出せるとは思えない。術符で無詠唱、それでこの威力と速度。直接人体を媒体にする方法よりも発動速度が速くなるが威力が落ちる術符と、術の規模が小さくなるが心の中で詠唱し発動を悟らせないようにする無詠唱。それで動く
「……めんどくせぇ奴に見つかっちまったなぁ」
大丈夫だからと言って心配する従者達を先に行かせた後、悠苑も続いて胸を擦りながら教室へと向かった。
◇◇◇
教室に入ると既に多くの者が席に着いていた。悠苑も一番前の端、廊下側の席に着く。どうやら隣の生徒は休みなのか、そこだけ穴が目立っていた。やがて教師が来て教壇に登り、話をし始める。周りから滲み出る期待と誇りが混ざった空気を鬱陶しく思っていると教室のドアが再び開いた。教師までもが話すのをやめて視線が移動する。連られて悠苑も扉を開けた人物に目を向ける。
悠苑よりも高い背丈、びしりと着こなした制服と相反するゆるい雰囲気を醸し出し、襟元には篝家を表す太陽の紋章。そして何よりも全員の目を引いたのはその緑色の髪だった。つい先程悠苑を襲った男。予想外も予想外の早い邂逅に戸惑い固まった悠苑を気にせず、男はこちらに話しかけてくる。
「やーやー、君が僕の隣?1年間よろしくねー」
「名前は……ってさすがに分かるかな?緑の兎で
どうやら彼は独り言が多いタイプの人間のようだ。僕の席はここかな、と言って座り、周りの生徒にも軽く挨拶した後ににこにことした顔でどうぞ僕にお構いなく、と教師に続けさせた。
呆気に取られた教師が話を再開した時、緑兎は小声で話しかけてきた。
「君のこと、彼女から色々聞いてるよ」
「……何の話でしょうか」
「あれ、もしかして御存知じゃない?」
本当に友達のように接してくるやつだ。一体何の用なのか。悠苑は苛つきを抑えられそうになかった。彼の方を見なくても、そのにやにやとした表情が想像出来る。
「純白は、僕の
「あは。こわいよーそんなに睨みつけちゃって。でも、初めて君の本性を知った気がするよ」
知らず知らずのうちにどうやら睨んでいたようだった。極力顔に出さないようにしながらも声は苛ついたままだった。
「……初めても何も、初対面だろ」
「おっ、敬語をやめたねー」
「紙の上じゃ大人しくしてたけど、奥底じゃ渦巻いてるのかな?僕達への憎悪と欲望が」
「ま、それは僕も同じだけどねー」
意外だった。と言うべきか、そもそもこの白夜ノ使に対して反逆の意志や素振りを少しでも見せれば普通に生活することは困難になるからだ。例えそれがただの冗談だとしても。篝家の特権なのか、そういう罠なのか。それとも、本当に本音なのか。
悠苑が信用していないのを察したのか、少し考えた後、緑兎は言葉を続けた。
「なら、とっておきの情報を話そうか。これはまだ五星角にも…旧六星角にも伝わってない」
「なんと、僕たちの学園生活、長くて一年なんだよね〜」
思わず目を見開いてしまった。その悠苑の反応を見てさらに緑兎は笑みを続ける。
「あは。毎回反応が分かりやすくて助かるよ」
「何が原因だ?」
「近々戦争があるのさ、白夜と万楽教とのね」
万楽教。噂には聞いている。手付かずの渓谷に住み、夜な夜な儀式を行っているとかなんとか。そんな伝承ほどの知名度しかない宗教だが、天使とは別の超次元の存在である悪魔の使役に成功したという噂もある。
緑兎は机に大きめの丸と小さな丸をその下に描く。さらに大きめの丸を左上と左下が大きくなるように四つに分け、その交点にも丸を描く。そしてそこを指差しながら独り言のように話し続ける。
「……ここが僕たちがいる中央区。その北東の河と山脈を超えた先の、北の渓谷。ここに例の万楽教の拠点がある」
とんとん、と北の渓谷があるとされる右上に指を置く。
「これで、信じてくれたかな?」
「正直驚いたよ、それでいけると思った浅さにはな」
「あは。辛口だなぁー」
教師の長い話が終わり、新入生は全員講堂に集められた。生徒会の役員を除いて上級生は一人としていなかった。そして最後の代表挨拶に、彼女は現れた。
長く艶やかな薄紫色の髪。線は細く人形のように整った容姿が、その存在感と輝きをベールのようにまとっている。見る者全てに息を飲ませる彼女が登壇する。
「暖かな日差しが差し込み、花々が咲き始め春の息吹が感じられる今日。私達は……」
「…新入生代表、
長い挨拶を言い終えた彼女に、漣のような歓声と万雷の拍手が寄せられる。どうやら彼女にはそれすら眼中に無いようで、淡々と自分の席へと戻っていく。十年前とは大きく変わったその姿を見て悠苑は。
「……はっ、はは」
笑って、ただ拳を握りしめた。誰にも、見えないように。
◇◇◇
「…………で、なんで今怒られてるか分かってんのか?」
「……さぁ、なんで…でしょうねぇ」
「何のことかわかりません」
「ちょっ!?さすがに即答はマズイって!せめてもうちょっと間開けるとか…」
険悪な雰囲気をまといつつある悠苑を前にしても変わらない二人に、悠苑は少しばかり眉間をひくつかせながら続ける。
「お前ら、ここどこだと思ってる?」
「…悠苑様の部屋っすね………」
サクヤがおどおどしながら答える。
「お前らの部屋は?」
「この両隣です」
先ほどのサクヤとは打って変わって天藍がきっぱりと答える。
「で、この荷物は?」
「…あー、それは………」
「私たちの荷物です」
悠苑の言葉にサクヤがびくりと肩を震わせる。天藍は自分が何故怒られているのか分からない、といった感じで変わらずこちらを見つめている。
「あのな、お前らの部屋は両隣だって言ったろ?何でこっちでお前らが荷解きしてんだよ!?」
そういうことだった。あの後入学式は終わり、悠苑たちは零弦が借りていたマンションに着いた。部屋割りは既に決めていたはずだったが、なぜか天藍たちが悠苑の部屋で彼女たちの荷物を広げ始めたのだ。そうして悠苑が緊急会議、もとい緊急説教になったのだが。
「私たちには悠苑様をお守りするという使命がありますので」
ご覧の通り、反省を微塵もしていなかった。それどころかこっちを説得しようとしてきたので、彼女たちの荷物を持たせて渋々玄関まで行かせた。しかし彼女らが外に出る気配がなくなにか話しているようだったので悠苑は聞くことにした。
「いいですか、サクヤ。ここは一旦戻るふりをして、夜に戻りますよ」
「ええ…てんちゃん、さすがにそれは……」
「良くないに決まってるだろ!?」
従者二人の内緒話に悠苑が念押しするように答える。やがて二人は観念したのかそのまま玄関を出ていった。
「ったく、あいつらは本当に……」
頭が良いんだか悪いんだか。
そこに、電話の鳴る音がする。居間の机の上、サクヤの携帯が置かれたままになっていた。彼の携帯を手に取り、発信主の名前を見る。携帯の画面には零弦様、と表示されている。
なんで親父が、と思いながらも悠苑はその電話に出ることにした。
「もしもし?」
「おお、悠苑か。丁度いい。どうだ、そっちは?うまくやっていけそうか?」
「従者が言うことを聞かねぇ」
「ははは、そうか。まあ、私の命令だから仕方ないな」
やっぱりそうか。天井を仰ぎ、悠苑はため息をついた。たとえ次期当主の従者であっても、当主の命令には従わなければいけない。さらに直々の命令であればなおさらだ。こういうことがあるから次期当主の立場は面倒くさい。
さらに二言ほどの会話を交わしてから悠苑は電話を切る。携帯電話を取りに来たサクヤに返し、静かになった空間に一人悠苑はソファに座り込む。
「来週は、実技試験か……」
来週には一週間全て使って前半は個人、後半は団体に別れての勝ち抜き方式の実践試験が行われる。既に悠苑たちの元には対戦相手が公表されている。天藍は
結局、天藍たちは翌日には悠苑の部屋に当たり前のように居た。
アウトサイダー 推炭修 @051T4N
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