船出
才能とはなんだろうか。何をもって才能というのか。何を才能と言えるのか。本棚で埋め尽くされた部屋の一角、引き続け古びた辞書を手に取ってみても、そこには知る必要のない無機質な言葉が永遠に書き連ねられているだけだ。
生まれつき備わった他人より抜きん出た素質。ある個人の一定の素質や訓練で得られた物事を成し遂げる力。
知りたいのはこんなことじゃない。才能とは何だ。圧倒的な力か?すべてを見通すような策略を持つ頭脳か?限界を迎えるほど努力をし続けることができる根性か?
まだ少ししか生きていない自分には誰が才能を持っているだとか、誰には才能がないだとか言いきれる自信はなかった。しかし、これだけは言えた。自分には才能があった。血反吐を吐くような努力もできた。それでも一鬼悠苑と
しばらくの間月光に照らされた文字をぼんやりと眺めた後、悠苑は目を閉じ重い息を吐いてぱたんと辞書を閉じる。駄目だ、やはり疲れている。最近見る夢のせいなのか、これからのことを無意識に考えてしまっているからなのか。いずれにせよ、このまま本島に行けば身が持たない。
せめて寝不足だけでもどうにかせねば、と悠苑が閉じたそれを本棚にしまったところでここでしたか、と部屋の入口から声がした。声のする方向を見ると、そこには悠苑の従者である黒髪の制服姿の少女が明かりを持って佇んでいた。腰まである髪と氷を連想させる表情を崩さない彼女の名前は、
「船の手筈が整いました。すぐにでも出発できますが、いかが致しましょうか。」
「ああ悪い、探させたな……そうか、もうこんな時間か。制服に着替え次第、すぐに向かう」
「承知致しました。では、波止場にてお待ちしております。」
従者が出て行った後、自室に戻り制服に着替えた悠苑はそのまま外へ向かおうとして、立ち止まる。自室の前で振り返り、何も残らなかった部屋を見る。寝具も、衣類も、全て必要なものは船に積んだ。手元に残されたのは着替えた衣類が入ったリュック一つだけ。
しばらくここには戻らない。地獄のような日々が待つ本島で、サンセクレア聖堂学園で暮らすことになる。反逆者の末裔として、惨めに学園生活を送ることになる。
反逆者。ちらつく夢の片鱗を拭い消すように目を強くつぶり、絞り出すようにつぶやく。
「……もう、俺はあの時の俺じゃない」
もうあの時の
そう言い聞かせながら、悠苑は外へ向かった。
時刻は午前三時。悠苑は島の最北端に位置する波止場に来ていた。月明かりが出ていて少しは明るいがそれでも薄暗い。それでも悠苑の目は見覚えのある二つの人影を捉えていた。悠苑よりも小さい人影と、同じぐらいの背丈の人影。悠苑が少し駆け足気味に近寄ると、二人の姿が見えてきた。黒髪を短く切りそろえ、作務衣のような服を着ている子供と紺色の着物をきた初老の男。悠苑は近づいてくる二人に話しかける。
「
「馬鹿、何言ってんだ。息子の制服姿は親として一目見ておきたいだろう?」
「お兄様、制服姿すごく似合ってます!」
そう言われるとどんな反応をしたらいいのか分からず、悠苑は言葉に詰まる。そんな悠苑の様子は気にせずまあ、それはそうとして、と悠苑の父親、
「最後にお前を一目見たいのもあったが、お前にこれを渡しておきたくてな」
そうして悠苑に手渡されたのは、一振りの打刀。外見は一般に流通している打刀と変わらない、黒の鞘に真四角の鍔。しかし、柄頭には悠苑が着ている制服の襟の紋章と似た三日月の装飾があしらわれている。悠苑はそれに覚えがあった。一鬼家の家宝のような扱いを受けている刀、『
「いいのか?親父のお気に入りだろ、それ」
「本島で暮らすならこれくらいは必要だろう。親から息子への餞別だよ」
それに、と少しうつむきながら零弦は独り言のように呟く。
「私にはもうこれを扱えるほどの若さはない………まあ、お前なら『
「あ?それの名前って『弧月』じゃ…」
「言ったろう、もうそれを扱えるほどの若さはないと」
半ば強制的に、若干もやもやとした気持ちのまま悠苑はその刀を受け取った。増えた荷物を抱えて小型漁船に乗り込む悠苑の背中に、晴斗たちの声がぶつかる。
「お兄様、いってらっしゃいませ!」
「頑張ってこい、悠苑」
それに押されるように一歩を踏み出し、船は出発した。悠苑は波止場の方向を向き、二人の影が見えなくなるまで見つめていた。やがて島全体が少し小さくなった頃、天藍が悠苑に話しかけた。
「悠苑様、荷物をお預かりします。」
「いい、自分で運べる。俺は船内で本島まで仮眠を取る。お前らは交代しながらでいいから護衛を頼む」
「分かりました。サクヤにもそう伝えておきます」
船内に入り、悠苑は仮眠用のベンチに横掛ける。真っ白く塗られた部屋の天井を意味もなく見つめる。小刻みな船の揺れに身を委ね、目をつぶる。数回呼吸する間に悠苑の意識は深い沼に落ちていった。
◇◇◇
仮眠室へ向かう悠苑を見送り、その背中が見えなくなっても天藍はその空間をしばらく見つめていた。視界を固定したまま、天藍の思考だけは動き続けていた。
やはりお疲れなのだろうか。この頃、今まで以上に鍛錬に力を注いでいる気がする。それに、目の下のクマがより濃くなっている気がする。やはりサンセクレア聖堂学園での生活に不安を感じているのか。なんにせよ悠苑様の身に何かあれば私が……
「私が命に代えても守る、って?ひどいなー、てんちゃん。俺のことは戦力外扱いする気?」
気づかない間に物思いにふけりすぎていて、天藍はすぐ後ろからの声に気付かなかった。少しびくりと背中を震わせ、聞き覚えのある声の主を振り返って確認する。
天藍よりも背が高い、程よく筋肉がついた金髪の男。悠苑と同じ制服をその屈強そうな体にまとっている。
「なんですか、サクヤでしたか。いつからいたんですか?」
「てんちゃんと悠苑様が話してるところを見てー、そっからずっとって感じ」
にしても随分と悠苑様の心配するんだねぇ、とへらへら笑いながらサクヤは言う。 その言葉に天藍は少しむっとした。そんな天藍の様子に気付く素振りもなくサクヤは続ける。
「俺は大丈夫と思うよ~、悠苑様は。逆に心配なのは、てんちゃんの方かな~」
「……それはどういう意味?」
「文字通りだよ、てんちゃん。気ぃ張りすぎ。まさかここまで《白夜》のヤツらが攻めてくるってマジで思ってる?」
「……攻めてきても、おかしくないでしょう」
ここには悠苑様と天藍たち、そして船の操縦士の四人しかいない。万が一襲撃されたら、悔しいが悠苑様を守り切れる自信はない。天藍はそう考えて言ったが彼の反応は、てんちゃんのおカタイところは今も昔も変わんないね~と船の手すりに寄りかかって溜息をつくだけで、危機感はあまり持っていないようだ。
「……いっそのこと、お互い恥もプライドも捨てて仲よくすればいいのに、そう思わない?てんちゃん」
それは無理でしょう、と出かけた言葉を天藍は飲み込む。彼の放った言葉がいつもの冗談のようなものではなく、心の底から願っているような言葉な気がしたからだ。しかし、心の中で天藍は思う。そんなにこの世界はうまくできていない。元を辿れば、私たちが悪いのだから。今も語り継がれるその物語を、昔天藍は聞かされた。
その昔、一鬼家は他の五つの家を含め
しかし、そんな栄光は自らの手で破壊された。その数世代後、当主となった
、残された親族や一鬼家についていた家はみな二度と攻め込めぬよう流刑となった。
わざと生かし、一生嘲笑い続ける。何年もの歳月が経とうと、いくつもの世代が交代しようとも、それは薄れることなくより重さと残酷さを伴って受け継がれてきた。
「………ちゃん、……る?……い」
「………もしかして思いの外傷ついちゃったりしちゃった?おーい、てんちゃーん」
サクヤの声を聞いて、いつの間にか俯いてしまっていた頭をあげる。天藍がちらりと隣を見ると彼は心配そうな表情をしてこちらを見ていた。どうやら長い時間黙っていたらしい。少し茶化して言った彼に諸々の怒りを抑えながら言い返す。
「…別に傷ついてなんかいません。少し考え事をしていただけです」
「はは、そっか……ところでてんちゃん、敬語やめよ?話してて距離感じるんだけど」
「あなたの方こそ砕けた話し方はやめてください。学園内で使えば主の箔に傷がつきますよ?」
「まあまあそんなこと言わずに………ってあ、見て見ててんちゃん、夜明けだよ夜明け、キレイな夜明け」
サクヤに言われ渋々後ろを向き、その景色に天藍は息をのんだ。
天藍が振り向いた瞬間に世界全てを照らすような太陽の光が差し込み、海面はその光を反射し豪奢なカーペットを作り出す。天藍は反射的に少し目を細めながらもその光景に思わず呟いた。
「……きれい」
「キレイだねー」
目が痛くなるほどの光景から少し目線をそらし、目と鼻の先にある島を見つめる。噂には聞いていたが、想像の何倍もあろうかという島だった。もはや大陸と言っても遜色はない。篝家率いる《白夜ノ使》の人間が住む島、通称「楽園」。
大陸を六つに分けた区画のうちの一つ、中央区。そこにある選ばれた優等生しか入れないサンセクレア聖堂学園。強制的に入れさせられたその学園できっと、私たちは地獄を見る。朝日を見るのが今日で最後になる可能性だってないわけではない。
漠然とした不安。それよりも多くのものを背負っている悠苑のことを考え、サクヤに勘づかれないよう静かにぎゅっと拳を握りしめた。
◇◇◇
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