霞んだ桜色

樹暁

霞んだ桜色

 この季節になると、あの景色を思い出す。地平線の果てまで続く桜並木。ただそれだけ。しかしその景色はここ十数年私の心を捕らえていた。いつ見た景色なのか、誰と何の目的で行ったのか。何も思い出せない。それでも美しい桜の景色だけは脳裏に焼き付いている。

「よし、探してみよう」

 私は気付くとそう声に出していた。思い立ったが吉日と言うだろう。手元にあったスマホを操作して『桜並木』と検索してみる。様々な桜の名所が提示されるが、その中のどれも記憶にある景色と合致しなかった。

 職場の友人に聞いてみた。

「綺麗な桜の景色を知らない?」

 友人は答えた。隣県のなんとか山の桜は有名なのだと。早速次の休日にそこへ赴いた。スマホの画面越しに見るのと実際に見るのとではきっと違って見えるだろうから。しかしそこにあったのは私の求めるものではなかった。

「綺麗な桜の景色を知らない?」

 山の木に聞いてみた。木は何も答えなかった。遠回しに貴方は綺麗じゃないと言われて機嫌を損ねてしまったらしい。私は歩みを進めた。季節は移り変わり、深緑が眩しい夏になった。

「綺麗な桜の景色を知らない?」

 木に留まっていたホトトギスに聞いてみた。

「東へ。そこに君の求める景色があるよ」

「そう。ありがとう」

 東へ歩いた。また季節が変動して、赤い紅葉が印象的な秋になった。

「綺麗な桜の景色を知らない?」

 どんぐりを頬張るリスに聞いてみた。

「更に東へ。もっともっと、海の向こうへ」

 私は山を抜け森を抜け、海を渡った。紅葉も銀杏も枯れ切って、大地を白銀が覆う冬になった。

「綺麗な桜の景色を知らない?」

 溶けかけた雪だるまに聞いてみた。雪だるまはズレたボタンの目で私を見た。

「あともう一回海を渡って、山を越えたその先に。君の求める桜があるよ」

 私は歩いた。歩いて歩いた道の果てには、見覚えのある光景が広がっていた。季節は春になっていた。

 私は家に帰ってきた。落胆からか安堵からか、ほう、と溜息を吐く。ふと庭を見ると、美しい桜の木が、はらはらと花びらを散らしていた。


 桜の景色は、すぐそこにあったのだ。


「お母さん」

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霞んだ桜色 樹暁 @mizuki_026

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