人に興味を持った龍神(の分身)の物語

……


……


気がつくと、自分の一部が興味を示して、それを見ていた。


戸惑った表情で、本音を隠しながら強がって、本当は今にも泣き出しそうな君を……。そんな君に、自分の一部は非常に興味を持ったようだ。


君の行為は幼稚であり、悲痛で、なぜ双方がこんなに苦しむのかと。本来であれば二人のうちどちらか、あるいは両方が寂しさの中にも内心ホッとしているのが恋仲の別れだと思う。


なのにどうして、こんなにも疑わしい光景なのだろうか? そして、泣いても何も変わらないのに、人間はなぜ涙を流し続けるのか。


「よーし、謎多き神の僕、人間よ。私の一部の一時の暇つぶしになれることを光栄に思うが良い。」


クッ……クク。


富士山ほどの大きさの龍は、鬣を何本か毟り、本体に比べたら非常に小さな、小さな分身を作り出した。半透明の小さくなった龍、小さいと言っても、優に3メートルはある分身。


その分身は迷うことなく、人気のない道の隅に路駐されている車の中にいるその者へ優雅に宙を泳ぎながら近づいた。


「……グスッ……これで……これで良かったんだ……」


生まれたばかりの龍神の分身は、ふらりふらりとその者の様子を伺いながら、どう第一声を上げたらいいか悩んでいた。その龍神は、人間とさほど変わらないが、ごつい青い手でそっと人間の頭に触れたが、あくまでも小さな実体を持たない分身。するりとその者の頭に手が入っていった。


「……おわっ……」


生まれたばかりの龍神は、興味のある対象ですら触れられないことに少し驚いた。数本の鬣と神聖な魔力でできた分身であるから当然かもしれない。ただ、生まれたばかりの分身は、目的……というよりは興味の対象に関与すること以外の知識は薄かった。触れられないことにがっかりした。もしかしたら、人間のもっとも重要とされる『会話』も……?


だとしたら、退屈な存在だな……。と思った矢先だった。


「うっ!……うわっ、何!!」


「ぬぁっ!!」


車中に響く大きな声。思わず、1メートルほどたじろぎ、分身は車のフロントガラスをすり抜け車の外に出た。


「急に大きな声出すなよ! 五月蠅いな……」


そうは言ったものの、車の中の人間はポカンとしていた。


「……おーい?」


……。


泣きすぎて充血した目にはまだ涙が残っているが、ポカンと口を開けている。


「おーいってば……?」


……。


また無反応。しかし、突然「ハッ」とした人間は、涙をぬぐうのも忘れ、車から勢いよく出てきて目を輝かせて言った。


「も、もしかして、龍(ドラゴン)さん?」


「ぉ……ぉぅ?……」


「わぁ……」


目をきらびやかに輝かせる人間。泣いていた時とは別人のようだった。


「……ぉ……ぉぅ……」


注がれる尊敬のまなざし。それは不思議と悪くないが、少し背中にこしょばゆさを感じた。よくわからんが、人間は不思議な生き物のようだ。


「泣いたり、笑ったり……人間は、忙しいようだ」


「んっ……? 何?」


不思議そうに問いかける人間。


「……何でもない」


それから十数分、そのまま会話をした。


まずはファーストコンタクトとして、互いの自己紹介をする。俺は自己紹介をしながら現状や自分の実体について整理した。本体は世界を見守ってきた大きな龍神で、その鬣数本と神聖な魔力に生まれた存在。どうやら触れることすらできないが、離れていなければ対話はできるようだった。


先ほどの「おーい」の呼びかけは、フロントガラスという遮蔽物があったので声が届かなかったらしい。触れないがすり抜けることができる以外はあまり大差がないのかもしれない。現時点では、養分の摂取や排泄の有無はわからない。また、生まれたばかりのせいか、あまり知識を持っていない気がする。最低限の会話と、必要に応じてその意図や意味がわかる程度だろうか?


このさっきまで泣いていたのに、今は好奇心と尊敬のまなざしで俺を見てくる人間は、年は30過ぎ。30過ぎというのは、生まれてから365日を30年(4年に一回366日)生きた人間で、家庭の事情となんやかんやで大事な恋人と別れたらしい。笑いながら「これで良かった」と言っているが、こいつの本音はどうなんだろう?


「いやー、ほんと、ほんと、これで良かった。良かったんだ、龍神様とも知り合えたんだし。ね? 良かった、良かった……」


「……」


笑顔が引きつるその顔。そして、時折鼻をすすっていた。


……強がっている?


よくわからない。


【強い】 つよ・い 


1.(芯がしっかりしていて)力が豊かだ。 


2. 力や技が優れていて他に負けない。


【強がる】 つよが・る


1. 強そうなふりをする。


2. 見せかけ。弱い自分を偽る。弱い自分を隠す。


事態を飲み込めていなくても頭は勝手に動いている、変な感覚。そして、無意識に言葉を発した。


「……帰るわ……」


【帰る】 かえ・る 


1. 元いた場所に戻る


2. その場を去る。


「へっ?」


人間が驚く。表情が次第に曇っていく。


(……?)


発した言葉の意味を理解し、自分自身が言葉を疑った。


(……なぜ?)


しかし、その意図はすぐに理解するのであった。


「……ぁ……ぅん……そうなんだ……」


先ほどの人間は別人だったかのように、元の泣いていた姿に近いものが見れた。


それを見る。


いや視る。


『悪いこと言ったかな……』という常識からくる罪悪感はほんの一瞬。それよりも強い本能がそれを欲する。


俺は人間を視るために生まれてきた存在。端的に言おう、こいつが、60億もいる人間のたった一人がどうなろうと知ったことではない。


それよりも、知識を求める好奇心で唾液が溢れるのを感じる。どん底から這い上がってその直後に急な幸運に酔いしれる人間は、それを取り除かれるとどう行動するのだろう?


「……ああ、達者でな……」


「……ぁ……ぁっ……」


眼を鋭くして注意深く視る。震える唇、涙で潤む瞳。先ほどまであんなに喜んでいたのに、こうも急変するものなのか?


……実に興味深い……。


ゴクリと唾を飲んだ。音などはない。ただ、飲んでも間もなく、再び唾液は溢れた。


人間は、震える下唇を歯で噛むと、意を決したのか、おどおどと言葉を発した。


「……まっ、また会えま……?」


しかし、それを待つ間も作らず、間髪入れず俺は言葉を発する。


「もう会うことはないだろう。楽しい時間だったぞ、感謝する」


くるりと背を向ける。本当は背など向けたくなく、どう動いているのか人間を注意深く視たかった。ただ、引き留められない限り、振り向くのは変だろう。


「そっ、それは……」


人間のか弱い声。数分間楽しそうに話していた声とは似て非なる声。


俺はゴクリと唾を飲んでから、振り向いた。


「なんだ……?」


知識を得られる興奮でにやけそうになるのを堪えながら、平然を装い人間を視る。


「そっ、それは、魔力が切れるとか、本体に帰らないといけないとか、そっ、そういうことですか?」


「……それはない」


「……ぅっ……」


即断すると、人間の目から涙がこぼれ始めた。何度目か分からない知識が再びスッと入っていくのを感じた。それと同時に言葉を発していた。


「期待……か?」


【期待】 き・たい 


1. ある人がそれをするのを(他の人が)あてにし、心待ちに待つこと。将来それが実現するように待ち構えること


2. 良い結果や状態を待つ。


「……っ」


人間は、頷きもせず、ただ視線をそらした。そして、唇を噛みながら最もか弱く声を漏らした。


「……っ……うっ……ぐぅっ……」


もっと視たい、再びどん底に落としたい。そんな欲求がこみ上げる。


『なんで?』とか『もっと話したい』とか、次に来る言葉は何だろう?


好奇心の渦は激しくなった、何倍も、何倍も……


しかし……次の言葉に……


俺は拍子抜けした。


「……あっ、あり、ありがとうございました」


「はっ……?」


今度は人間の言葉に目を疑った。押しつぶされそうな心の中、どうして、どうして感謝できる?


そして、人間は、俺の方を向いてから、唇をかみしめながら、精一杯、口角を上げ涙を流しながらも、笑顔を演じた。人間はこんな時ですら、『強がれる』のか……。


好奇心の欲に抗わない俺に……感謝を言うのか?


【感謝】 かん・しゃ


1. ありがたく思って礼を言うこと。心にありがたく感ずること。


……


「興ざめだ」


言うでもない、本当の意味で興が覚めた。彼の『ありがとう』によって。


「ぇっ……ご、ごめんなさい。でも、本当に貴重な時間で!……すっごく元気貰ったっていうか」


不機嫌になったのを察したのか急に取り繕い始める人間。そんな精神的余裕がどこに残っていたのだろう?


「元気……ねぇ」


1. 活動のもとになる気力。また、それがあふれている感じであること。


2. 体の調子がよいこと。


「ぷ……どう見ても、今にも死にそうだぞ? 何が元気だよ」


「……? お言葉ですが、おっしゃる意味が……」


「その言葉そのまま返すよ」


「え……んんっ……」


「く……クク」


駄目だ、こいつといると、本当の意味で笑えてくる。そして、その笑みは、心地よく澄んだ気持ちになれる。


「しばらく傍にいてやるよ、人間。もう一度名を申せ、呼んでやる、感謝しろよ?」


「へっ……? 傍に……しばらく……? どれぐらい?……ずっと? え? 名前? 呼んでくれる?」


涙が乾き、今度は慌てふためいている人間。それを見ていて、ついに可笑しく声に出して笑った。


「くっく……くははっ!! 良いなぁ、ほんと良いな、気に入ったぞ、人間」


「……状況が読めません……」


そういう人間だったが、俺が人間の目を見てニカッと笑うと、人間も笑ってくれた。そして、それは、心の何かが満たされるような不思議な感覚だった。


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