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  • 春夏秋冬の俳句を楽しませていただきました。春の句に心を掴まれ、夏の句から感じた名残惜しさに胸を打たれ、秋の句は情景が目に浮かび、冬の句を読み終えた今、優しい余韻に浸っています。
    「心細かろ」が、どことなく温かい感じがして、心許なさが身に迫る場面でありながら、温もりも感じました。すごく素敵でした!!

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    春夏秋冬の句をそれぞれに味わっていただき、うれしいです。表情はちがいますが、どの季節も美しく愛おしいですよね。
    「心細かろ」にはまさに、心許なさと、だからこそ沁みる温かみとが出ればいいなと思っていました。
    ☆もいただいて、ありがとうございました!

  • 久里 琳さま

    こんにちは。

    音ばかりに目がいって申し訳ないのですが、それでもこの句も音が気になってしまいます。「心ぼそかろ」って見事に「o」ばかりで、この句の中心となるイメージの「こな雪」の「o」と呼応している気がしました。

    心もとなさは、漠然とした不安が強まりつつあるときにこそ、最も身に迫って感じられるのではないでしょうか? それが極限に達すると、恐怖となるのでしょうか。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    歌謡は音の響きも重要な要素ですよね。同じ音が多くなるのは、意識したわけではありませんが、自然とそちらの方へ流れていったのだと思います。
    ちなみに関西弁は音を揃える傾向が強いのですが、他ではどうなんでしょうね。例えば、「来ない」は関西弁では「こおへん」でもいいですが、「けえへん」「きいひん」と言う方が自然です。(さらにちなみに、トルコ語もその傾向が強いです)
    具体的に現実化する前の、漠然とした不安。心が安定しないのはそういう時なんでしょうね。
    4句にお付き合いいただき、☆もいただいて、ありがとうございました!

  • 『ちぎりし』いいですね。
    「まだふみもみず」の二重の意味みたくて、脱帽です。
    物憂う秋、切なさが残ります。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    「まだふみもみず」も手紙の歌でしたね。平安の頃にすこし近づけて、掛詞にチャレンジしてみました。
    ☆もいただいて、ありがとうございました!

  • 昼間のギラギラした海が、夕陽の海に。
    その中で思いを残す子供たち。
    シャワーの視点が新鮮です。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    楽しかった一日と、それが過ぎていってしまう切なさがないまぜになる、なんとも言えない気持ちってありますよね。それがシャワーに表れていればいいなと思います。

  • 久里様、こんにちは。
    咲き誇り、人を楽しませ、潔く散る花に思いを寄せる久里様。
    久里様のお人柄が表れた句ですね。優しさが伝わります。

    作者からの返信

    お越しいただき、ありがとうございます!
    花に心を楽しませたり、慰められたりする人は多いですよね。
    星都さんから人柄と仰っていただけるのは、とりわけうれしいです。

  • 久里 琳さま

    こんにちは。

    今気づきました。四句は四季(とこころ)の変遷を表していたのですね。

    い行の音が多いのですね。そして「ちぎりし」と「ちりて」の「ち」で始まる動詞。「い」の音も「ち」の音も毅然とした強いイメージがあります。

    秋風が吹きわたり、恋がすでに自分の手から消え去っていたことを客観的に詠みつつ、それらの音により、かすかに主観をにじませたような印象を受けました。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    四季それぞれの情景と心情を映し出そうとしました。移ろいを感じていただけましたら幸いです。
    同じ音がつづくのは、響きに心地よさを感じる要素の一つですよね。どんな音が連続するかで印象も変わると思います。
    恋の終わりを迎えて心が揺れ動くさまが、客観と主観との間を行き来するような句に表れたのかもしれませんね。

  • なるほど、ちぎりが二重なんですね。

    作者からの返信

    お越しいただき、ありがとうございます!
    二重の意味をもたせてみました。あまり技巧に走る歌は好きではないのですが、このぐらいならいいかな、と。
    ☆もいただいて、ありがとうございました!

  • 久里 琳様

     四季の歌、楽しませていただきました。
     どの歌も、移ろいと慈しみ深い眼差しを感じさせる歌と言う印象を受けました。散りゆく桜は美しくも最期の瞬間でもあり、一つしかないシャワーを使うのは楽しい一日が終わる合図でもあり、散りゆく手紙は恋の終わり、こな雪の白さが濃くなる日暮れ時。
     切なくも綺麗な歌ばかりですね。

    作者からの返信

    お越しいただきまして、ありがとうございます!
    移ろいと慈しみ深い眼差し、、そのように受け止めていただいて、うれしいです。
    短い花の盛り、あまりに早く過ぎゆく楽しい時、幸福感、、、それぞれの終わりを歌う句だと読みとると、切なさが増しますね。
    ☆もいただいて、ありがとうございました!

  • 久里 琳さま

    こんにちは。

    これからの季節にぴったりの一句ですね。

    二句の白砂の「白」が初句のシャワーから流れ出す水と結句の海の波頭の白を繋げるように感じました。一本きりのシャワー、黒砂でなく白砂であるところが、時のはかなさと同時にきらめきをも思わせます。

    何より「砂をおとす」を拾い上げる感性にうなりました。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    夏がやってきますね。その前に明日は全国的に大雨の予報ですが、、シャワーというには激しそうです…。
    砂をおとすという言葉からイメージを広げられ、一本きりのシャワーと白砂に夏の眩しいきらめき、同時にはかなさも感じとられるのが佐藤さんの感性だなと思いました。

  • 確かに、夕焼けの時刻が一番人恋しくなるように思います。
    そう言えば赤ちゃんが意味なく泣くのもこの時間帯ですよね。

    雪の夜は案外小さな明かりを集めて意外とほんのりと明るいものですものね。
    「所在なく漂」って地面に落ちた粉雪も、自分がその光を反射してい一部だと気づいたら、どんなことを思うのでしょうか。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    夕焼けの頃はアンニュイになりがちですよね。赤ちゃんが泣くのもわかる気がします。
    一方で雪夜はふしぎと安心感がありますね。ほんのり明るく、静けさに包まれるのが心地いいのでしょうか。粉雪もその景色のピースにはまることで居場所を見つけてほっとするかもしれませんね。

  • ちぎるが同じ音で反対の意味なのが皮肉というか、今に対する悲しさを倍増させる気がします。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    幸せだったちぎりが、悲しいちぎるに変わる機微、感じていただいてうれしいです。
    ☆もいただいて、ありがとうございました!

  • 楽しい時間のあとのほのかな感傷が滲んでいますね。潮の匂いがしてきました。

    作者からの返信

    お越しいただき、ありがとうございます!
    楽しい時間の終わりはじんわりとさみしさを感じもしますが、潮の匂いといっしょに楽しい思い出が残るといいですね。

  • こちら、抜かしておりました。

    海の夕景ですね。

    潮の香り、白い砂は流して帰れても、焼けた肌はきっと夏中残って海を思い出させるのでしょうね。

    この子どもたちが大きくなって我が子を連れて来てくれるといいなとおもいました。

    作者からの返信

    ひとつ戻っての応援、ありがとうございます(^^)
    仰る通り、洗い流しても消えないものはあるんですよね。焼けた肌と思い出、ずっと子供たちの心を明るくしてくれればいいなと思います。そしていずれは彼らの子供たちが新たな思い出を刻んでくれれば素敵ですね!

  • 頬を染めて恥じらう春も、両手を伸ばして燃え上がる夏も味わい、そして季節も人生も秋。
    一人立つ草原を朱に染め沈みゆく夕陽。
    乾いた風が草とともに手のひらに乗せた紙片を運び去る風景を思い浮かべました。

    この人物には悲しみよりも、諦念ある悟りのような、冬に向かう勇気のようなものを感じます。

    さて、これ正解でしょうか?
    これから戻って解説を読んで来ますね!

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    奇しくも「レター」がテーマですね(^^)
    春と夏が熱く燃える時期なら、秋と冬はそれが低調になる時期、、とはいえ秋は実りを迎える時期でもありますね。
    いずれやってくる冬にも、けっして後ろ向きにならない勇気。このコメントから新たに勇気をいただいたような心地がします!

  • 久里 琳さま

    こんにちは。

    久里 琳さまの詩歌を拝見するのはとても楽しいです。

    この句、ぱっとみて、視点が人から自然へと移動していくのを感じました。表音文字であるひらがなから表意文字である漢字への移り変わり(初句の漢字ゼロから結句の四つへ)がその効果に一役買っているのかな、なんて思いました。

    意味がまた、久里 琳さまらしくて(^^;)。本当に好きです、この一句。

    苦言を心でつぶやくことにより、周囲の花見客たちの迷惑なほどの賑わい、さらには花真っ盛りの様子までもが彷彿とさせられますね。十七文字の豊かな可能性を感じます。

    作者からの返信

    お越しいただき、ありがとうございます!
    視点の移動と文字遣いの移り変わりを重ね合わせる着眼がさすがですね。それまで喧噪が気になっていたのが、花と向き合っているうち周囲の様子は目にも耳にも入らなくなって、あとには自然と自分だけが残ったような。
    十七文字の豊かな可能性は、作者だけでなく読者の感性でさらに広がっていくんだなと思いました。

  • 私はむしろ口をポカンと開けて見ちゃう方かもしれません……。
    最近忙しくて花見に行ってませんが、ただ静かに散りゆく様を見入るゆとりも無いのが無いのが残念です。
    しかし日本人としては、年に一度位、桜が散りゆく潔さをしっかり心に留めたいものです。

    作者からの返信

    お越しいただき、ありがとうございます!
    口をポカンと開けて、、それこそが花にとって最上の賛辞かもしれませんね。
    私も花見に行くというより、通勤時やジョギング中に花の下を通って眺めるばかりですが、おかげで一人でゆっくり花に対することができるように思います。
    日本に生まれてよかったと思うことのひとつですね。

  • 久里 琳 様、こんばんは😊

    桜の花が舞い散る様子って、風情があってつい見惚れてしまいます。

    >花びらが潔く散って地に着くまでのあいだだけはせめて、花の最期を神聖なものとしたい……そう願われる久里様の想いの籠った俳句、素敵です。

    作者からの返信

    お越しいただき、ありがとうございます!
    桜は散る時の風情がいいですよね。
    花の最期を神聖なものに、、その願いを込めた句が素敵とのお言葉、うれしいです。
    ☆もいただいて、ありがとうございました!

  • 桜の名所ではよくある賑やかな花見ですね。

    そんな人の営みなど素知らぬふうに咲き散って行く桜に、一人心を寄せている久里琳様が並木の下で一人立ち止まっているようなイメージを受けました。

    作者からの返信

    お越しいただき、ありがとうございます!
    花をそっちのけで騒ぐのも嫌いではありませんが、ただ無心になって花を眺めるのもいいですよね。花に心を寄せて。
    ☆もいただいて、ありがとうございました!