10. プラネタリウム
王都大学が管理している基幹魔術の儀式場は地下図書館と大学のちょうど中間に位置していた。
大学の研究者は通常、端末である幻鏡を介して術式の行使をすれば済むので実際に行く必要はない。
直接赴いて魔術をその場で行使することもできるが、大学の審査が必要になる。
なぜなら、幻鏡で行使する術よりもできることの幅が広くなるため、予想外の影響を他の術式に与える可能性があるからだ。
そういう理由で儀式場への出入りは厳重に管理、記録されていた。
しかし見学だけなら申請すればさほど難しくない。
地上では見られなくなった、古代の太陽や星の動きをシミュレートしている様子を眺めることができるので、学生の中には足繁く通う者もいるらしい。
昔(何百年前だろうか?)は儀式場での魔術の行使はそこまで厳重ではなかったようだ。
だが、儀式場の魔術基盤を私用する者が絶えなかったため、次第に管理が厳しくなっていったらしい。
「なるほど……司書精霊もそういう管理が厳密でなかった時期に大学の基幹魔術に常駐させたわけだ」
キアロンの言葉にオーギュはその通り、と頷く。
「当時のモラルの是非は問われるかもしれないが、それは別の機会にするとして。司書精霊は今日まで公に明かされていないため、儀式場で直接呼び出して確認することはできなかった」
儀式場へ直接行って常駐している司書精霊を呼べば、審査で魔術の内容を申請する都合上、その存在が外部に知られてしまう。
これまでその方法は検討されることもなかった。
しかし、キアロンの特性を利用すれば、儀式場から幻鏡を伝って、精霊に会いに行くことができるはずだ。
オーギュベールが術式を行う必要がないので、記録には何も残らないというわけだ。
「だけど、そんな都合のいい話があるだろうか?」
オーギュは説明を聞いてもなお心配していた。
「まあ厳密には、僕の身体が術式みたいなものだからね。魔術に詳しい人が後からよく調べたら違和感に気づくと思う」
キアロンの言葉で現すと、いわば自分は偽装する力が非常に高い
完全に悟られない保証はないが、現状もっとも実現性の高い手段であることも間違いない。
作戦が決まり、二人は急いで地上へ戻ることにした。
儀式場の見学申請を事務所でする必要があるが、そろそろ受付の時間が終わろうとする頃合いであった。
化身の鎧に戻ったキアロンはオーギュと共に秘密の通路を通って大学の中に戻ってくる。
出入り口にはちょうどアッタイルがおり、二人と鉢合わせする形になった。
「どうしたのですか。そんなに急いで」
説明している時間がない。オーギュは助手にどう話すか困っていた。
「……あとで説明するが、急いで事務所へ行く必要ができた」
アッタイルは深く追求するようなことはせず、了承したように頷く。
「そうでしたか。では私は先に戻って、調査計画の練り直し用の資料集めをしておきますね」
「すまない。後できちんと説明する……」
オーギュの言葉が終わらないうちに、アッタイルは地下へと消えていく。
そして二人も、これ以上時間を掛けていられないと事務所へと急ぐことにした。
「『基幹魔術儀式場の見学申請』ですか……こんな時期に珍しいですね」
提出された書類を見た事務員が顔を上げてオーギュベールを見る。
有名な星座の見える時期や、日の最も短い日や長い日、反対に昼夜が全く同じ長さになる日など、星の運行に関する何かがある日であれば見学者が比較的多くなる。
今日は一見、そうしたものは何も無かった。
「ああ。こちらの客人に、儀式場を見学させたい」
オーギュはそう言いながら隣にいるキアロンを示す。
「わかりました、こちらが鍵です。必ず明日までにお返しください」
事務員は納得し、通常通りの手続きを経て鍵を二つ取り出した。
「一人一つ鍵をもつ必要がある」
オーギュは受け取った鍵の一つをキアロンに渡す。
簡易な造りの銀の鍵で、とても儀式場のような重要施設の鍵には見えない。
(簡単に複製されそうだけど)
キアロンは心の中で思うが、手にした鍵はわずかに輝きを増す。
なにか魔術的な細工が施されているのかもしれない。
事務所を出たキアロンが拍子抜けしたように言う。
「思ったよりあっさり借りられたね」
こんな急に儀式場へ行こうとして、怪しまれないものなのか。
「私は度々行くことがあるから、怪しまれなかったのかもしれないな」
オーギュベールはそう言いながら、ホールから長い廊下を通って城の中を歩いていく。
ちょうど、隠されし地下図書館と対になる通路になっていた。
「ここから地下へ降りる」
通路の突き当りには大きな穴があった。
近づくと、穴の中に螺旋階段があることがわかる。
キアロンは階段の中が妙に薄暗くて不気味に感じた。
もっとも、階段から転げ落ちても、キアロンの鎧は傷一つ付かないだろう。
そのような身体的な不安を感じていたのではない。
オーギュベールの後に続いて、キアロンはゆっくり階段を下りていく。
石造りの階段を下っていくと、水の流れる音が聞こえる。
(……地下水路?)
階段を降りると、広がる空間から水音と水の匂いがする。
遺跡にあった地底湖とは違い、人工的に作られた地下水路だ。
空間は意外なほど広い。柱はわずかにしかなく、遠くまで見渡せる。
広さの違う部屋が水面から点々と浮いて見えた。
部屋と部屋をつなぐ橋状の通路に沿って遠くまで金天石の明かりが等間隔に並んでいるのが見えた。
地面を流れる水は暗く、壁の穴から流れ込んできているのが確認できた。
水が流れているためか、じっとりした空気が流れているのをキアロンは感じる。
「ここは王城に昔からある地下空間だ。基幹魔術はこの奥の部屋にある」
オーギュベールが指し示した部屋は奥にある一番広い部屋で、大規模な祭壇のようなものが設置されている。
「そういえば、昔ここへ来たことあったような……」
キアロンは周囲の雰囲気に既視感を覚えていた。
祭壇は当時はなかったはずだが、それ以外は見覚えがある。
キアロンは目を閉じ、当時のことを思い出そうとする。
(昔来たときは、確か一人ではなかった……)
自分と立場を同じくした仲間たちと、なぜか一緒にいる黒い鎧。
黒い髪と、陰気な金の目をもつ男。べフィス・マレウス。
(そういえば、対立していたはずなのに、何故彼と一緒に行動していたんだっけ?)
「なにか思い出したのか?」
オーギュベールが尋ねるが、キアロンは残念そうに首をふる。
「ううん。もう少しで思い出せそうなんだけど……」
思い出した記憶が断片的すぎて、どのような状況だったのか説明が難しい。
とりあえず二人は基幹魔術の儀式場がある奥の部屋まで向かうことにする。
通路には扉もなく、ただ歩いていくだけで奥までたどり着けた。
オーギュの説明によると、この地下空間全体に防護魔術が施されているという。
「事務所で渡された銀の鍵を持たない者が侵入すると、防護魔術の攻撃を受け、守衛室に通知が届く仕組みだ」
そういう仕組みだったのか、とキアロンは持っていた鍵を握りしめる。
儀式場は無人で、床には複雑な光る魔法陣が描かれ、その中央に銀の宝玉が置かれた祭壇が置かれていた。
宝玉からは光がドーム状の天井に向かって照射され、部屋の天井に星空を映し出している。
魔法陣は時計のようにゆっくりと回転し、刻一刻と模様の位置が変わっている。
その魔法陣の動きに合わせて、空の星模様もゆっくり変化しているのだという。
キアロンはそれを見て、まるで
「きれいだね」
星空をみるためここに来る学生がいるというのも納得だ。
しかも、このような光あふれる夜空は地上で見ることができないのだから。
「普段ならゆっくり星空を眺めるのも良いが、今は時間がない。キアロン、あれが基幹魔術の状態を見るための幻鏡だ」
オーギュが部屋に入ってすぐの壁際にある巨大な鏡を指した。
鏡の中にはこの王城を中心とした王都を魔法陣で再現した全体図と、その中で様々な魔術が使用されている様子が魔法文字で出力されている。
キアロンの目論見通りであれば、あの鏡から基幹魔術の世界に入り、司書精霊の場所へ行くことができるはずだ。
「オーギュ、僕の手を握って」
鏡を前にして、キアロンがオーギュに呼びかける。
「なんだ?」
言われたとおりにオーギュがキアロンの鎧の手を握ると、体が突然軽くなる感覚を受ける。
視界がぐるりと廻る。
気がつくと、オーギュベールは鏡の中にいて、外にいる鎧のキアロンとオーギュベール自身が手を繋いでいる様子を見ていた。
「これは……眷属との視界共有か!」
魔王は眷属の五感を共有して別の場所を見たり聞いたりできるという話であった。どうやらその力を使用したらしい。
「やった、やっぱりうまく行ったね」
オーギュベールの視界に、少年姿のキアロンの両手が見える。
どうやら今はキアロンの視点で周囲を見ているらしい。
「びっくりした。今度からは行う前に説明してくれ」
オーギュベールが不貞腐れると、眼の前にいる自分が顔をしかめているのが見えて奇妙であった。
「ごめん。でもこれでオーギュと一緒に司書精霊のところまで行けるよね」
そういってキアロンは魔法文字でできた王城の中へ入っていく。
オーギュベールはキアロンが見たものを見るしかできないので、眼の前を見るしかないがそれでも興味深い。
幻鏡を外から見たことはあっても中から見たことはこれまでなかった。
キアロンが歩いている場所は、王城のホールによく似ている。
違うのは光る魔法文字が城の壁を沿うように流れているところか。
(司書精霊はどこに行けば会えるかな? とりあえず図書館へ行ってみようか)
キアロンはそう考え、ホールからつながる廊下を通り、地下図書館を目指すことにした。
基幹魔術の世界の地下図書館に、司書はいるのだろうか。
常夜幻鏡譚~秘されし太陽の鎧~ 青猫格子 @aoneko54
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