俺は君を寂しみから救い出すヒーローになるよ

仲瀬 充

俺は君を寂しみから救い出すヒーローになるよ

 なんてったってヒーロー、俺はヒーローだ! 刑事になって拳銃を装着した時、そう思った。それからや3年、テンションはだだ下がり。ヒーロー気分を味わえた事件など1件もない。先月などは生活安全課のしょぼい捜索願いの手伝い。いい年をした母親が若い男と駆け落ち。子供の奨学金まで通帳から引き落として。


「痛っ!」

カッターナイフを持つ手を止めた。窓際の机の係長が顔を上げて俺を見る。

「何でもないです」

席に座ったまま頭を下げた。ヒマつぶしにためらい傷の実験やってます、そんな間抜けなこと言えるわけがない。猫に引っ掻かれた程度のかすり傷だ。手首ににじんだ血をティッシュでぬぐい絆創膏を貼って実験終了。


 自殺未遂?の翌日1月29日もけなげに出勤。

「おう、北、来たか」

勘弁してくれ、朝イチからのおやじギャグ。

「傷害事件だ。南北コンビでスピード解決といこう」

南田刑事は根拠のない楽観主義者だ。


 スナック『寂しみ』? 変な店名だ。ドアを開けるとカウンターの中に若い子が一人いる。南田さんが声をかけた。

「ママさんは?」

「体調崩してここ何日か家で寝てる。昨日のこと?」

ママの娘だというこの子は二十歳そこそこだろうに50代の南田さんにため口とは。

「正確には今日の午前3時過ぎだ。野口さんはこの店には?」

「去年はしょっちゅう来てた。アタシに惚れてるから。あ、ウンチクさんいらっしゃい」


 入ってきた老人客を見て南田さんが驚いた。

「竜造寺さんもおいでになる店でしたか」

そう言うと南田さんは俺の肩を叩いた。

「北、こちらは我が署で定年退職なさった竜造寺さん、名刑事の誉れが高かった先輩だ」

「南田くんが出張でばってきたということは事件かな? あ、退職した一般人には話せないか」

「いえいえ、知恵をお貸しください。今日の未明、刃物で刺された青年がこの店のドアを開けるなり倒れたんです」

だったね?と南田さんは店の子に確認を求めた。

「そう、3時前だったけど客がいないんで閉めようとしてたとこ。ほらウンチクさんも知ってる野口さんよ。それで刑事さん、野口さんは?」

「意識不明で入院中だ。それでですね、被害者がいしゃは双葉商事の野口月彦、32歳独身。わき腹を刃物で一突きです。コートを着用していたので致命傷にはいたりませんでした。15メートルほど先からこの店まで血痕が点々と続いていますから近辺で襲われたと思われます。財布などは手つかずなので物取りとは思われません。それと」

南田さんは続きを促すように店の子にあごをしゃくった。

「野口さんのダイイングメッセージね。あ、死んでないから違うか。『サンジ』ってだけ言ってぐったりしたから救急車を呼んだの」


 翌30日、南北コンビは被害者の勤務先の双葉商事で事情聴取。俺のメモはこうだ。

・野口→体育大学出身、好青年、恨み×

・仕事→県内大手銀行にセキュリティーシステムの採用の働きかけ

・ライバル→三条興産(双葉商事がリード←野口の頑張り)

・2社の最終プレゼン→29日午後

・28日退社時→先輩からの飲みの誘いを断って直帰


 次に野口の住居のマンション付近でも聞き込み。向かいの家の予備校生に野口の写真を見せるとビンゴ!

「この人です。神社の方に歩いて行きました」

事件当日29日の午前2時過ぎにマンションを出る野口を目撃したという。スナック『寂しみ』は神社に向かう途中にある。


 聞き込みを終えると南田さんのおごりで喫茶店で休憩。

「好きなものを頼め。ところで例の問題、お前なら『サンジ』と聞いて何が浮かぶ? 3時の惨事? ハハハ」

おやじギャグは不思議だ、本人は面白がるのに聞く方は不愉快になる。

「特にはないですね。高校の世界史で習ったサンジカリスムとか三銃士とか」

「それだ!」

南田さんの顔つきが変わった。

「サンジで終わる言葉とは限らない可能性がある」

「あっ、仕事の競合相手は三条興産でしたね」

「よし、今から突撃だ」


 野口が抱えていた案件の三条興産側担当者は笹本という男で年齢も野口と同じだった。

「そんな夜中はもちろん寝てましたよ。翌日の大事なプレゼンに備えて12時前にベッドに入りましたから」

独身なので意味のないアリバイだ。俺は気になっていたことを聞いた。

「昨日の最終プレゼン、どうでした? 双葉商事にがあるように聞いたんですが」

「うちが契約にこぎつけました」

笹本は言いにくそうに答えた。三条興産を出るなり俺は言った。

「双葉商事は急きょ代理を派遣したでしょうがプレゼンは担当の野口さんみたいにはいかなかったでしょうね」

「動機は形勢の逆転ねらい、笹本で決まりかな」


 路上で南田さんと別れてラーメン屋で晩飯をすませ『寂しみ』に立ち寄った。

「あら、刑事さん。一人?」

「とりあえずビール。今日はプライベートだから『刑事さん』はなしだ」

「じゃ、名前教えて」

昨日言ったじゃないか。

「キタタロウだ」

「キタロウ?」

人をゲゲゲの鬼太郎みたいに!

「北だ、北太郎だ」

ムッとして名刺を渡すと彼女は翔子しょうこと名乗った。


 ドアを開けて客が入ってきた。

「ウンチクさん、いらっしゃい」

ん? 昨日もそう言ったな。

「翔ちゃん、こちら竜造寺さんだろ?」

「ウンチクがすごいからウンチクさんよ。漢字で書ける?」

俺の返事も待たずに翔子はメモ紙に「蘊蓄」と書いた。

そもそもウンチクって何だ? ラーメンに入れるのは……、シナチクか。黙っていると竜造寺さんが口を開いた。

蘊蓄うんちくという字はどちらも『たくわえる』という意味です。ですから頭の中に蓄えられた知識ということですよ」

「なるほど」

とは言ったが、それなら「物知り」でよくない?

「ね、北ちゃん、ウンチクさんの蘊蓄すごいよね?」

おいおい、竜造寺さんが敬語使ってくれてるのにお前はため口でしかも「北ちゃん」ってか。


「捜査の方は進展がありましたか?」

俺はこれまでの経過を話した。すると竜造寺さんは突飛なことを言い出した。

「北くん、翔子ちゃんは立てば芍薬しゃくやく座れば牡丹ぼたんだと思いませんか?」

「はあ、まあ」

「なに、その返事。素直に認めなさいよ」

翔子は正直俺のタイプだが、ガサツなところが玉にきずだ。

「この言葉はさらに『歩く姿は百合の花』と続くんですが、どう解釈しますか?」

「三つとも綺麗な花ですから、美人のいろんな姿をたとえたんでしょう?」

「そうです、芍薬はたけが高い花で牡丹は低いですからね。では百合の花のどんなところを美人が歩く姿にたとえたんでしょう?」

うーん、分からない。頭をひねっていると翔子が口を出した。

「立ってる時や座ってる時と違って動きがあるわね」

「そうそう。野の百合が風に揺れているさまが目に浮かぶね」

翔子のやつ、ちょこざいな。


「で、北くん。百合が風に激しく揺れれば『歩く姿』じゃなく『走る姿』に見えそうですね。上品な美人はあんまり走ったりはしないでしょうが」

あ! 俺は思わず立ち上がった。

「ありがとうございました! 今日はこれで失礼します!」

「刑事が無銭飲食?」

一礼して帰りかけた俺の背に翔子の言葉が突き刺さる。

「いくら?」

「チャージ2500円、ビール700円」

ま、場末のスナックとして妥当なところだ。財布から千円札を4枚抜き出す。

「どうせまた来るでしょ? キープしといたほうが安上がりよ。焼酎なら3000円で合計6200円ちょうど」

どこがちょうどだ!


 翌日の1月末日、収穫があった。『寂しみ』からしばらく行ったところに神社がある。本殿の背後に毘沙門天びしゃもんてんまつった堂があり、その奥は小高い山の杉林になっている。野口が襲われたのは本殿と毘沙門堂の間だった。

「よく気づいたな」

「竜造寺さんがヒントをくれたんです」

美人は速く走れなくても体育大学出身の野口なら刺されてもある程度の距離なら問題ない。そして全速力で駆けている間は点々と血の跡は付かない。力尽きてよろめき始めたのが『寂しみ』の15メートル手前だったのだ。鑑識課員が改めて調べると、その地点から神社まで飛び飛びの血痕が発見された。しかし、犯行現場が特定されても早期解決とはいかなかった。動機があってアリバイのない笹本は犯行を否認し続けている。


 聞き込みの途中『寂しみ』の前を通りかかるとドアが開いている。

「あら、北ちゃん。入れば?」

「まだ6時だよ」

「掃除が終わって空気を入れ替えてたの。タダにしてあげるからお茶でも飲んでけば」

言い方がひっかかるがカウンターに座った。

「最初に思ったけど、この店の名前、妙だね」

「アタシがつけたの。楽しみ、苦しみ、悲しみとかはあるのに寂しみはないじゃん。面白くない?」

「面白くてもそんな言葉ないんだからお母さんは嫌がったんじゃない?」

「もちろんよ。だから去年、パパの保険金でお店をやろうって誘われたときに『寂しみ』って名前にするならやるって言ったの。それがまさかのOK、アハッ!」

笑った後で翔子は視線を宙にさまよわせた。

「そうか、どうしてもアタシを家から出したかったってことか……」

俺を蚊帳の外に置いて笑ったり独り言をつぶやいたり忙しい女だ。

「話がとっ散らかって見えないんだけど、開店したのが去年ならその前は?」

「アタシ? 大学に入ってすぐコモラーになったんだ、2年間。大学も辞めちゃって」

「お父さんの保険金って言ったよね? ということは」

「パパは大工だったんだけど二日酔いで足場から落っこちて死んじゃった。アタシが引きこもり出したらパパに殴られたり髪の毛をつかまれて家の外に放り出されたりしたんだけど」

翔子の声は今度は泣き声になった。

「でもそのほうがまだ良かった。そのうちパパは毎晩お酒をがぶ飲みするようになってアル中みたいになっちゃった。事故って言うよりアタシが殺したようなものよ……」

涙は苦手だ、話題を変えよう。

「そもそも引きこもりの原因は何だったの? せっかく大学に入ったのに」

「よく分かんない、寂しみヤバみってとこかなあ。みんなはリア充とか浮かれて楽しんでたけどアタシは生きてることがずっと寂しくて仕方ないんだ」


 翔子はガサツなだけじゃなかった、俺に似ている。学生時代の俺の寂しさもヤバかった。わけもなく気が沈んでよく友達のアパートの前まで行った。ノックすればたぶん笑顔で迎えてくれるだろう、けれども上がり込んで友達の時間を奪うだけの価値が自分にあるのか。そう思うとドアをノックすることはできなかった。そんな惨めな自分を愛おしむ感覚でずっと生きていた。だから翔子の気持ちはよく分かる。しかし昔の反動で今はヒーローを目指す俺だ、心を鬼にして彼女を寂しみから救い出そう。

「甘ちゃんだな。人と交わらずに引きこもってりゃ楽だからね。寂しさを罪みたいに思って幸せになっちゃいけないって決めつけてるんじゃないか? お父さんの事故を自分のせいじゃないかって思うのも同じさ。自分を罪深い人間に仕立てて逃げてるだけだ」


 翔子はじっと俺を見つめている。よし、とどめの一撃だ。

「ほんとに甘いよ。翔ちゃんは死にたくなるまで突き詰めて悩んだことがあるのかい?」

そう言い放った後、俺はカッターシャツの袖のボタンを外した。どうだ、参ったか? しかし翔子は俺の手首の傷を見ても何の反応も示さなかった。

「傷が新しいところがとりえね」

しれっと言うとワンピースの左袖をまくった。俺は目を見張った。手首の内側にリストカットの痕がくっきりと盛り上がって真一文字に走っている。猫の引っ掻き傷とは大違いだ。

「参った!」

俺は潔くカウンターに両手をついた。翔子は笑った。

「おかしいか?」

「アタシたち何やってんだろう、これ見よがしに袖をまくり合って」

そう言ってまた笑い出した。結果オーライだ、翔子の笑顔を見られたのだから。


 2月に入って捜査は行き詰った。『寂しみ』に立ち寄った俺は居合わせた竜造寺さんに弱音を吐いた。

「北くんが神社に行くのはどんな時ですか?」

「お参りですね、願いごとがある時とか」

「野口さんも大事なプレゼンを控えていたんでしたね。現場は毘沙門堂の側だったそうですが、毘沙門天は知っていますか?」

「北ちゃんは蘊蓄うんちくも知らないんだから聞くだけムダよ」

しゃくにさわるが図星ずぼしだ、翔子のやつめ。

「毘沙門天は戦いの神様です。そして、説明は省きますがとらと関係が深いんです。翔子ちゃん、ちょっとそれを」

壁に架けてあるカレンダーを翔子が外してよこした。

干支えとは年だけじゃなく月や日や時間にも割り振られているんです」

幸いカレンダーの1月分がまだ破り取られていない。竜造寺さんは事件のあった29日の欄を指さした。

「今年の1月の干支はとらで29日もここに書かれているようにとらの日ですね。そして午前3時から5時までの時間帯はとらこくです」

「トリプルなんですね」

「そうです。三寅みとら参りといって大きな福を呼び込むことができます。野口さんがあんな夜中に毘沙門堂に出向いたのは当日午後のプレゼンの必勝祈願のためでしょう」

誰かに呼び出されたのではなく自分でお参りに行った、竜造寺さんはそう言いたいのだろう。では襲ったのは誰なのかということになるとやはり三条興産の笹本以外は考えられない。


 竜造寺さんに礼を言った後、翔子に声をかけた。

「実は今日は半分仕事なんだ。野口さんの交友関係まで手を広げると翔ちゃんも対象に入ってくる」

「アタシに惚れてたからね」

「去年はよく来てたって?」

「そう。サンちゃんが入りびたりになるまでは」

「サンちゃん?」

「名前は知らないんだけど去年の年末から通いだしたの。アタシに惚れて」

自己申告とはいえ、よく惚れられる女だ。

「じゃ三角関係のもつれでその人が野口さんをってことも」

「やだ北ちゃん、サスペンスの見過ぎよ」

「そうだな、翔ちゃんにそこまでの魅力は」

「お勘定5割増し!」


 翌日も俺は『寂しみ』に寄った。

「ここんところ連チャンね。北ちゃんもアタシに惚れた?」

「かもしれないな。恋がたきのサンちゃんが気になってね」

我ながらうまい返しだ。

「しかしヒマだね、俺は竜造寺さん以外の客と会ったことがない」

そう言って既に入店していた竜造寺さんに会釈えしゃくした。

「サンちゃんのせいなのよ。閉店までずっとアタシをニヤニヤして見てるもんだから野口さんも他のお客さんも面白くなくて」

「竜造寺さんもその客、知ってるんですよね?」

「一度だけ話してみたらそこの神社の縁続きの人のようでした。神職の資格も持っているそうです。年齢は私と同じくらいでしょうか」

え? サンちゃんって若者じゃなかったの?

「確かに不愉快な客ですが、ヘネシーやオールドパーをキープしますんでね」

「そうなのよ、店が助かるからママも邪険にできなくて」

竜造寺さんと俺は目の前の焼酎のボトルを見て目を伏せた。翔子はおかまいなしに話を続けた。

「けど10日前くらいかな、とうとうママがブチ切れて出禁できんにしたの」

「何で?」

「たまたまアタシだけで営業してた日だったんだけど、店を閉めてサンちゃんと一緒に出たらアタシに抱きついてきたの。そこにちょうどママがアタシを迎えに来たってわけ。『娘に何をするのさ、変態野郎! 二度と来るな、この疫病神やくびょうがみが!』って」

「おおこわっ!」

「アタシはサンちゃんのほうが怖かった。急に目がわって低い声でママに『殺してやる』って捨てゼリフを吐いて」


 竜造寺さんが大きく頷いて言った。

「翔子ちゃん、その客だけど名前を知らないのにどうして『サンちゃん』なのかな?」

「いっつも閉店の3時まで粘るから『サンちゃん』よ。10時過ぎるとママなんか『そろそろ3時のやつが来るよ』とかお客さんに言って」

「北くん、謎が解けましたね」

そう言われても最後のピースがはまっていないパズルみたいにモヤモヤする。

「時刻の呼び方にも干支えとを使うという話をしましたね。昼の12時はちょうどうまの刻だから正午です。午前、午後という言葉もそこからきています」

蘊蓄はいいから要点だけお願い!

「野口さんはとらの刻参りに行ったんでしょうが、寅の直前はうしの刻です。丑の刻と言えば?」

それくらいは知っている。

「丑の刻参りですね。わら人形に釘を打ち込むやつ」

「祈願は他人に知られたら効力を失います。丑の刻参りも他人に見られたらその人を殺さなければ願いは成就じょうじゅしません」

あっ! みなまで言うな、俺にも謎が解けた!


 サンちゃんこと宝田宗雄(62歳無職)が逮捕された。供述内容は以下のとおり。

・『寂しみ』のママに罵倒ばとうされたのを恨み、呪い殺そうと翌日から神社裏の杉林で丑の刻参りを開始。

・満願の7日目に当たる1月29日、杉の木に打ち付けた藁人形の心臓部をナイフでえぐろうとしたところを野口に見られた。

後は既に推測ずみで、宝田は逃げようとした野口を斜め後ろからナイフで刺したが野口の足が速すぎて後を追えなかったという。


 事件解決後ほどなく野口の意識が戻った。それと前後して『寂しみ』のママの体調も回復。南北コンビは事件解決を祝して『寂しみ』で竜造寺さんと待ち合わせた。乾杯の音頭は南田さん。

「先輩、ご協力ありがとうございました」

「いやいや、北くんのお手柄だよ。北くんはいい刑事になるよ」

「私もそう思うんですがねえ」

南田さんが顔をしかめた。まずい、話題を変えよう。

「翔ちゃん、ママさんも元気になったそうでよかったね」

「来週からお店に出るって」

次いで竜造寺さんに翔子に聞こえないように小声で話しかけた。

「丑の刻参りを見た野口さんが亡くなってたら宝田の呪いが成就してママさんも危なかったんですかね?」

ところが竜造寺さんは俺の話は聞き流して南田さんに顔を向けた。

「南田くん、さっきの件だが北くんが刑事を続けるのに何か問題でも?」

ああ……、話をそらしたかいがなかった。南田さんが俺を指さした。

「こいつ、捜査と並行して転職の準備も進めてやがって明日辞表を出すんだそうです。おい、後は自分でしゃべれ」


 俺は覚悟を決めて背筋を伸ばした。

「青年海外協力隊員としてラオスに行きます」

「ラオスってどこ?」

翔子が無邪気な目で聞いてきた。

「タイの上」

「何するの?」

「農業指導員」

「できるの?」

「俺は大学は農学部だったんだ」

「ボランティア?」

「多くはないけど給料は出る。もう勘弁してくれ、取り調べを受けてるみたいだ」

ハハハと竜造寺さんが笑った。

「北くんと翔子ちゃんはいいコンビだ」

翔子は頬を膨らましたが意味が分からない。


「北くん、よかったら警察を辞める理由を聞かせてくれませんか?」

「先輩のお二人には申し訳ないんですが、今回の宝田のような人間ばっかり相手にするのが嫌になっていたんです。そんな時、少女が毎日何時間も歩いて水を汲みに行く映像を見たのがきっかけです。発展途上国で俺は困ってる人々を助けるヒーローになりたいんです」

よし、ビシッと決まった! 竜造寺さんが拍手をしてくれたのでつられて南田さんも手を叩いた。カウンターの内側で突っ立っている翔子に竜造寺さんが声をかけた。

「翔子ちゃんも引きこもっていた時間を取り戻すつもりでラオスの空に名前どおり羽ばたいてみたらどうかな?」

俺に影響されたのか竜造寺さんもキザに決めた。と思ったら竜造寺さんは立ち上がって南田さんに目くばせした。

「南田くん、事件解決の祝いに二人でもう一軒行こう」


 取り残された俺は店が急に静かになったせいもあって気弱になった。

「このあいだはゴメン、いろいろ厳しいこと言って」

「ううん。北ちゃんに逃げてるって言われたけどそうかもしれない。アタシ、ずっと寂しい夢の中で生きてきたような気がする。寂しみだけがアタシの生きてる実感だったんだ。でも夢って当てにならないよね」

「どうして?」

「起きた直後はリアルに隅々まで覚えてるのにすぐに薄れてしまうじゃない?」

竜造寺さんばりに俺もここでキザに決めよう。

「そう思うのなら寂しい夢から覚めて歩き始めればいい。俺は君を寂しみから救い出すヒーローになるよ。現実の人生を1歩1歩確かめながら一緒に歩いていかないか?」

返事は速攻だった。

「クサい! ダサい!」

席を立った俺はめげずに気力を振り絞る。

「1週間後の13日、午前10時発の羽田行きの便に乗る。一緒に行く気があれば体一つでいいから空港に来てくれ」

そして翔子に背を向けて入口のドアに手をかけた時だった。

「北ちゃん、待って」

なんてドラマチックな展開なんだ、待つとも!

「お勘定まだなんだけど」


 2月13日、バスで郊外の空港ビルに着いた。国内線で羽田まで1時間、羽田空港からラオスまではハノイ経由で7時間、合計8時間の空の旅だ。しかし搭乗15分前になっても翔子の姿は見えない。どうやらチケットが一人分無駄になったようだ。『寂しみ』で始まり悲しみに終わった恋ということか。俺はスマホを取り出した。

「俺は君のヒーローじゃなく悲劇のヒーローになっちゃったみたいだね」、最後の決めゼリフはこれでいこう。


「もしもし、翔ちゃん?」

「なんで電話してるの? バカじゃない?」

声はスマホでなく背後から聞こえた。

振り向くと、すぐ後ろに翔子がキャリーバッグを手に笑っている。

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俺は君を寂しみから救い出すヒーローになるよ 仲瀬 充 @imutake73

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