【短編】箱庭コンプレックス【現代/コメディ?】

桜野うさ

箱庭コンプレックス

 わたしの兄弟はちょっと変だ。


「お兄ちゃんおはよう」


 朝ご飯を食べるためダイニングに降りると、すでに兄が座っていた。


「おはよう美奈子みなこ


 兄はわたしより五つ年上の大学三回生。ラフな格好でも許されるはずの大学で、就活中でもないのにビシッとスーツを着た人なんてうちの兄くらいだと思う。夏でもその格好で、汗一つかかないのはすごい。

 兄の前のテーブルには、四角くて茶色っぽい固形物が置いてある。それは兄の食事だった。兄はそれしか食べない。


「それ、いつも思うけど美味しくなさそうだね」


 何気なく言ってから、しまったと思った。また兄のあれが始まる。


「美奈子、食事に美味さなんて不要では無いか? 食事というものはそもそも、生き物が生活するのに必要なエネルギーを摂取するための行為だ。つまり朝食は、今から昼食までに必要なエネルギーさえ補うことが出来れば良い物という事になる。味は関係ない。もしお前が食事の味が大事だと言うのなら、理論的に説明して欲しい」


 うちの兄は独特の価値観を持っている、いわゆるちょっと変な人だ。自分の世界を持つのは良いことだと思うけど、お兄ちゃんは正直持ち過ぎ。


 この前なんて壁に向かって話しかけていた。ぎょっとしてよく見ると、兄の目線の先には蜘蛛がいた。人の家の中に家を作る蜘蛛の行為を疑問に感じた兄は、話し合いで解決しようとしていたらしい。


「それよりも美奈子、私はお前の食事の方を疑問に思う。お前は昨日、晩御飯の後にチョコレートを二つ摂取していたな。あれは無駄なエネルギーだ。過剰に摂取されたエネルギーは排泄されるだけ。何故無駄なエネルギーを得るためにわざわざ食事行為を行うためのエネルギーを使うのか理解できない。そもそもお前はチョコレートを購入するためにもエネルギーを……」


 兄の言葉を全部ちゃんと聞こうとすると、頭がオーバーヒートしそうになる。だからいつも話半分で聞いてあげている。別に無視すれば良いんだけど、それをすると不機嫌になるんだから仕方がない。

 兄はいったん語り出すと二十分は止まらない。普段はそんなに喋らないのに。


「ごめんお兄ちゃん。ちょっとお姉ちゃん起こしてくるね」


 私は逃げる様にしてその場を去った。朝の時間は貴重だもん。


「お姉ちゃん」


 物で埋め尽くされた部屋の中を、道を作りながら何とかベッドの側まで行く。これだけで凄い疲労感だ。昨日片付けてあげたのに、もう元に戻っているのはある意味さすが。


「朝だよ、お姉ちゃん」


 五つあった目覚まし時計は、無残にも四散していた。


「後五分……」


 朝起きられない人間の常套句を口にしながら、姉は毛布にくるまった。

 ここで容赦しては行けない。コンマ三秒で毛布をひっぺがし、カーテンと窓を開けた。十二月の冷たい風が入ってくる。それでもまだ寝ようとする姉はダメな大人代表だ。これで社会人五年目ってのが信じられない。


「毎朝起こしてもらってごめんねぇ」

「私より目覚まし時計に謝ったら?」


 姉に使用される目覚まし時計は、毎朝職務を真っ当できずに泣いていることだろう。


「毎朝こんなんで、一人で暮らし始めたらどうするの?」

「一人暮らしなんてしないわ。だってずっと美ぃちゃんたちといたいもん」


 いい年こいて朝っぱらから恥かしい台詞をよく言える。

 わたしに寄りかかってなんだか嬉しそうな姉を引きずりダイニングに連れてくる。兄はすでに食事を終えていた。


「おはよう福人ふうと

「姉さんに、朝は一日の始まりだ。スタートダッシュに失敗すると最後まで後をひく。いつまでも布団の中でだらだらしているのは感心しない」

「布団じゃなくてベッドだもん」

「どちらでも良い」


 兄と姉の仲はあまり良くない。――と言っても兄が一方的に姉を罵倒し、姉の方はさして気にもしていない様子だけど――お互い嫌い合っているわけじゃないことはわかっているし、間に入ると疲れるから放っておいた。


「ねぇ、ぃちゃんは?」

「もう学校に行ったみたい」


 きょときょとと辺りを見回す姉に、私は言った。

 私の兄弟はこれだけじゃない。この姉と兄だけでも手を焼くのに、さらに変な弟がいるのだ。


「最近の中学校はこんなに朝早いの?」

「部活だってさ」

「大変ねぇ……」


 言いながらあくびをする姉の横を、兄がすり抜けた。


「行ってくる」

「あら、早いのね」

「お姉ちゃん、会社は?」

「あぁ、そうだったわねぇ。何か忘れてると思ってたわ」


 こんな人が社会でやっていけるなんて、日本は大丈夫なんだろうか。


「美ぃちゃんはまだ出ていかないで大丈夫なの?」

「んー、もうちょっとしたら出るよ」


 わたしはいつも兄が家を出てから五分待って出ていくことにしていた。


「今日はお姉ちゃんと一緒にずっといる? それも楽しそうねぇ」


 兄と一緒に家を出ない理由は簡単。例え少しの間でも、家の外で肩を並べて歩きたくなかったから。

 兄の通っている私立大学には中高が附属していて、そこの中学には弟が通っている。姉も中高とその学校出身だし――姉は勉強が嫌いなので大学には行っていない――わたしも中学の頃はそこに通っていたけど、高校になってから公立に移った。理由は、兄と姉が原因でいじめられたから。


 うちの兄と姉は良くも悪くも目立つ。だから反感を持つ人間も多かった。けれど何処までもマイペースな兄と姉を直接いじめる人は少なく――大概の場合精神的返り討ちにあっていたみたい――わたしに矛先が向いたのだ。


 わたしが別の高校に行きたいと言った時、親たちは反対した。何故かと理由を聞かれ、「エスカレーター式のぬるま湯みたいな生活を送っていたら社会に出た時大変だから」と答えた。兄と姉のせいでいじめられたなんて言えなかったから。


 過保護なうちの親は渋ったけど、家から近い学校に行くという条件で承諾した。

 仕事で家を空けることが多いから過保護なのも仕方ないと思うけど、自分の人生くらい気軽に自分で決めさせて欲しい。


 学校は家から二駅先にあった。中学の時はもう少し遠かったから、比べると随分楽だ。


「美奈子ちゃん」


 校門前で見知った声に名前を呼ばれた。純子じゅんこだ。

 純子とはこの学校で友達になった。だからわたしの家族や兄弟のことは知らない。


「ねぇ、昨日さぁ、誰かと一緒に学校帰ってなかった?」


 言われてぎくりとした。身に覚えがある。


「昨日郵便局行くためにさ、駅の近くまで行ったんだよね。ねぇ~、男の子と帰ってたでしょ~? 誰よー、もしかして……彼氏?」

「違う!」


 それは紛れもなくうちの弟だ。昨日は部活が早く終わったとかで、学校の近くまで迎えに来たから仕方なく一緒に帰ったんだった。

 うちの弟はうちの親に輪をかけて過保護だ。わたしが公立の高校に入学することに一番反対したのは、親じゃなくて弟だった。


「じゃあ誰? やけに親しそうだったけど」


 わたしは言葉を濁した。純子には、というかこの学校にいる全ての人に兄弟がいることは隠している。もう二度と兄弟の事でいじめられたくなかったから……。


「……同じ中学だった子よ」


 嘘はついていない。弟はわたしが中三の時に入学して来た。


「ねぇ、そんな事より宿題やった?」


 深く突っ込まれない内に、話題をすり替えることにする。


「宿題……そんなのあったっけ?」

「あったよ。ほら、冬休み入るまでに提出しなきゃいけないやつ」

「冬休みって……」

「明後日からだよ」

「……絶対間に合わない。最悪」

「まぁ、やれるだけやってみなよ」

「無理よ、無理無理。私の頭と要領の悪さは知ってるでしょう? 良いのは顔だけなのよ! このままじゃ留年しちゃう!」


 さりげなく自分を褒めている所に尊敬を覚えた。


「お願い! 今日家に泊まりに来て! 私に勉強教えて! 晩御飯奢るしおやつもつけるから!」

「え、そんないきなり! わたし、お泊りなんてしたことないし」

「大丈夫、うち一人暮らしだから何も気にしなくて良いし」

「そういう問題じゃ……」

「あ、パンツなら新しいの貸すから心配しな」


 わたしはコンマ二秒のスピードで、純子の口を塞いだ。


「……じゃあ家に電話してみる」


 実は前から、友達の家にお泊りすることに憧れていた。親が過保護だから諦めていたけど、友達の危機なんだから許してくれるだろう。

……たぶん。




「繋がんないなー」


 母も父も、今日も帰って来ないらしい。

 仕方がないからお姉ちゃんの携帯に電話を入れたけど、何回やっても繋がらなかった。渋々お兄ちゃんの携帯に電話をしてみるけど、やっぱり繋がらなかった。弟に電話することははじめから視野に入れていない。絶対に反対するに決まっているから。


「メールしたら?」


 それは無理。だってわたしのメールアドレスは、兄弟の誰にも教えてない。

 正確に言うと初めて携帯を買った時のアドレスは教えていた。けれど、お兄ちゃんから解読不能な長文メールが来たりしたのでアドレスを変えた。お姉ちゃんからの「今日の昼食が美味しかった」だの、「公園の花が綺麗だった」だの、日記に書いておけば良いだろう報告メールも鬱陶しかったので次のアドレスは教えないことにした。何より一番参ったのが五分おきにくる弟からのメール。あれのせいで兄弟の誰にも一生メールアドレスは教えないと誓ったのだ。


「……家に書置き残しとくよ」

「大丈夫?」

「うん、大丈夫。それに純子に後輩になって欲しく無いしね。今日は泊まりに行ってあげるよ」

「……頼みます、美奈子様」


 純子の家は意外と広かった。一人暮らしだから部屋は一つしかないけど、十分に二人は眠れそう。


「まぁ適当にくつろいでて。今お茶でも淹れるから」

「ありがとう」


 この間に教科書とノートを準備した。

 座ったままもてなされていることに違和感を得る。いつもはこの時間、お姉ちゃんの部屋の片づけを手伝ったり、お兄ちゃんの会話を聞いたりしてあげているから。


 わたしの家族は変だから、いつもわたしがなんとかしなくちゃならない。

いつもわたしばっかり迷惑かけられてる。そう思うと少し腹が立ってきちゃった。今日くらいゆっくりしてやるんだから。


「何処がわからないの?」

「全部」


 出してくれた紅茶を噴出しそうになった。まぁ、まだまだ時間はあるんだから少しずつやれば良いか。

 教科書を開いて勉強を始める。ちらりと時計を見ると、夕方六時ちょっと過ぎだった。今頃多分お兄ちゃんと弟は帰ってわたしの書置きを見ているだろうな。

 お兄ちゃんは良いとして、気がかりなのは弟だ。わたしが友達の家に泊まるなんて知ったらどうなることか。まぁ純子の家の住所を教えてないから来ようがないんだけど。


 勉強したりお喋りをし、そろそろ一時間くらいは経ったかなという時、突然チャイムが鳴った。


 ……まさか。


「あれ? 誰だろう?」


 教科書を見ながらうんうんと唸っていた純子は、ここぞとばかりに立ち上がった。


「ちょっと行ってくるね~」

「待って!」


 わたしが服の裾を掴むと、純子はきょとんとした。


「……わたしが出る」

「何言ってんの?! ここ私ん家じゃん!」


 訝しげに私を見る純子を制し、ドアののぞき穴から外を見た。


「やっぱり……」


 そこには弟が立っていた。


「ねぇ、どーしたの?」

「ちょっとごめんね、一瞬だけ外に出るね」

「お客さん誰だったの?」

「……同じ中学の子」


 繰り返すが嘘はついていない。


 十二月ともなれば、七時過ぎでももう暗い。それにとても寒かった。だけど、この肌寒さは季節のせいだけではない。


椎奈しいな、何でここにいるの?」


 弟の周りの空気が凍りついている。しかもちょっと目が据わっている。不自然なポケットの膨らみは、ティッシュか何かだと思いたい。


「美奈子姉さんを取り戻すためだよ」

「な、何でここにいるってわか……」


 まさか、発信機? 咄嗟に体中をぱたぱたと触ってみた。

 ぽろりと何かの機械が落ちて、体中の血の気がさぁっと引いた。いくら何でもここまでするぅ?!


「美奈子姉さん、帰って来てよ。仁美ひとみ姉さんも兄さんも心配してるからさ。何より俺が心配だ」

「そんな事言ったって、友達のピンチを放ってなんかおけないよ!」

「家族の俺たちより友達なんかが大事って嘘だろ? 美奈子姉さんがそんなひどい事言うはず無い!……もしかして脅されてるのか? まさかまたいじめられていたりしないよな?」

「な、何でそんな発想に……!」


 中学の時、お兄ちゃんとお姉ちゃんせいでいじめられていた私を助けてくれたのは他でもない、椎奈だ。私の陰口を――それもわざと聞こえるように大きな声で言うやつ――叩いていた奴を文字通り【消した】。流石に殺してはないと思いたいけど、ある日突然そいつらは消え、消えた子の話をする者すらいなくなったのだ。


 弟は私だけじゃなく、お姉ちゃんや、お兄ちゃんに対してもこんな感じに特殊な愛情をしめしている。でも二人は持ち前のマイペースさで弟の異常さに気づかない。だからヤンデレの弟に死ぬほど愛されて眠れないのは今のところ私だけだ。


 いじめられてつらいというよりも、これ以上被害者を増やさないために私は公立高校に通うことにしたのだ。


「大丈夫だ美奈子姉さん、姉さんをいじめる屑なんか俺がまた消してあげるから」

「物騒なこと言わないでよ。だいたい私いじめられてないし! 今日は本当に友達頼みだから泊まりに来ただけだよ!」


 私は自然な素振りでドアを背に隠した。


「心配しなくても、明日には帰るから。椎奈はもう帰りな」

「その友達ってまさか男じゃないよな?」

「ないない、女だから」

「ねぇ、そいつ、美奈子姉さんに本当に何もしてないよな?」

「大丈夫だって! これ以上しつこくするんだったらさすがに私も怒るよ!」

「……え?」


 さっきまでの威勢の良さは何処へやら。椎奈は怯えたような瞳で私を見てきた。


「ごめん、怒らないでくれよ。美奈子姉さんにそんな事されたら俺……」


 こんな顔してるとちゃんと中学生に見えるし、可愛い。わたしの中で怒りの気持ちはみるみる内に萎んで行った。


「しつこくしないなら怒らないから。……さ、今日はもう帰りなさい」

「わかった。……もし酷い目にあいそうになったら俺に言ってくれよ?」


 そう言い残して椎奈は帰って行った。帰り際「住所はわかったいつでも消せる」と呟いた弟の声は幻聴だと思い込むことにした。

 とりあえず純子にはそれとなく引越しをすすめておくことにする。


「ねぇ、美奈子……私に何か隠してない?」

「何でもないよ。勉強の続きしようか」

「う、うん」


 今日はお姉ちゃんやお兄ちゃんのペースに合わせることなく自分の好きなことをするんだから。友達と喋ったり、お菓子食べたり。

 純子の家は学校のすぐ近くだからいつもよりゆっくり眠れるし、お姉ちゃんを起こさなくても良いから夜更かしだってしてやるんだから。

 そうやって意気込んだのも束の間、暫くしたら急に不安な気持ちが押し寄せてきた。


 ……お姉ちゃん、明日は一人で起きれるかな?


 ……お兄ちゃんの話、誰が聞いてあげるんだろう。


 ……それに椎奈、夜中にここに忍び込んで純子を消したりしないかしら。


 どうしよう、心配になってきた。


「ごめんね、やっぱり今日は家に帰るよ」


 自分で言った言葉にわたしは驚いてしまった。


「宿題は、明日も来て手伝うから」

「や、それは別に良いけど、何で?」

「……ホームシックにかかったみたい」


 わたしの兄弟は変だから、まともなわたしがいないとまとまらないんだ。



 いつもは乗らない夜の電車に揺られながら、昔お兄ちゃんから聞いた「兄弟は親よりも近い遺伝子を持っている」って話を思い出した。

 わたしはどう見積もったってあの人たちとは似ても似つかないけど。それとも、わたしも世間一般的に見て少し変なところがあるのかな。



「ただいま」


 見慣れたうちの扉を開きながら言う。

 お兄ちゃんやお姉ちゃんや弟は普通じゃ無いから、普通のわたしが世話してあげないと駄目なのよ。だからわたしがずっと側にいてあげなきゃ。それは凄く自然な事で、普通のことなんだから。


 わたしの兄弟はちょっと変だ。……わたしをのぞいて、ね。

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【短編】箱庭コンプレックス【現代/コメディ?】 桜野うさ @sakuranousa

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