第10話 命の続き

 花岡正治には、不思議な力があった。

 それは、人間以外の動物が事件によって死亡した場合に、その動物の遺体にれた後、事件の真相を正治自身が解明すると、その動物が生き返るというものである。

 ただし、亡くなった動物が後遺症無しに生き返るには、その遺体が、命が戻ることのできる状況にあることが重要だ。そのため事件の真相解明に与えられる時間は通常、動物の死亡から遺体の死後硬直が始まるまで――哺乳類であればおよそ二、三時間程度である。

「んぶるべるばるべる」

 ――正治は、また垢が溜まってきた顔をフウに舐め回されながら、彼なりの喜びの声を上げている。

 正治と『夜間救急動物病院はなおか』のスタッフたちの力ですっかり元気を取り戻したフウは今、田中夫妻のもとで以前と変わらない幸せな生活を送っている。今日、田中夫妻がフウと共に『夜間救急動物病院はなおか』を訪れたのは、フウのことのお礼にと、正治とスタッフたちに差し入れを持ってくるためである。

「大胆な犯行で、まだ良かった」

 正治はフウのつぶらな瞳に見つめられながら、差し入れに頂いたフルーツクッキーをかじり、ぼそりと呟く。

 フウの殺害未遂をした後藤ごとう豊正とよまさは正治の予想の通り、彼が飼育するポニー、『わかまる』の飼育費を工面くめんするために、あのような犯行に及んだのだという。田中家から盗まれた金庫とその中身は無事に返却され、田中夫妻には後藤から、フウの治療費と家の修理・クリーニング代、そして慰謝料が支払われる予定となっている。

 ――後藤とわかまるには、やはり特別な絆があった。

 後藤はかつて小さな観光牧場を経営していたが、五年前に経営破綻をした。その後、わかまる以外の六頭のポニーたちは新しい飼い主の元に引き取られていったが、わかまるは、寂しくなると自分の体を噛んでしまういの癖が出るため、毛があちこち禿げ、皮膚は傷だらけであった。わかまるは寂しがり屋である一方、とても温厚な性格で、観光牧場の常連客には人気であったが、見た目があまりにも不健康であったことから、引き取り手が見つからなかった。わかまるにかかる医療費や手間を覚悟で引き取りを考えてくれた牧場も数軒あったが、飼育頭数の事情などもあって譲渡は叶わなかった――。

 そこで後藤は個人的にわかまるを引き取り、資金が無い中で僻地へきちの小さな拠点を持って、出張ポニー教室を始めた。

 温厚できもわったわかまるは、すぐに新しい生活に慣れた。そして、後藤が一対一で常に傍にいるためか、身っ食いの癖が出ることが減り、体の禿げや傷跡はきれいになっていった。

 しかし、やはり資金繰しきんぐりは困難であった。寿命がおよそ三十年といわれるポニーのわかまるは人間よりも速く年を取って、かかる医療費や手間も増えていった。

 だが、後藤はわかまるに強い愛着を感じており、手放すという選択肢を取ることができなかった。わかまるが自分から離れたら、また身っ食いが始まって、新しい飼い主に見放されてしまう。そう思っていた。

 後藤は仕方なく、盗みを始めた。

 後藤はフウの前にもこれまでに四件、各地で同様の事件を起こしており、計六頭の犬や猫にカフェイン中毒を起こさせ、うち三頭を死亡させた。

「わかまるちゃんのことが大好きなのは分かる」

 正治はフルーツクッキーを飲み込んで、フウの首を両手でわしわしと揉む。汚い部屋着の胸ポケットからはなめ子が鼻先を覗かせ、ぺろりと舌を出して空気の匂いを嗅ぐ。

「彼の、馬のトレーニング技術や馬を愛する気持ちは本物だし、彼には、これからも馬たちのために生きてほしいと思う」

 取り返せないことを取り返してもらうという意味でも――。

「でも、ぼくはきっと、許せない。彼はわかまるちゃんを犯罪に使って、わんちゃんやねこちゃんを沢山苦しめて、殺した」

 重いのこぎりを引くような声に、『夜間救急動物病院はなおか』の三人のスタッフは、フルーツクッキーを食べる手を止めて正治を見る。

「ぼくは、みんなを助けることはできない……」

 撫でる手を止められたフウと、何となく運動する気分になってポケットから顔を出したなめ子が、脂っぽい前髪に覆われた正治の顔を見上げる。

「でも、フウは助かりました」

 美沙子の手が、正治の手に重なる。

「これから亡くなるはずだった子たちだって、救われました」

 祐一の手も。

「わかまるちゃんだって」

 志賀の分厚ぶあつい手は、正治の背中を支える。

「はい。幸せに暮らしています」

 佐々木は、とあるネットニュースの記事の写真をスマートフォンに表示して正治に見せる。

 そこには、広い放牧場で他のポニーと毛づくろいをし合い、リラックスした表情を浮かべるわかまるの姿が写っていた。

 今回の事件が報道されてから、わかまるには全国各地から引き取りを希望する声がかかり、わかまるは現在、元の牧場で共に暮らしていた『ジード』と『ひまわり』もいる、島根県のとある観光牧場で平和な生活を送っている。後藤とはなばなれになり、一頭になる時間も増えたことからか身っ食いの癖はまた出てきてしまったが、牧場のスタッフたちや獣医師のサポートのもと、健康を取り戻そうとしているそうである。また、温厚で力持ちのわかまるは、牧場の客に大人気で、他のポニーたちとも仲良しなのだという。

「兄さん」

 花岡の両手が、兄の膝を少しだけ強く叩く。

 顔を上げた正治の目は、赤かった。

「僕たちは、全ての命を救うことはできない悔しさを抱えたままで、できる限りのことをするんです。悔しいから、全力でやるんです。だから、悔しいままでいてください」

 正治の目からこぼれた二粒の涙を、フウとなめ子がぺろりと舐めた。




『ペット探偵 花岡正治 ――ボーダーコリー カフェイン中毒死事件――』 完

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ペット探偵 花岡正治 柿月籠野(カキヅキコモノ) @komo_yukihara

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