第10話 命の続き
花岡正治には、不思議な力があった。
それは、人間以外の動物が事件によって死亡した場合に、その動物の遺体に
ただし、亡くなった動物が後遺症無しに生き返るには、その遺体が、命が戻ることのできる状況にあることが重要だ。そのため事件の真相解明に与えられる時間は通常、動物の死亡から遺体の死後硬直が始まるまで――哺乳類であればおよそ二、三時間程度である。
「んぶるべるばるべる」
――正治は、また垢が溜まってきた顔をフウに舐め回されながら、彼なりの喜びの声を上げている。
正治と『夜間救急動物病院はなおか』のスタッフたちの力ですっかり元気を取り戻したフウは今、田中夫妻のもとで以前と変わらない幸せな生活を送っている。今日、田中夫妻がフウと共に『夜間救急動物病院はなおか』を訪れたのは、フウのことのお礼にと、正治とスタッフたちに差し入れを持ってくるためである。
「大胆な犯行で、まだ良かった」
正治はフウの
フウの殺害未遂をした
――後藤とわかまるには、やはり特別な絆があった。
後藤はかつて小さな観光牧場を経営していたが、五年前に経営破綻をした。その後、わかまる以外の六頭のポニーたちは新しい飼い主の元に引き取られていったが、わかまるは、寂しくなると自分の体を噛んでしまう
そこで後藤は個人的にわかまるを引き取り、資金が無い中で
温厚で
しかし、やはり
だが、後藤はわかまるに強い愛着を感じており、手放すという選択肢を取ることができなかった。わかまるが自分から離れたら、また身っ食いが始まって、新しい飼い主に見放されてしまう。そう思っていた。
後藤は仕方なく、盗みを始めた。
後藤はフウの前にもこれまでに四件、各地で同様の事件を起こしており、計六頭の犬や猫にカフェイン中毒を起こさせ、うち三頭を死亡させた。
「わかまるちゃんのことが大好きなのは分かる」
正治はフルーツクッキーを飲み込んで、フウの首を両手でわしわしと揉む。汚い部屋着の胸ポケットからはなめ子が鼻先を覗かせ、ぺろりと舌を出して空気の匂いを嗅ぐ。
「彼の、馬のトレーニング技術や馬を愛する気持ちは本物だし、彼には、これからも馬たちのために生きてほしいと思う」
取り返せないことを取り返してもらうという意味でも――。
「でも、ぼくはきっと、許せない。彼はわかまるちゃんを犯罪に使って、わんちゃんやねこちゃんを沢山苦しめて、殺した」
重い
「ぼくは、みんなを助けることはできない……」
撫でる手を止められたフウと、何となく運動する気分になってポケットから顔を出したなめ子が、脂っぽい前髪に覆われた正治の顔を見上げる。
「でも、フウは助かりました」
美沙子の手が、正治の手に重なる。
「これから亡くなるはずだった子たちだって、救われました」
祐一の手も。
「わかまるちゃんだって」
志賀の
「はい。幸せに暮らしています」
佐々木は、とあるネットニュースの記事の写真をスマートフォンに表示して正治に見せる。
そこには、広い放牧場で他のポニーと毛づくろいをし合い、リラックスした表情を浮かべるわかまるの姿が写っていた。
今回の事件が報道されてから、わかまるには全国各地から引き取りを希望する声がかかり、わかまるは現在、元の牧場で共に暮らしていた『ジード』と『ひまわり』もいる、島根県のとある観光牧場で平和な生活を送っている。後藤と
「兄さん」
花岡の両手が、兄の膝を少しだけ強く叩く。
顔を上げた正治の目は、赤かった。
「僕たちは、全ての命を救うことはできない悔しさを抱えたままで、できる限りのことをするんです。悔しいから、全力でやるんです。だから、悔しいままでいてください」
正治の目から
『ペット探偵 花岡正治 ――ボーダーコリー カフェイン中毒死事件――』 完
ペット探偵 花岡正治 柿月籠野(カキヅキコモノ) @komo_yukihara
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