第9話 絆
正治は田中夫妻と志賀に小さく頷いて、話し始める。
「犯人はポニーを連れてここへ来て、ポニーはドッグランの中に入れ、柵に繋いでおいた。それから窓を割って、家に侵入した。家の中でポニーが通る経路なんかを確認したら、冷蔵庫にあったベーコンでインスタントコーヒーを巻いてフウちゃんに食べさせ、フウちゃんにカフェイン中毒の症状が出る前に、繋いでおいたポニーを連れて家に入った。そして、ポニーに金庫を繋いで引かせ、床から剥がしてポニーの荷運び用の
「でっ、でも、ポニーが、こんな……」
「できる」
口を開きかけた美沙子に、正治が断言する。
「ぼくが言っているポニーというのは、体高が一四七センチメートル以下の馬のこと。『体高』は肩までの高さを言うから、首を含めるとかなり大きい子もいる。でも、もっと小さい、動物園の子供向けのふれあい広場なんかにいるような子でも、大人一人を乗せたまま普通に走ることができるし、力仕事をするために改良された品種の子もいるから、フローリングの床から金庫を引っこ抜いて運ぶのは難しくない。ボルトがコンクリートにでも打ち込まれていれば別だろうけど。窓や戸口、寝室の通路も、この幅と高さがあれば十分通れる。急な斜面のある放牧場を歩き回るポニーがいるくらいだから、階段も、練習すれば
「でもさでもさ」
言葉を失った田中夫妻の横で、志賀がはいはいと手を挙げる。
「ポニーさんって草食動物だから、とっても臆病でしょ? 初めての場所で、初めて見るものがいっぱいあって、しかもポニーさんにとっては窮屈なお部屋で、怯えて暴れちゃったりしないの?」
「それが今回の犯人を特定するのに重要な部分」
正治は表情を変えずに、志賀の質問に答える。
「この家に入ったのは、初めての環境に行くことによく慣れたポニーだ。加えてそのポニーは、主人――つまり、一人と一頭で構成された群れのリーダーとの信頼関係が非常に強い。恐らく、ポニーとその主人である犯人は長年、様々な場所に出張するような活動をしている」
正治の最後の言葉で、田中夫妻が同時に「あっ」と声を上げる。
「出張ポニー教室」
正治は田中家に来る途中で見た、町内掲示板のポスターの文字を読み上げる。
「でもっ、私たち、公園に来ていたのを見たことはあるけど……」
「え、ええ、とてもそんな風には……」
田中夫妻は、青白い顔を見合わせる――。
「だからこそだよ」
正治はポーチの中のなめ子を見下ろし、呟く。
「
そこで初めて、正治の目が鋭く光る。
「動機は今の所予想しかできないけど、さっきも言ったように、ポニーの主人は、元は犯罪とは縁遠い人物だ。それでも、ちょっとしたきっかけから盗みのスリルが快感になってしまったとか、誰かに脅されているとか、色んなことが考えられる。でもまあ、最も有力だと思うのは、ポニーの飼育費用を得るため。確実に貴重品の入っている金庫を狙っているんだし。で、飼育費用というと、まず餌。もちろん個体によって色々だけど、激しい運動をする日には五キロ近く食べる子もいる。もちろん餌だけじゃない。ポニーは運動をしないと、血行やお腹の動きが悪くなったりして、死に至る病気になることもあるから、常に広い運動場を確保しておかなくちゃいけない。反対に、リラックスしてゆっくり休める
動物を飼うことについてよく知る田中夫妻と志賀は、重い表情で目を見合わせる。
同時に正治の目にも、ふっと黒い影が差す。
「主人とポニーには、特別な絆があるよ。犬を殺してでも守ろうとするほどの、特別な絆が」
――犬は殺された。
フウは死んだ。
田中夫妻に、怒りは湧かなかった。ただ、悲しくて、悲しくて、仕方なかった。
もうフウが走り回ることのないドッグランの芝が、場違いに
「現場に戻ってくる、とは言うけどね」
不意に正治が呟いた直後、男のものらしい
「志賀くん!」
「うん!」
正治の声に元気に応えた志賀が、走り出す。自分の肩ほどの高さがあるドッグランの柵に片手をつき、軽々と飛び越えて着地すると、両足で駐車場のレンガを踏みしめてさっと重心を落とす。
「ふぎゃっ」
志賀が放った美しいほどに正確な回し蹴りに、向かってきた男は耐えられるはずもなく、情けない声を漏らして茂みに転がった。
男の手から落ちて道路の方へ転がった小型ナイフに、男が持つリードロープに引っ張られて現れた白茶のポニーが、興味津々の顔で鼻を近付ける――。
「わかまる、危ないよ」
いつの間にかドッグランから出てきていた正治が、穏やかに声をかけながらポニーに歩み寄り、ナイフを男とポニーから離れた道路の端に蹴る。それから両手を伸ばしてポニーの顔に
ポニーは蹄をかぽかぽと鳴らしながら、誘導に従ってのんびりと歩いてくる――。
「いい子だ……」
大きな手でポニーの太い首をそっと叩く正治の顔は、切っていないだけの髪に隠れて見えない――。
ぷりるるるっ。
「はっ、わっ、来たよっ!」
一人でぱあっと顔を輝かせた志賀が、ナースポーチに入れていたスマートフォンを取り落としそうになりながら出し、電話に出る。
「あっ! やった! やったよ!」
電話の相手に一秒たりとも喋る隙を与えないで喜び始めた志賀が、田中夫妻に向かってお日様のような笑顔で報告する。
「フウちゃん、帰ってきたよ!」
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