第9話 絆

 正治は田中夫妻と志賀に小さく頷いて、話し始める。

「犯人はポニーを連れてここへ来て、ポニーはドッグランの中に入れ、柵に繋いでおいた。それから窓を割って、家に侵入した。家の中でポニーが通る経路なんかを確認したら、冷蔵庫にあったベーコンでインスタントコーヒーを巻いてフウちゃんに食べさせ、フウちゃんにカフェイン中毒の症状が出る前に、繋いでおいたポニーを連れて家に入った。そして、ポニーに金庫を繋いで引かせ、床から剥がしてポニーの荷運び用のくらに乗せ、運び出した。ポニーの蹄はフローリングでは滑るけど、この家の寝室には、ベッドの下からいているスペースにかけて広くカーペットが敷いてあるし、クローゼットの反対側の窓を開けて、そこまで行って窓枠に足を引っかければ踏ん張れる。あと、重い金庫をポニーの背まで上げるのは大変だけど、普段からポニーの世話をしていれば力仕事には慣れているだろうし、介護用のパワーアシストスーツなんかを使えばできなくもない。そうやって金庫を乗せたポニーを庭に出した後、ポニーを通した場所以外の扉も開けて、フウちゃんに家全体をぐちゃぐちゃにさせ、家の中に残った自分とポニーの足跡や毛なんかを隠した。まあ、ポニーが植物をかじった跡や取りきれなかった糞のかすは残ったし、縁側の蹄の跡は拭き忘れたみたいだけど。だから犯人は恐らく、元は犯罪とは縁遠い人。多少なりとも焦ってたんだろう。そして、ドッグランのこの柵は、横に渡されている棒が一番上と一番下にしかないから、ここにポニーを無理のない姿勢で繋ぐと、どうしても頭が上下に動いてしまう。それならポニーは柵の外、駐車場側に繋いでおいた方が、植物をかじった跡を残さずに済む。特に食いしん坊の子だと、美味しそうな葉っぱが見えただけでも一直線だから、緑の多いドッグランの中に入れるだけでも何かしらを齧る可能性があるし。でも、レンガよりも芝生の方が糞や尿が目立ちにくいし、ドッグランの柵の外には家庭菜園がある。家庭菜園にはナス科やネギ類の野菜が植わっていて、これは馬には毒だ。馬は毒のある植物を自分でけることがほとんどだけど、放牧場や公園などでは見慣れない『野菜』となると、ポニーの主人は、ポニーが万が一食べてしまったらと不安だったんだろう。主人はポニーをただの道具として使っていたわけではなさそうだ」

「でっ、でも、ポニーが、こんな……」

「できる」

 口を開きかけた美沙子に、正治が断言する。

「ぼくが言っているポニーというのは、体高が一四七センチメートル以下の馬のこと。『体高』は肩までの高さを言うから、首を含めるとかなり大きい子もいる。でも、もっと小さい、動物園の子供向けのふれあい広場なんかにいるような子でも、大人一人を乗せたまま普通に走ることができるし、力仕事をするために改良された品種の子もいるから、フローリングの床から金庫を引っこ抜いて運ぶのは難しくない。ボルトがコンクリートにでも打ち込まれていれば別だろうけど。窓や戸口、寝室の通路も、この幅と高さがあれば十分通れる。急な斜面のある放牧場を歩き回るポニーがいるくらいだから、階段も、練習すればのぼりできるようになる子もいる」

「でもさでもさ」

 言葉を失った田中夫妻の横で、志賀がはいはいと手を挙げる。

「ポニーさんって草食動物だから、とっても臆病でしょ? 初めての場所で、初めて見るものがいっぱいあって、しかもポニーさんにとっては窮屈なお部屋で、怯えて暴れちゃったりしないの?」

「それが今回の犯人を特定するのに重要な部分」

 正治は表情を変えずに、志賀の質問に答える。

「この家に入ったのは、初めての環境に行くことによく慣れたポニーだ。加えてそのポニーは、主人――つまり、一人と一頭で構成された群れのリーダーとの信頼関係が非常に強い。恐らく、ポニーとその主人である犯人は長年、様々な場所に出張するような活動をしている」

 正治の最後の言葉で、田中夫妻が同時に「あっ」と声を上げる。

「出張ポニー教室」

 正治は田中家に来る途中で見た、町内掲示板のポスターの文字を読み上げる。

「でもっ、私たち、公園に来ていたのを見たことはあるけど……」

「え、ええ、とてもそんな風には……」

 田中夫妻は、青白い顔を見合わせる――。

「だからこそだよ」

 正治はポーチの中のなめ子を見下ろし、呟く。

可愛かわいくて優しいポニーと、そのポニーを連れて人々を喜ばせる主人――。そんな二人ならば、人懐こい犬がいて、ポニーが入れそうな家を探して町を歩いていても怪しまれない。あんなに目立つポニーがいても、一切ね。それに、金庫を引っ張ったり運んだりするための道具を持ち歩いていても、素人目には馬用の道具と見分けがつかない。警察の中にだって、馬のことに詳しい人はそういない。パワーアシストスーツも、畳んだり分解したりして乗馬用のプロテクターなんかに混ぜてしまえば、紛れるだろう」

 そこで初めて、正治の目が鋭く光る。

「動機は今の所予想しかできないけど、さっきも言ったように、ポニーの主人は、元は犯罪とは縁遠い人物だ。それでも、ちょっとしたきっかけから盗みのスリルが快感になってしまったとか、誰かに脅されているとか、色んなことが考えられる。でもまあ、最も有力だと思うのは、ポニーの飼育費用を得るため。確実に貴重品の入っている金庫を狙っているんだし。で、飼育費用というと、まず餌。もちろん個体によって色々だけど、激しい運動をする日には五キロ近く食べる子もいる。もちろん餌だけじゃない。ポニーは運動をしないと、血行やお腹の動きが悪くなったりして、死に至る病気になることもあるから、常に広い運動場を確保しておかなくちゃいけない。反対に、リラックスしてゆっくり休める馬房ばぼうも必要。加えて蹄の手入れなんかをプロに頼むならまた費用がかかるし、怪我や体調不良で獣医に診せるとなったらまたかかる。予防接種や健康診断だってタダじゃない。馬を診る獣医は犬や猫のよりも少ないから、時には出張費もかかる。世話やポニー教室に使う道具も消耗する。ポニーを遠くまで移動させるには特別な車も必要。移動した先でも、馬の調子を整えるための運動場や休憩させておく場所を借りなくちゃいけない。もちろんポニーじゃなくてもそうだけど、動物を一匹でも飼うのにはお金がかかる。一人と一頭が営むふれあい事業だけじゃ、なかなかまかないきれるものじゃない」

 動物を飼うことについてよく知る田中夫妻と志賀は、重い表情で目を見合わせる。

 同時に正治の目にも、ふっと黒い影が差す。

「主人とポニーには、特別な絆があるよ。犬を殺してでも守ろうとするほどの、特別な絆が」

 ――犬は殺された。

 フウは死んだ。

 田中夫妻に、怒りは湧かなかった。ただ、悲しくて、悲しくて、仕方なかった。

 もうフウが走り回ることのないドッグランの芝が、場違いに呑気のんきなそよ風に吹かれて揺れる――。

「現場に戻ってくる、とは言うけどね」

 不意に正治が呟いた直後、男のものらしい咆哮ほうこうが四人の鼓膜を殴る。

「志賀くん!」

「うん!」

 正治の声に元気に応えた志賀が、走り出す。自分の肩ほどの高さがあるドッグランの柵に片手をつき、軽々と飛び越えて着地すると、両足で駐車場のレンガを踏みしめてさっと重心を落とす。

「ふぎゃっ」

 志賀が放った美しいほどに正確な回し蹴りに、向かってきた男は耐えられるはずもなく、情けない声を漏らして茂みに転がった。

 男の手から落ちて道路の方へ転がった小型ナイフに、男が持つリードロープに引っ張られて現れた白茶のポニーが、興味津々の顔で鼻を近付ける――。

「わかまる、危ないよ」

 いつの間にかドッグランから出てきていた正治が、穏やかに声をかけながらポニーに歩み寄り、ナイフを男とポニーから離れた道路の端に蹴る。それから両手を伸ばしてポニーの顔にけられたホルターを握ると、「車が来るからね。こっちだよ」と声をかけながら、後ろ歩きで駐車場の中へと誘導する。

 ポニーは蹄をかぽかぽと鳴らしながら、誘導に従ってのんびりと歩いてくる――。

「いい子だ……」

 大きな手でポニーの太い首をそっと叩く正治の顔は、切っていないだけの髪に隠れて見えない――。

 ぷりるるるっ。

 よどんだ空気に、おもちゃの天使の矢を投げ込むような景気の良い着信音が鳴り響く。

「はっ、わっ、来たよっ!」

 一人でぱあっと顔を輝かせた志賀が、ナースポーチに入れていたスマートフォンを取り落としそうになりながら出し、電話に出る。

「あっ! やった! やったよ!」

 電話の相手に一秒たりとも喋る隙を与えないで喜び始めた志賀が、田中夫妻に向かってお日様のような笑顔で報告する。

「フウちゃん、帰ってきたよ!」

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