第8話 証拠

 正治はなめ子のウンチ騒動が収まってから、人が変わったかのような真顔になってしばらくその場で庭の様子を見ていたが、不意に田中夫妻に向き直る。

「室内の写真を見せてもらっても?」

 正治は頷いた美沙子と祐一からスマートフォンを受け取り、一階の窓際同様に荒れ果てた室内の写真を順番に見ていく。フウが留守番をしていた一階のリビングルームだけではなく、扉や柵で仕切られていたはずのキッチン、トイレ、廊下、階段、二階の寝室やクローゼット――どこも酷いものだ。

「やっぱり、人が開けたんだよね?」

 志賀が正治の横からスマートフォンを覗き込みながら、写真に写るキッチンの出入り口の柵と、シンク上の戸棚の扉を指差す。それらは二つともロックが破損することなく外れており、完全に開け放たれている――。

「ご夫妻が閉め忘れたということでなければ」

 正治が田中夫妻に鋭くも優しくもない視線を向けると、夫妻は「一階の扉は特に気を付けて、毎日閉まっていることを確認してから外出しています」と答える。

「でもキッチンだけじゃなくて、どこもかしこも開いてるから、閉め忘れっていうよりは、やっぱり誰かがわざと開けたって感じだよね」

 黙って写真を見続ける正治の代わりに、志賀が笑顔で田中夫妻に頷いてみせる。

「金庫はここに?」

 正治が指差しているのは美沙子が撮影した、二階の寝室のクローゼットの写真である。その扉も開け放たれ、中はやはりフウのものとみられる吐瀉物としゃぶつや、夫婦の破れた服で荒れている。しかし、洋服掛けの下に置かれた箪笥の奥には、明らかに何かが設置されていたと分かる、五十センチメートル四方ほどの空間がある――。

「ええ、そうです。かなり重いもので、床にボルトで固定してあったんですが……」

 美沙子が指差したその空間には、長期間動かさないものが置いてあったことを示す量の埃が溜まっているのが見える。その埃と破れた服の隙間から覗くフローリングの床には、確かに太いネジが刺さっていたような穴がいくつか開いているが、その穴はどれも、そこから無理やりネジを引き抜いたかのように割れ、広がっている。

「どの型?」

「ああ、ええと……」

 正治の問いに、美沙子は一度スマートフォンを受け取って、調べ始める。

「すみません、全く同じものは見つからなかったんですが、たぶんこれの、古い型だと思います」

 正治はスマートフォンを持って金庫専門店のサイトの商品情報ページが表示された画面を見ると、また黙って室内の写真を調べに戻る。

「わあ、重い。七十五キロもあるんだねえ。盗もうとしたら警報も鳴るし」

 変わらず正治の手元を覗き見ていた志賀が、感心したように呟く。

「ええ、でも、警報は鳴らなかったかもしれません」

 祐一が美沙子と顔を見合わせ、申し訳なさそうに頭を掻く。

「何せ設置して頂いたのが確か十年前でして、それからずっと電池を換えていなかったので……」

「でも、七十五キロだよ? ボルトもあったら、警報が鳴らなくたって二階から持っていくのは大変だよ」

 志賀は人差し指をぴんと立てて、うんうんと頷く。

「普通の人間なら無理だね」

 写真を見終わったらしい正治が、スマートフォンを田中夫妻に返しながら淡々と話し出す。

「どうしても時間がかかって、暴れ始めたフウちゃんに襲われる。フウちゃんに襲うつもりが無くとも、あれだけ大暴れすればそこにいた人は無事ではいられない。でも、フウちゃんの口や爪に、人を怪我させたような跡は無かった。肉球にはガラスで怪我をした跡があったけど」

 正治はそこまで言うと、再び庭に目をる。

「当日、車はどこに」

 正治の問いに、美沙子が「私が職場に」と答える。今、田中夫妻の車は『夜間救急動物病院はなおか』の駐車場に停めてあるので、事件当時もこの状況であったという訳だ。

「……余裕だな」

 駐車場の前の扉の無い門を振り返った正治が、ぼそりと呟く。

「よゆー? 正治お兄ちゃん、よゆーで解決しちゃう?」

 志賀がぐいぐいと丸い顔を寄せてくるのを無視して、正治は、今度はドッグランの柵を開け、なめ子のポーチを抱えて芝生の端をゆっくりと歩き始める。と、すぐに立ち止まって、ドッグランを囲むように植えてある木の枝を指差す。

「ちぎった?」

 正治が指差す細い枝は確かに、無理やり引きちぎられたかのように折れて、新鮮な薄緑色の切り口を見せている。

 田中夫妻は揃って首を横に振る。そして、正治が指差したもの以外にも、枝が同じようにちぎられている所や、葉だけが無くなっている所、芝生が削られたようにへこんでいる所があるのに気付くのであった。

「あとは……」

 正治は呟くと、なめ子のポーチを抱えたまま歩き、縁側に手を当てて高さを測ってみたり、両腕を広げて窓ガラスの幅を測ってみたりする。

 正治は色々の長さを測るのに満足すると、今度は縁側や芝生の表面を舐めるように観察し始め――。

「あった」

 ただそれだけ呟くと、正治はポケットからデジタルカメラを取り出して、縁側の板の表面と、芝生のある一点を撮影し、次に小さなプラスチックケースとピンセットを取り出して、芝生の中から何かを採取する。

「この形、大きさだと……」

 正治はぶつぶつ言いながら田中夫妻と志賀をドッグランの中に手招きし、撮影した写真とプラスチックケースを見せる。

 写真に写る縁側の板の表面には丸いU字型をした跡が複数、芝生の中には朽ちかけた草のような、緑褐色の破片がある。プラスチックケースには芝生の中にあった緑褐色の破片が入っており、それには植物の繊維のようなものが混ざっているのが確認できる――。

ひづめの跡と、ウンチの欠片かけらだね。ウマの仲間、この蹄の大きさであれば、恐らくポニーの」

 正治の淡々とした声に、田中夫妻は息を呑んで顔を見合わせる。

「正治お兄ちゃんっ!」

 田中夫妻とは対照的に、志賀は嬉しそうに両手を合わせて飛び跳ねる。正治は少し顎を引いて頷くと、話し始める――。

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