最終話 新たな結末へ
「いや。リズ、可愛い名前だね。とてもいい名前だと思うよ」
俺はそう言った。
あれ? その言葉は、三年前のあのときに、リズへ——。
俺は、自分が右手に何かを握っていることに気付いた。ちらりと見ると、カメオ細工の中に嵌め込まれている時計だった。
『
三年前だ。今は、あの三年前のリズとの出会いのときに、戻ったのだ。
だが、人形のようなリズの手を引いて、俺とリズはこれから使用人の部屋に忍び込み、服を着替えてレオの部屋へ向かう。
ああ、それからだ。リズをロザリー侯爵家へ戻すわけにはいかない。俺は何をすべきか、瞬時に把握した。
リズを、逃すのだ。まずは王宮から、そのあとのことはまた考えよう。そうでもしなければ、リズをここに置いておけば、ロザリー侯爵家へ戻され、他の貴族の男に嫁がされ、それで幸せになるとはまったく思えない。人形のような彼女は、いいように扱われて、その人生を終えるしかなくなる。
俺はひたすらに考える。使用人の部屋でリズのコルセットを脱がすときも、必死に考えた。使用人の女性の服を着慣れないリズに着せて、俺も礼服を脱いで目立たない服に着替える。このままレオの部屋へ行っていいのか、悩みながらも、三年前と同じルートを辿る。
レオは、表向きは俺を悪し様に言うことはない。体面を取り繕うことにかけては右に出る者はいないほどに上手い。だから、すぐに告げ口して俺を突き出す、なんてことはしないと思うのだが、どうだろう。三年前のあのときは一応、このあとは仲良くカフェへ行ったのだが——。
すると、レオの部屋の窓を叩く直前、リズは俺の袖を引っ張った。
何だろう、と俺が振り向くと、リズは結婚してからも見たこともないような、必死の形相をしていた。目はしっかりと、俺を見つめている。人形だったあのリズではない、と俺は察した。
「エセルバート様。私は、逃げます」
「逃げる? どこへ?」
「分かりません。でも、あなたを射止められなければ私には行くあてもありません。ロザリー侯爵家にも居場所はなく、貴族の娘としての立場もなくなるでしょう」
何だ? 三年前には、こんなことはなかったぞ。
まるで、リズは別人のように、人間らしい執着を見せている。
「それでも、私は生きたい。最後まで、楽しく笑って、生きてみたい。無駄な足掻きかもしれません、でもやらなければならないのです」
リズは、そう言った。
生きたい。楽しく笑って、生きてみたい。その言葉が、本当に三年前のリズの口から出てきたとは、信じられなかった。
俺は、生に執着を示し、『楽しい』ことを望んでいるリズに、すっかり呑み込まれていた。
ああ、そうか。ひょっとすると——俺も、リズも、記憶を持ったまま三年前に戻ったのか?
その確証はなかったが、リズの変化はそれを予感させた。ならば、俺はこの、目の前にいる三年前の姿をしたリズへ、償いができるのではないか。
俺がリズを王太子妃に選ばないことで、リズはどんな人生を歩むだろう。
そんな不確かなことを、俺は選べない。できることなら、俺がリズを幸せにしたいのだ。幸せにできなかった三年後の償いを、しなければならない。
「さようなら。少しの間だけでも、夢を見させていただきました。このまま、お別れしましょう」
リズはそう言って、俺の袖から手を離そうとする。
俺は、咄嗟にリズの腕を掴んだ。
「ちょっと待っていてくれないか? すぐ終わるから、ここで待っているんだよ」
俺はリズを引き留めて、それからレオの部屋の窓を叩いた。
「レオ。話がある」
すぐに、部屋の窓が開く。レオは何食わぬ顔でやってきた。
「何でしょう?」
あまり、会話も顔を合わせることも、もうしないほうがいいだろう。
俺は単刀直入に、こう言った。
「お前に王位継承権を譲る。俺は逃げる」
いつも涼しげなレオの顔が、見たこともない呆気に取られた顔になっていた。
だが、もう決めたことだ。これしか、俺がリズを幸せにする方法はない。
「つまり、駆け落ちだ。止めるなよ」
俺とリズは、辺境伯のもとへ無事辿り着いた。母が驚きながらも出迎えてくれて、事情を話し、ここにいると累が及ぶから別の土地へ行くことを伝えた。
母と義理の祖父である辺境伯は、俺たちを止めなかった。ただ、いつでも帰ってきていい、と言って、大金と馬を渡してくれた。俺は感謝して、リズと隣国までの逃避行を続けた。
俺は——リズを幸せにすることは当然だが、もう一つ、どうしてもやっておかなければならないことがあった。
それは、復讐だ。
この国に、俺は復讐しなければならない。母を奪い、リズの命も尊厳も奪ったこの国を、許してはおけない。
たとえ時間が巻き戻ってなかったことになったとしても、俺はリズのために、この国へ復讐する。
それは、俺が人生をかけて行う、秘匿された大事業になった。
俺は『
あとは、大した労もなく、故郷を——滅ぼした。戦争、飢餓、反乱、さまざまな不幸が襲い、数年後には国の痕跡すらもなくなって、国土は周辺国に分割された。元々腐っていた国を打ち倒すくらい、わけはなかった。王侯貴族は残らず死んだか行方不明になって、あとのことは分からない。とはいえ、義祖父の辺境伯と母だけは、隣国の縁ある商家へ逃した。
復讐のせいで、家を空けることが多くなったものの、リズはいつも笑顔で出迎えてくれる。身分を隠し、とある都市で俺たちは静かに暮らしていく。
俺はリズへ尋ねた。
「リズ。幸せか?」
リズは居間でくつろぐ子供たちを眺めながら、こう答えた。
「幸せです。あなたがいてくれるから、私は楽しくてしょうがないのです」
そうか、それならよかった。
俺はポケットの中にある『
おしまい
もう妃になどなるものですか、私はあなたと楽しく幸せに生きていきたいのです ルーシャオ @aitetsu
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