ナースメイドとミートパイ
宵宮祀花
鋼鉄のメイド
「チャンスは残り三回です」
どこか楽しげに声は告げた。
振り向けば、お手伝いメイドロイドのジェシカが私の上着を手に佇んでいた。癖のない真っ直ぐな赤毛をきっちりうなじで纏めて、黒いロングメイド服を着た彼女は、私がおしめをしていた頃からの付き合いだ。
「ジェシカ、先週もそう言ったよね」
「すみません、よくわかりません」
「なんでやねん」
びっくりした。
十六年っていう大して長くもない人生で、初めて心からのなんでやねんが出たわ。AIのくせにいつもちょっとだけ面白いのやめてほしいわ。
「いきなり百年前の骨董品みたいな応答しないでよ。驚くじゃない」
「すみません」
「それはもういいから」
上着を受け取って羽織ると、今度は鞄を差し出してきた。
まるでケーキの箱を扱うみたいに、両手で丁寧に持っている。それを片手で掴むとジェシカは少しだけうれしそうに笑う。
「じゃあ、行ってきます。帰ったらいつものよろしくね」
「はい、畏まりました。お帰りをお待ちしております」
恭しくお辞儀をするジェシカに見送られ、私は家を出た。
学校は楽しい。友人もたくさんいるし、授業は退屈なのもあるけれど、教えるのが上手な先生の選択科目は一時間があっという間に感じるくらい楽しい。運動の時間はちょっと億劫で、でもそれが終わったあとのランチは最高。
アジア人は欧州では差別されるって聞いていたけれど、少なくとも私の友人たちは私を人種で差別したり嘲笑したりしない。身構えていたのが馬鹿らしく思えるくらい優しくて誠実ないい子ばかり。そりゃ、気が合わない子もいるし、低レベルな悪口を言ってくる男子もいるけれど、そういうときは友人が庇ってくれるもの。だから私はそんなのにいちいち傷ついたりしないでいられる。
でも、私にとって一番大切な時間は、残念ながら学校では過ごせない。
「ユーリ、今日は真っ直ぐ家に帰るの?」
「うん。約束があるの」
親友のエレーナは、笑って「いつもの“あと三回”ね」と見送ってくれた。
彼女だけは私のあと三回を知っていて、嗤ったりしないで応援もしてくれている。お陰で私は、めげずに挑み続けることが出来ているのだ。
「ただいま!」
「お帰りなさいませ、お嬢様」
まるで一日中其処で待っていたのかと思うくらい、朝と全く同じ場所で同じようにお辞儀をして迎えるジェシカに飛びつくと、機械らしい強靱な体幹に支えられた。
温もりもやわらかさもないジェシカの体は、なによりも安心感がある。
「シャワー浴びたらすぐ始めるから、待っててね」
「はい。お待ちしております」
ジェシカに上着と鞄を預けて、私はバスルームに入った。
私の行動なんてすっかりお見通しなジェシカは、私がなにも言わなくても着替えを用意しておいてくれている。
逸る気持ちを抑えつつ汗と汚れを洗い流し、外出着よりは少しだけ気の抜けた服に着替えると、真っ直ぐキッチンに向かった。
「お待たせ! さ、始めよっか」
「はい。準備は整っております」
ジェシカの前には、ミートパイの材料が一式。いまから料理番組でも始まるのかと思うような形で、綺麗に揃っている。はかりと、粉と、お肉と、色々。それらを前にジェシカとお揃いのエプロンを着け、いざ。
戦に挑む武将の心持ちで材料に向き合って、眉間に皺を寄せながら材料を量って、混ぜたりこねたり大忙しだ。
私が料理するときは、レシピ本なんてものは見ない。最初から最後までジェシカの言う通りに進めていく。
オーブンで焼き上がりを待つあいだ、リビングで文字通り右往左往する私をじっと見つめるジェシカの目は、優しいを通り越して生ぬるい。少しずつ焼けていくのが、漂ってくる匂いでわかる。この時間が何とも言えず生殺し感があって、ソワソワしてしまう。
「お嬢様が歩き回っても時間は早まりませんよ」
「わかってるよー」
「いっそ屋敷に発電機能を備えた滑車でも設置しましょうか」
「それハムスターじゃん??」
落ち着きなく歩き回るのを叱るでも止めるでもなく、ハムスターになることを提案するメイドってなに?
びっくりして思わず足が止まったのを見て、ジェシカは満足げだ。
「あっ!」
そうこうしていたら、オーブンのベルが鳴って焼き上がりを告げた。
早足で向かい、ミトンを装備してオーブンを開ければ、ほのかに漂っていた香りがふわっとキッチン中に広がった。パイ生地のバターの香りと、お肉の香ばしい匂い。スパイスをしっかり利かせてあるから、匂いだけでもう美味しい。
「上手く行ってるかなあ……」
少し冷ましてから切り分けて、ドキドキしながら一口。
ジェシカも味覚感知機能と食物のエネルギー変換機能があるから、同じように一口食べた。こうしていると人間みたい。
「……どう?」
「大変美味しく出来ていると思います」
「ほんとう?」
「はい。私は、お世辞は申し上げません」
上目遣いでジェシカを見ながら、じっと言葉を待つ。私が本当に待っている評価はそれじゃないってわかっているはずだから。
「ですが、奥様の味とは異なりますね」
「うあー! もー! なにが違うのー!? でも私もなんか違うような気がするから反論出来なーい!!」
レシピは同じ。手順も同じ。なのに、味が違う。
私が作ったミートパイだって決して不味くはない。本人が言うように、ジェシカはお世辞を言わないし、私が食べてもちゃんと美味しく感じるし。でも、違うんだ。
なにがって言われても上手く説明出来ないんだけど、なにかが違う。
「はぁ……お母さん、どうせならレシピをメモで残しておいてほしかったよ……」
「必要ありません。お嬢様には私がいます」
じっとりとジェシカを見上げると、それはそれは綺麗な微笑で私を見ていた。
「情熱的な台詞をありがとう。ついでに及第点もくれない?」
「それは出来ません。そういう契約ですから」
「くっ……!」
にっこりと、とってもいい笑顔で一刀両断されて、私はテーブルに沈んだ。行儀が悪いと叩いて叱る人も、眉を顰める人も、うちにはもういない。
「お嬢様、ミートパイが寂しそうです」
「わかってるよ、ちゃんと食べるから」
いるのは頑なな鋼鉄の乙女だけ。
「夕莉お嬢様、チャンスは残り三回です」
食べ終わったお皿を片付けているジェシカの傍に行けば、また楽しげな声がした。その背中に抱きついて、顔を埋めて息を吐く。
「……うん、がんばる」
ジェシカは両親が残した財産のうちの一つだ。
私が産まれたとき『夕莉が立派な淑女になるまでお世話をする』という条件で家に来たナーサリーメイドらしい。
両親が死んだ途端、優秀で高性能な彼女をほしがる親戚が多く現れて、引く手数多だったと聞く。それなのに私の元に残ってくれたのは、まだローティーンだった私が憐れだったからだろうか。それとも機械なりに契約の優先順位みたいなものがあるのかも知れない。
だって私はまだ子供だから、両親が死んだって自分じゃ契約を上書き出来ないし。まあ、だから親戚たちが群がってきたんだけど。
一気に家族を失って、名前も顔もろくに知らない親戚たちにジェシカを初めとする財産をむしり取られそうになったりして混乱する私に、ジェシカが言った。
『お嬢様。私の中には、奥様が残されたレシピが御座います。淑女教育として此方を再現なさってはいかがでしょう』
『お母さんの……?』
『お嬢様が立派な淑女になられるまでお世話をすることが、私の使命ですので』
『そう、だね? お母さんもそう言ってたし……』
『この契約は全てにおいて優先されます。ご了承ください』
『う、うん……わかってるよ。お父さんから聞いてたもん。万一があっても契約破棄されることがないようにしてたんだよね。そんな警戒しなくてもわたしがジェシカを勝手に解雇するわけないのにね』
『ええ、存じております。お嬢様はそのようなことはなさらないと』
会話が繋がっているようで繋がっていないような、不思議なやり取りだった。でもそれを聞いていた親戚一同が渋い顔になって、逆にジェシカが綺麗な微笑を浮かべたことが印象的だった。
正直私には、ジェシカの意図はわからない。あの日も、ジェシカを勧誘する親戚が家に来ていたことくらいしか記憶になくて。どうしてあんなことを言い出したのか、去り際に私を睨んでいった親戚たちがなにを考えていたのか、私は知らない。
ジェシカが提示するチャンスが三回から減ったことはない。そして同時に、彼女の出す課題をクリア出来たこともない。
「なにがだめなんだろうなあ……」
残ったミートパイを前に首を捻ったところで、答えが出るはずもなく。
「……お許しください、お嬢様」
そして私は、ミートパイ相手に「どうしてだと思う?」と話しかけていたせいで、ジェシカの言葉を聞き逃していたのだけれど、思いっきり考え事に耽っていたせいで気付くはずもなく。
「ねえジェシカ、来週もまた教えてくれる?」
振り向いたときに見たジェシカの顔は、いつも通りの瀟洒なメイドのもので。
「はい。来週も再来週も、来年になっても、変わらずお教え致します」
「その頃には出来てるとか思ってくれても良くない??」
そんなに見込みがないのかと、さすがにちょっと落ち込んでしまう。
「では、お嬢様が大人になられる頃には」
「遠いなあ……」
項垂れる私を余所に、ジェシカはなにも言わず、綺麗に笑っていた。
ナースメイドとミートパイ 宵宮祀花 @ambrosiaxxx
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