ジャンク人形:ネッドラッド、弐

 人形は唾の代わりに黒い廃液を吐き出き、片方の目でぐるりと辺りを見回す。


 発条が剥き出しの脚を引き、目の前の娘を蹴り上げた。マグピーは頭から瓦礫に突っ込んだ。

「痛い! 何で?」

「何でじゃねえよ」

「やめて! あたし怪我してるんだよ?」

「歯食い縛っとけ。これからもっと怪我すんだからよ」

 人形の削れた頰が鉛の歯を覗かせ、怒りに吼える獣のように見せる。

「てめえが俺をぶっ壊したんだろうが。だったら、ぶっ壊されて当然だよなあ?」

「してない、してない!」


 マグピーは必死で手を振り、男と西洋人形を指した。

「あ、あいつがやったんだよ! ほら、あんたをナイフで刺したでしょ?」

 人形は初めて気がついたように自分の腕を見下ろした。ナイフを引き抜くと、左腕が音を立てて崩れ落ちる。


 ガラクタは緑の目を光らせた。

「じゃあ、てめえか」

 相対する紳士は驚愕と喚起がないまぜの表情を浮かべた。

「まさかロンドンにふたりも≪人形遣い≫がいたとは……そのひとりが薄汚いスリの娘とは……」

「訳わかんねえことほざくなら殺すぞ。こっちは身体も半分にされて理性も五割引だぜ」


 男は嘲笑混じりの溜息を吐き、懐から小さなものを取り出した。筒状の楽器を模した木製の小さなアクセサリ。極東で根付と呼ばれるものだった。


「この世には人智を超えた異能を持つ傀儡≪人形≫とそれを操る≪人形遣い≫がいる。私と彼女のように。また、君とその娘のように」

「俺が……」

「我々は常に歴史の影に秘匿されているが、神が与えた特権もある」

 男は指を立てた。


「遥か黄金の国、日本で行われる『左義長合戦』。十人の≪人形遣い≫が殺戮の饗宴を繰り広げ、最後に残った者は全ての願いに応じて何者にも変化する神の傀儡を手に入れる。これが参加条件の根付だ。本当に知らないのか?」

「知らねえよ」


 人形は歯の隙間から錆を零して唸った。

「だが、理解できたぜ。てめえからそれを奪えば俺の気が晴れる機会が巡ってくるってことだな」

「野蛮な……」

 男はかぶりを振って白磁の人形を引き寄せた。


「しかし、英国紳士として決闘には敬意を払おう。君の名は?」

「ネッドラッド」

「私は操演者。名をモンタギュー・ジョン・ドルイット。彼女はボーンチャイナ人形。銘をレディ」

「墓石にそう刻んでやるよ」



 ネッドラッドは全身を軋ませ、重心を下げる。

 レディが動いた。白磁の腕が闇を切り裂く。

 攻撃は鋭い異音に弾かれた。ネッドラッドが吐き出した螺子がレディの腕の軌道を曲げる。


 ネッドラッドは足元の車輪を蹴った。豪速の回転がレディの脇腹を抉り抜く。砕け散った白磁が星屑のように輝いた。

 ドルイットが唸る。

「ガラクタ如きが私の貴婦人を……」


 操者が踵を踏み鳴らしたのに合わせて、レディが陶器の両足を揃えた。

 欠けた身体で体勢を立て直し、大きく右脚を上げる。レディは左脚を軸にバレエダンサーのように跳ぶと、白い踵を振り下ろした。



 脳天を穿たれたネッドラッドの顔から塗装が剥げ落ちる。

「大股開いて何が淑女だ、阿婆擦れ!」

 骸骨じみた顔で吠え、ネッドラッドがレディの腹に肘を打ち込む。衝撃で破れた右腕から発条が飛び出した。


 ネッドラッドは歯で発条を噛み、引き伸ばしてから口を開く。パチンコのように発射された螺子と発条がレディの顔面を強打した。

 純白の人形はテムズ川の濁流に頭から突っ込んだ。



 身を潜めていたマグピーは汚水の飛沫を浴びながら様子を伺った。

「何が何だかわかんないけど……」

 あのガラクタがレディを壊し、ドルイットを殺してくれれば自分は助かる。それだけは確信できた。


 マグピーは物音を立てずに移動し、ドルイットの背後に回り込む。レディの動きは持ち主の彼と連動していた。

 ––––だったら、先に切り裂きジャックの動きを止めれば。

 マグピーは足元にあった錆びた破片を拾い、ドルイットに歩み寄った。


 重い衝撃がマグピーの鳩尾を抉る。

「気づかないと思ったのか?」

 ドルイットは胃液を吐いて蹲るマグピーを見下ろした。

「操演者と糸から狙う。≪人形遣い≫の常識だろう」

「何それ……」


 マグピーは霞む目を細めた。ドルイットとレディの合間に、星明かりを束ねたような微かな輝きが揺蕩っている。

 それが銀糸だと気付く前に、マグピーは背を突き飛ばされ、汚濁の川に落下した。



 ドルイットは高らかに告げる。

「ジャンク人形、君の操者が落ちたぞ」

 ネッドラッドは焼けて張り付いた眉を顰める。

「誰だよ、知らねえよ」

「今更隠さなくてもいい。しかし、君は操演者からある程度独立して動ける自立式のようだ。念には念を入れよう」

 ドルイットが指揮者のように手を振った。

「レディ、トドメを刺せ」



 白磁の貴婦人は主の啓示を恭しく受ける。ボーンチャイナの両脚が錐揉み状に回転し、ドリルのようにネッドラッドを打ち付けた。

 防御のために上げたジャンクの右腕が崩壊する。両手を失ったネッドラッドは後方に飛びすさり、辛うじて追撃を避けた。



 レディは踊るように距離を詰め、眼前の人形をガラクタに戻す手筈に取り掛かる。

 白磁の腕が掲げられた瞬間、底が見えないほど濁ったテムズ川が大きく波打った。


 水面から飛び出したマグピーが、レディの右腕に躍りかかる。

 振り払えなかったのは、操演者と人形を繋ぐ銀糸がしっかりと絡んでいたからだ。


 マグピーはぎこちなく振り払おうとするレディの腕を痩せた太腿で挟む。

「ネッドラッド! これ、あげる!」

 マグピーは力まかせに全身を捻り、白磁の腕をへし折った。


 切り離された部品は弧を描いて飛び、ネッドラッドの前に突き刺さった。

 ネッドラッドは瓦礫の山に突き刺さった右手に、自らの腕の断面を押し付ける。歯車が噛み合う音がした。

「いけんじゃねえか」

 ジャンク人形は獰猛な笑みを浮かべた。



 ドルイットが紳士の仮面を剥ぎ捨て怒りに吠える。

「私の最高傑作を……」

「うるせえよ」

 ネッドラッドは瓦礫の山に右腕をつく。接合したばかりの白磁の手が高速で回転し、ネッドラッドの身体を跳ね上げた。


 鉄の体重を乗せた、何の工夫もない体当たりがドルイットを襲った。それだけで生身の身体は、骨が砕け、肉が裂ける。

 ネッドラッドはドルイットをドブ川に蹴落とした。


 銀糸が絡んだままのボーンチャイナ人形が水面に引き寄せられる。ネッドラッドはレディが落ちる寸前に左腕を掴んで引き留めた。

 下級労働者が失神を起こした貴婦人を抱き止めたような仕草だった。


 ネッドラッドは右手に力を込め、レディのもう片腕を引き千切る。

「俺はなあ、てめえみてえな綺麗な奴が気に食わねえんだよ!」

 鋼鉄の膝蹴りを受けたレディの顔面が破れた。ネッドラッドは口角を吊り上げ、人形を死骸とゴミが浮かぶ汚水に投げ込んだ。



 濁った奔流は≪人形≫と≪人形遣い≫を一瞬で覆い隠し、何事もなかったように沈めた。

 戦いの残響を、猥歌と喧嘩の怒声が塗り潰す。


 六ペンス程度の仕事を終えた煙突掃除人が橋から酒瓶を放り投げ、汚水の飛沫がマグピーの頰を打った。


 彼女は河口と地上を繋ぐ階段に腰掛け、ネッドラッドを見上げた。奪い取った白磁の手には、木製の根付が下がっている。

「≪人形遣い≫とか、左義長合戦とか、訳がわかんないけど……それを持ってたら戦わなきゃいけないんだよね?」

「らしいな」

 ネッドラッドは不似合いな白く細い指を広げた。

「願ってもねえ話だ。そこに行きゃ人形が山ほどいる。俺は奴らから奪って欠けたパーツを補える。何より持ち主に大事にされた奴らをぶっ壊してやれるしな」


 マグピーは濡れた身体を震わせた。

「でも、さっきの切り裂きジャックみたいに人形にはそれを操るひとが要るんでしょ。あんたはひとりで動いてるけど……」


 ネッドラッドは急にマグピーににじり寄った。

「ちょっと、何。怒ったの? 怖いって……」

 ネッドラッドは彼女の左手を握り、三本しかない指を眺めた。

「やっぱりだ。俺と同じで欠けてやがる。お前も大事にされなかったんだな」

「それが嬉しいの?」

 マグピーは呆れて笑った。


「ねえ、あたしがあんたの操演者になってあげようか」

「……お前が?」

「あの野郎が言ってたことが本当なら、試合に勝ったら何でも望みを叶えてくれる人形がもらえるんでしょ」

「負けたら死ぬみてえだぞ」

「ここにいたって明日死ぬかもしれないのは同じだよ。望みがあるだけ試合の方がマシ。一緒に恵まれた奴をぶっ壊してやらない?」

 ネッドラッドは悲惨な音を立てて笑った。


「……いいぜ、お前の名前は?」

「あたしはマグピー。八本指のマグピー」

「指は俺の方が多いな」

「さっきまで零本だったくせに」



 橋の上から娘の甲高い声が聞こえた。

「マグピー!」


 シュミーズ一枚羽織っただけの娼婦、アンが裸足で階段を駆け降りる。彼女はマグピーの首に抱きついた。

「無事だったんだね! よかった……助けてくれてありがとう。みんなマグピーはわたしを騙して金を巻き上げてるだけって言ったけど、わたしはちゃんと信じてたんだから」



 マグピーはされるがままに佇みながら、ネッドラッドを横目で見た。

 ––––可哀想な奴ら。あたしなんかに縋らなきゃやっていけないなんて。

 いや、こいつらだけじゃないか。

 神の人形なんか信じて命を賭ける連中が十人もいるんだもの。みんな何かしらに縛られて縋らなきゃ生きていけないんだ。


 マグピーはアンの折れそうなほど細く温かい身体を抱きしめ返した。

「何言ってんの。友だちだから当たり前でしょ」

 アンは涙ぐんで何度も頷く。

「うん! わたし、待ってたんだから。そうだ、助けてもらったお礼をしなきゃ!」

「気にしなくていいのに……ああ、でも、もしあたしが日本に行きたいって言ったら手伝ってくれる?」

「わたしの馴染みの客に航海士がいるけど……日本に? どうして?」



 ネッドラッドは緑の片目でふたりの娘を眺める。

「優しいんだかクズなんだかわかんねえ……」

 見上げたロンドンの空は分厚いスモッグが星空を覆い隠し、石棺のように街を塞いでいた。

 夜は更け、ちょうど今年最後の日が訪れようとしていた。



 翌朝、十二月三十一日、チズウィック近くのテムズ川でモンタギュー・ドルイットの死体が見つかる。

 当初はついぞ見つからない切り裂きジャック事件の真犯人として疑われたが、やがて、不当解雇や精神疾患を苦にした入水自殺として処理され、容疑者リストから除外された。


 ≪人形遣い≫ドルイットも、五人の犠牲者から集めたパーツで造られた≪人形≫も、記録には残されていない。



 これは歴史に隠された≪人形遣い≫の物語の中でも、あってはならないものとして更に秘匿された十人の記録。

 江渡の剣鬼から天才の錬金術師、一国の影の英雄まで集った、正史の合戦とは違う。


 その十年前、本来招かれざる客が悪因によって引き合い、命を削り合った戦いがあった。

 名を、稗史左義長合戦。



 ジャンク人形。銘をネッドラッド。

 操演者。名を八本指のマグピー。

《真我傀儡》に求めし姿は、完成なり。

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悪因悪果伝マガクグツ 木古おうみ @kipplemaker

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