エピローグ
事件から半月が経った。
紗世も真世もなかなかショックから立ち直れないでいた。
お父さんは仕事に戻って、お母さんは仕事を休んで紗世と真世の話し相手になってくれていた。家政婦の天塩さんにも一応の事件のあらましを話していて紗世と真世のそばに居てくれている。
ただ、紗世はその後の道源のお母さんの具合を心配していた。
その様子をお母さんが気付いてくれたようだった。
「ねぇ、紗世、一度道源のお母さんの見舞いに行かない? 嫌かい?」と訊いてくれた。
紗世は自分からはなかなか言い出せないでいたのですぐ話に乗った。
「えぇ、様子を見に行きたいと思ってたの……」
真世も「私も紗世のお世話になった人だから一度会いたいと思ってたわ。けど、会うと紗世が辛いかなぁと思って黙ってた」
「ありがとう。お姉ちゃん……」紗世は嬉しくて涙が滲んでくるのを感じた。
「こら、こんなことくらいですぐ泣く、紗世ったら……。何か買っていってあげよっか?」
真世は涙目になっているのを誤魔化すように言った。
「病院にお花はダメなんだよね? 怪我だから食べ物が良いんじゃないの? お母さんは何好きだった?」
真世に訊かれて紗世は考えた。
「…… えーーっと……なんだったっけ? あーん、思い出せない……あーそうだ。お母さんとご飯一緒に食べたことあんまりないし、一緒に外食したことも無い、……お話も必要な事しかしてない気がする。そうだ、私お母さんの事よく知らないまま大きくなっちゃったんだ……私の人生って何だったんだろう」
紗世が呟いた。
十六年も一緒に暮らしてたのに好きなものひとつ出てこないなんて……こんなに悲しいことって無いよなぁ……そういう思いが、また紗世の目から大粒の涙を溢れさせる。
「そんなこと無いって、色々あって出てこないだけだって、甘いお菓子とかケーキとか買って持って行こうよ。絶対、お母さん喜ぶはずよ」真世が自信有りげに言う。
「どうして?」紗世が涙を拭って訊いた。
「だって、あんたが大好きでしょう? それってお母さんのがうつったのよ。絶対そうよ」真世があまりに力強く言うのでそうかなぁって思って「分かった」と言った。
お父さんも道源のお母さんにお礼を言いたいから行くって言うので、お父さんの休みの日に揃って行くことにした。
病院は大きな総合病院で病室の前に警官がいた。事情を話してドアを開けてもらう。
中にも女性警官がいて、警官同士で少し話をした後「どうぞ」と言われ、紗世が先頭に立ってベッドの横に立った。
お母さんは大分やせたようだった。
「お母さん」
紗世は小さく呼びかけた。
声に反応してゆっくり顔を紗世の方に向ける。綾乃と分かると涙をぼろぼろと流す。そして両手で顔を隠して嗚咽する。
紗世は椅子に座ってお母さんの手を握って「お母さん」と呼びかけた。
紗世の目からもぽたぽたと涙が流れ落ちた。
「綾乃、いや、紗世だったわね。ごめんね、こんな母親でもないのに、母親ずらしてずーッと嘘ついてて、生きてる資格もないのに刺された時死んじゃえば良かったのにね……」お母さんが掠れたような力のない声で言う。
「そんなこと無いよ、私のお母さんだもん、大事なお母さんだもん元気になってよ」紗世も涙声で言葉を詰まらせながら言った。
「良いのよ。そんなこと言ってくれなくって、恨んでるでしょう? 会いに来てくれるなんて全然思ってなかった。あなたの人生を狂わせてしまって、ごめんね。本当にごめんね……」謝り続けるお母さんは痛みが酷いのだろう顔を歪めているがそれでも身体を起そうとする。
紗世が「お母さん無理しないで」そう言って寝かせようとするのだが、無理矢理起き上がってベッドの上で正座して頭をベッドに擦り付け「本当に長い間済みませんでした」紗世に謝る。
「止めてよお母さん。お母さんはこれからもお母さんよ。私の大事な道源のお母さんだよ」
そこに興備のお母さんが道源のお母さんの手をとって「興備の母親です。お母さん、長い間、紗世をこんなに立派な娘に育てて頂いてありがとうございました」頭を下げた。
お父さんも来て「それに紗世を庇ってくれたり、警察に訊いたら十六年前もあなたが紗世を守ってくれたそうじゃないですか、そうでなかったら紗世はもうこの世にいなかった。本当にありがとうございました」
そう言って頭を下げた。
「お父さんにお母さん、よして下さい。こんな人間にお礼なんて、私は誘拐犯です。紗世さんに拭いきれない苦しみを与えてしまった人間です。死んだ方が良い人間なんです。本当にご迷惑をかけてしまって申し訳ございませんでした」道源のお母さんが止めどのない涙を流しながらまた布団に頭を擦り付けて謝る。
紗世はその細い背中に赤いシミを見つけた。だんだん広がっているように見えた。
「あっ、血だお母さんの背中から血が出てる!」紗世が叫ぶと警官が見にきてナースコールを押した。
その後はバタバタと看護師や医師までも来て、紗世らは部屋から追い出されてしまった。
一時間ほどして、医師が来て「傷口が開いてしまって出血しました。縫い直したんでもう大丈夫ですが、余り興奮したり、動くと危険なんで、今日はこれでお引き取り頂けますか?」
四人で顔を見合わせて、お父さんが「じゃ、これ後で渡してもらえないですか?」
そう言ってお菓子の箱を差し出した。
「中身は食べ物ですか?」と訊くのでそうだと言うと預かってくれた。
病院を出て紗世は恨み言ひとつ言わずにいてくれた両親にお礼を言った。そしてまた泣いた。
真世が黙って肩を抱いてくれた。
そして「また、傷口がきちんとくっついたら来よう」と言ってくれた。
紗世は頷いた。
それから数カ月が経って、紗世は花華屋の店先で仕事をしていた。
女性のお客さんが入って来た。
「いらっしゃいませ」いつものように紗世は明るく言った。
「どんなお花を……」そう言ってふと相手の顔を見ると、笑顔の清水警部が立っていた。
「あーっ、清水警部。……あの時はありがとうございました」
「こんにちわ。どないです? 落ち着きはりました?」
「えぇお陰様で、こうして仕事をするようになりました」
「そう、えぇこっちゃわぁ。……道源のお母さんが退院しましたよ。ただ、お家には帰れませんのや。これから裁判おますさかいな。でも、おうてあげて欲しい思うてな。お母さんえらく後悔してますねん。それであんさんの事心配しよってなぁ、あてが行ったら娘どないしてると訊きはるんよ、紗世はんは嫌かもしらへんけどな……」
清水警部がそう言ってくれた。
「いえ、一度四人で病院に会いに行ったんです。その時随分謝ってました。それで傷口開いちゃって……だから、しばらくしてからまた行こうってみんなで話してたんです。だから、きっと行きます。だから私も会いたがってるって伝えて貰えたら嬉しいです」
紗世がそう言うと清水警部は喜んでくれた。
「へぇ間違いのう伝えまひょ。それと、机に一輪挿し置きたいよって何かひとつ選んでくれへんかいな?」
「はい、ありがとうございます」
紗世は色々花言葉を思い浮かべ、バラの一種で『ピースバラ』と言うのを選んだ。
淡いイエローの花びらの縁が淡いピンク色をした大きなバラで花言葉が『平和』なのだ。
世界中で、愛と平和のしるし、として愛されてる花なんですと説明すると、「警察署に置くにはピッタリやな」警部はそう言って大層喜んで帰って行った。
黒ゆりの鏡映 きよのしひろ @sino19530509
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます