エピローグ

 私とルナの、日本公演が成功をおさめた、その翌年の事。

 東京の一角に、とある家が建った。

 その家の玄関の、表札にはこう書かれている。

 

 「美月菫 美月瑠奈(るな)」と。

 それは、日本に移り住んだルナと、私の、正真正銘の「家族として暮らす為の家」だ。

 マリコさんと、チハヤが、向こうから遥々訪ねてきたのを、ルナが出迎えた。

 「ルナさん…。すっかり、着物にも慣れたのね。名前も、漢字に変えて」

 チハヤは、ルナの着物姿を見て、そう言った。

 「まぁ、まだまだ、着物の所作?っていうのは、慣れないけどね…。それに、漢字で瑠奈って書くのも、正直、あまり自分の名前だってしっくりは来てない」

 私がお茶と、お菓子をテーブルの上に出しに行くと、チハヤは

 「しかし、まぁ驚いたわよ。だって、本当に、日本に貴女が出戻って、それにルナが一緒についてきて、日本人になるなんて思わなかったもの…。大した行動力よ」

 と半分呆れ、半分賞賛が入り混じったような口調で、私にそう言った。

 

 私とルナは並んで、テーブルを挟んで、チハヤと反対側の椅子に座った。

 お茶に口をつけるチハヤに

 「でも、あたし、後悔はしてないよ。日本に、スミレと共に来るのを選んだ事。昨年の公演でまた評判になった事もあって、日本語で歌う白狼族の曲の人気がまた広がってるし、活動するなら、日本に住んでいた方が色々、都合よくなったっていうのもあるけど、一番の理由はスミレと…」

 そこまで話したところで、ルナは、はっとして口を押さえる。その、雪を思わせる白の肌も、右耳だけの狼の耳も、赤く色づいていく。

 「ス、スミレと…恋人として、家族として、ここでなら、誰にも引き離されずに、暮らせるから…」

 恥じらって、急に口ごもったルナを、少々冷やかすように、「ほう、お熱い事ね…」と言った。

 

 ルナの銀髪は、さらりと流している姿も好きだったが、今の着物姿に合うように、私が結ってあげた姿もまた、彼女にはよく似合っていた。

 髪を結って、項がよく見えるようになった為、項のところまで、彼女が赤くなっているのがすぐに分かった。

 日本に来てから、ルナの、感情表現はより豊かになったように感じられる。

 「チハヤちゃん。マリコさんは?」

 「マリコさんなら、庭の方に行ってるよ。エルマちゃんに花を手向けないとって言って」

 

 私は少し席を立って、庭の方へと出てみる。

 庭の一角。

 エルマの犬歯を入れた木箱を埋め、小さく盛り土されたところに、マリコさんはしゃがみ込んで、花を手向けていた。

 「マリコさん、お久しぶりです」

 と声をかけると、マリコさんは、昔から変わらぬ優雅な所作で立ち上がって、微笑んだ。

 「エルマちゃんも、貴方達と一緒に、ここにいるのね」

 「はい。ルナが、『エルマも一緒に、あたしとスミレの、新しい家に連れていきたい』と、日本に来る時の、たっての願いでしたので」

 そして、私は縁側に腰掛けて、マリコさんとしばらく話をした。

 日本に移り住んでからの事を、マリコさんは色々と聞いてくれた。

 

 ルナの美しくも、人間とは違った容姿の為に、時には近所の悪童らに「妖怪」など、心無い言葉を浴びせられる事もある事。

 それでも、日本に活動拠点を移して、日本人向けに歌う事に集中するようになってから、前以上に、慕ってくれる人々も増えて、応援の手紙を頂く事も増えた事。

 

 そして、辛い事も幸せな事もありながらも、ルナは、あの白狼族の集落にいた、出会ったばかりの頃から見ていて、今が一番、幸せそうに見える事を、何より強調して、マリコさんに話した。

 

 「スミレちゃん自身はどう?今は、貴女は幸せ?」

 マリコさんがそう尋ねてくる。

 先程、マリコさんが、エルマの眠る場所に手向けたばかりの、花を見つめながら、私は、迷う事なく答えた。

 「勿論、幸せです。今、こうして、ルナと二人で暮らせて、毎日が夢みたいな気分です」

 それを聞いて、マリコさんは、大変、満足したように、微笑んだ。

 

 二人が帰って行った後、私とルナは、昼にマリコさんが花を手向けた、エルマの眠る盛り土に、そっと手を合わせた。

 話し込んでいたので、時間が過ぎるのは早く、すっかり外は暗くなっていた。

 今日は、ルナが夕食を作ってくれる番だった。

 不慣れながらも、婦人誌などを一生懸命読んで、和食も作ってくれた。私が食べる時は、いつも、歌う時とは別人のように自信なさげな顔になる。

 私は、ルナが私の為に作ってくれたというだけでも、十分に満足しているのに。

 そして、レコード会社の人から差し入れで頂いた果物を、私が切って持っていき、縁側で、庭と、夜空を見ながら食べた。

 皿にフォークを置いた後、ルナは背伸びをして、「少し疲れた…」と口にした。

 レコードの収録もあって、ここのところも働きづめだったから、無理もない。

 

 早めにお布団で休んだら、と勧めるも、ルナは首を横に振って、

 「休むなら…、ここがいい」

 そう言って、私の膝の上を指さした。

 ルナの頭を、膝の上に乗せてから、私は、彼女に問う。

 「今日は何を聞かせてほしい?」

 「今夜は、星がよく見えて、あたしとスミレが出会った、あの夜の空に似てる。だから、また、星々の子守唄を聞かせてほしい」

 あの晩は、ルナが聞かせてくれた、白狼の子守唄を、今夜は私が歌う。

 このようにして、疲れが出た時は、私の膝の上で子守唄を聞きながら、まどろむ事をルナは好んだ。

 

 歌いながら、夜空を見上げる。

 東京の空は、今日は空気が澄んでいるのか、いつもよりも、星々が鮮明に見える。 確かに、あの晩に見た夜空を思い出させてくれた。

 結ったルナの銀髪に時折、指を通して、梳くようにして、私は彼女の頭を撫でる。

 そうして歌っているうちに、ルナはすやすやと、寝息を立て始める。

 

 もう、絶対に家族を失わない。

 ルナの寝顔を見つめながら、私は、いつも、そう固く誓う。

 ルナの眠った顔。

 少し、とろんとした表情で、私の膝の上で目を覚まして、私と目が合い、恥ずかしそうに逸らす、可愛い顔。

 歌う時、いつも私の隣に見える、凛とした横顔。

 

 あと、何度、お互いが生きているうちに見られるか分からない。

 そんな暗い考えも頭を過ぎる。

 あの雪の日には、「死ぬ時は一緒だ」なんてお互いに言い合ったけど、実際には自然の摂理として、そのような事はまず起こり得ない。

 きっと、ヤエ、エルマに先立たれた時のように、私か、ルナが一人、遺される悲しみを味わう。

 

 それでも…、あの花吹雪の中で、ヤエ、エルマが教えてくれた事を、思い出す。

 

 大切な人を思って、歌を歌う時、きっと、その人はそこにいる。

 その人の体は失われても、その魂との結びつきまで、途絶える事はない。

 歌によって、私とルナ、どちらかが、先に逝く時が来ても、魂は繋がり続ける事が出来る。

 ルナが先に逝ってしまう時が来たら‐そんな事を想像するだけでも、胸を切り裂かれそうな痛みを覚えるが‐、彼女の元に届けたいという一心で、一人でも、私は歌い続けるだろう。

 きっと、立場が逆であれば、ルナも同じ事をするという確信があった。

 ルナも、一人になっても、私の元に届けるつもりで、歌ってくれるだろう。

 

 そう思えば、逃れられない別離への恐れも、和らぐ気持ちがした。

 

 でも、今はまだ、その大切な人は、私の膝の上で、安らいだ顔で、寝息を立てている。

 今は、すぐ隣にいる彼女に届けられるように、歌っていよう。

 

 私とルナを繋げてくれた、この歌を。


 了

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届けたい。貴女の元へ、この歌を。 わだつみ @scarletlily1125

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