4.
結論から言えば、私はイズミ君と恋人関係になった。近々、妹が結婚するらしく、両親はそのことで忙しそうだった。妹も相手がいれば多少は大人しくなるだろう。家族の私に対する関心が薄れたこと、これが彼との関係を転がした理由だった。
私は、隙さえあればイズミ君に怪我をさせている。出来立てのスープをわざとこぼして火傷させたり、床に物を出しっぱなしにして転ばせたり。幾度となく私が原因で怪我をしているはずなのに、不審に思われている様子はない。彼の中で私は“外ではしっかりしているけど、家では抜けている人”ということになっているらしい。怒るか呆れるかすると思っていたが、彼は「気を許されているみたいで嬉しい」と喜んでいた。それ故に、徐々に歯止めが利かなくなってきていることが最近の新たな悩みだった。
妹が結婚して1年ほど経った。妹から、突然電話がかかってきた。
「もしもし。お姉ちゃん?」
「どうしたの?」
「何も。最近どうしてるかなって」
仕事はどうだ、あそこのカフェが良かった、旦那が家事をしてくれない、誕生日はブランドのバッグを買ってもらうなど。いつもの気まぐれか、中身のない話が続く。こういう時は、気が済むまでしゃべらせておくしか妹を黙らせる方法はない。マイクに乗らないように溜息をつく。黙って聞いていると、別の部屋にいたイズミ君が私を呼ぶ声がした。彼は、開いていた部屋の入口から電話中の私を見つけると、身振り手振りで謝ってきた。
途端に、妹のしゃべる勢いが増した。
「お姉ちゃん、やっぱり彼氏いるよね。今の声、彼氏でしょ! なんで紹介してくれないの!」
電話をしてきた本当の目的はこれのようだ。イズミ君と2人で外出していたところを見たと、早口でまくし立ててくる。ワントーンあがった妹の声に、耳がキンとなる。曖昧に返事をしながらも私の視線はイズミ君を捉えていて、真顔で見てくる私に彼は困惑した様子だった。実家にいるのだろうか、妹の声が遠くなると「お母さーん、お姉ちゃん彼氏いるー」と母親に向かって叫んでいるのが聞こえた。
「用はそれだけ? もう切るよ」
「えー! 紹介してよー!」
「また今度ね」
私は、騒ぎ続ける声を無視して通話を終了させた。
「ごめん、邪魔した?」
「大丈夫。ただの世間話だったから。そんなことより、私に用があったんじゃないの?」
近所に美味しそうなドーナツ屋があることを知ったらしく、今から一緒に行かないかとのことだった。私が笑って承諾すると「せっかくだからデートしよう」という彼の提案のもと、身支度の時間を考慮し30分後に玄関集合となった。
——妹の声が、頭の中で響く。
——私はあの声色を、嫌というほど知っている。
——彼女は新しいものが好きなのだ。
——妹の結婚相手は、優しくて良い人だったのに。
——あれは幾度となく聞いてきた、私のものを欲しがる時の声。
嬉しそうに準備をしに行く彼の背を見つめたまま、ぼんやりと考える。
どのくらい壊れてたらいいだろうか。
煙の毒は目に見えない 神無 有月 @yzk_kanna
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