3.

 最近は、件の居酒屋に行くと喫煙量が増えるようになった。イズミ君と2人で話しがしたいからではなく、しまい込む作業には気力がいるのだ。それでも、店に通うことは止められなかった。今もすでに2本目が終わり、次に火をつけている。

 ぼんやりと灰皿を眺めていると、裏口の方から人が来る気配がする。

 あぁ、3本目をつけたのはまずったなぁ。

「お姉さん、隣いいっすか」

「ダメって言ったら、君は回れ右をしてくれるのかな?」

 やはり、休憩をしに来たイズミ君だった。今はあまり2人きりになりたくないのだが、無視をするわけにもいかない。灰皿へ視線を落としていると、形の良い指がコツコツと灰皿の淵を叩いたので渋々顔を上げる。

「俺頑張って働いてるんで、労ってくださいよ」

 彼は咥えたタバコをこちらに向け、口だけで上下に揺らす。こちらの気も知らないで暢気なものだ。火をつけるくらいなら良いかと、ライターを差し出す。彼は顔を近づけると、タバコの先で火を受け取った。

「ライターじゃなくて、サキさんのタバコからくれても良かったんですけどね」

「映画や漫画の見過ぎ。何を期待してるの」

「サキさんと良い感じになれそうなことなら、なんでも期待しちゃうんですよ」

「年上をからかうんじゃありません」

「からかってないよ、本気。最近はゆっくり話せてなかったから、今浮かれてんの」

 ちらりと視線を向けると、彼の真っすぐな瞳とぶつかる。

——落ち着け。

 ゆっくりと煙を吸っては吐く。私が沈黙を望んでいることを察してか、彼も同じように黙っている。しかし、彼の手は忙しなく口元と灰皿を往復していた。

 男性らしい節くれ立った大きな手。伸びる指はすらりと長く、爪も縦長で形が良い。厨房に立つ彼の手は少し荒れており、指先がささくれていた。それを横目で盗み見ていると、唐突にあるイタズラを思いつく。ブレーキをかけ続けていた私の自制心はすで摩耗していて、そのイタズラが良くないことだと分かっていても実行することを止められなかった。

 彼が灰皿へと手を下ろすとき、私も気がつかないふりをして手を下ろす。

 ただ少し、彼の方に手を寄せて。

 思惑通り、彼の手に私のタバコの先が軽く触れた。

「あつっ!」

 イズミ君が反射的に手を引いた。空中に放り出された彼のタバコは、支えを失いそのまま灰皿へと落ちる。

「ごめん!」

 彼の手を引き寄せ、タバコが触れたであろう部分を確認する。本当に軽く触れただけのようで、赤くすらなっていなかった。

「全然大丈夫っす。驚いておっきい声出しちゃった。サキさんこそ、火触ってないですか?」

 彼は笑って、手をひらひらとさせた。大丈夫と言いつつ、彼は人差し指の付け根のあたりを軽く掻いた。そこに触れたのだ。


——私が彼に火傷をさせた。


 俯き黙り込んだ私を見て、イズミ君は慌てだす。

「本当に大丈夫なんで! 気にしないでください」

 ゆっくり顔をあげると、困り顔のイズミ君と目が合った。

「本当にごめん。今度お詫びさせて。何がいい?」

 そうと聞くと、困り顔から一転、パッと笑顔になる。

「なんでもいいんですか? どうしよう……何がいいかなぁ」

 彼は、うんうんと唸りながら考えている。

「考えときます! 忘れないでくださいよ!」

 休憩を終えた彼が店内へ消えていくと、途端にあたりは静かになった。

 新しいタバコに火をつけ、吐き出してから口元を隠す。

 危なかった。彼の身長が高くて助かった。

——にやけた顔を見られずにすんだ。

 鮭の時の比ではない。内から沸き出るそれで全身が満ちるのを感じる。痺れが指先まで到達すると、持っているタバコが細かく震えた。私はもう、これを無視できない。

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