-3題【鈍熊】

「鈍熊(なまくらぐま)を知っているかい?」

『聞いたこともありませんけども』

「では勝手に語るとしようか。君もそれを望んでいる、そうだろう?」

『好きに解釈してくれて構いませんよ』

「そうかい。それではお言葉に甘えるとしよう。鈍熊は特定の人物に取り憑き影響を及ぼす類の怪異だ。いや、この表現ではいささか語弊が生じるか。どちらかと言えば、特定の人物には取り憑かない怪異と称するべきだろう」

『それだとまるでいるのが当たり前、みたいに聞こえますけども』

「ああ。そう言ったのさ。鈍熊は大抵の人間を対象とする怪異であり、そうならないものの方が少数と言える。無論、そこに善悪や是非はないよ。そうであったものはそうであり、そうではなかったものはそうではなかった。それだけの話さ」

『そうであるものとないもの、その差異はなんなんですか?』

「そう在りたいか、あるいは在りたくなかったか。より厳密に言うのであれば、そうであることを理解せずに受け入れるか、そうであることを知っていて受け入れるか、はたまた受け入れないか。対象者とならないのはこの知っていて受け入れない選択をとったものだ。大抵の人間はね、それを知らず知らずのうちに受け入れている。そういうものさ」

『要領を得ませんね』

「ありていに言えば大人になったか、大人になったと称するか、大人になることを選ばなかったか、という分類さ」

『最後はともかく、前二つに差異があるようには思えませんが』

「いいや大ありさ。君は『大人になる』ことをどのように定義しているんだい?」

『そうですね……飲酒とか、投票権とか、運転免許とか……でしょうか』

「ふむ」

『他には……仕事をして、独り暮らしをして、とか』

「なるほど。つまり君は許可と自立を大人になることの定義として捉えているのだね」

『そう……ですね。どうしたって高校生では行動に制限が掛かっていることは否めませんから』

「そうだな。年齢的な制限というものは、どうしても学生という身分の君には重くのしかかるだろう。卒業するころには多くの制限から解き放たれ、取れる行動の幅は大きく広がり、それに伴って責任も増す」

『だからこその自立、だと思います』

「悪くない考えだ。君はしっかりと、大人になったと称せる人間になれるだろう。そしてより身近に鈍熊を感じなくなることだろうね」

『感じる、ではなくその逆なんですか?』

「そうとも。なぜなら鈍熊は人を麻痺させる怪異だからだ」

『随分と直接的に危険な存在なんですね。もしかして蜂かなにかと取り違えてます?』

「いいや。麻痺させるのは人の感覚ではなく感性さ。鈍熊が憑りついた対象は心の動きが次第に小さくなっていく。幼いころに見た作品が、年を経て見直してみても当時のように響かなくなってしまった、という経験は君にもあるだろう。受け入れがたい事実に遭遇したとしても、泣きわめいたりせずに冷静な対処ができるようになる。これが心が麻痺した、ということさ」

『……それを大人になった、と……ああ』

「合点がいったかい? そうして合理的で理性的になる変化を大人になった、と名付けて称するわけだ。それは感性の麻痺であり、鈍化でもある。一つ勘違いしてはいけないのは、決してこの鈍化が悪いことではないということだ」

『大抵は、ということは。むしろそれが一般的であるということの裏返しだからですか?』

「それも一つの側面と言えるだろうね。鈍化というものは己の痛みに対して鈍くなるということでもある。社会という荒波の中で、鋭敏な感受性を覆うことなく晒していては。素肌を晒していては、どのような漂流物に傷をつけられるのかわからないだろう?」

『免疫では過剰だから、慣れてしまうためにする感情の麻痺……』

「痛いが生きなければならない。嫌だが生きなければならない。そのための対処療法が、この鈍熊というわけだ。そんな依存性のある薬品のようなものをそのまま形容するには、あまりにもグロテスクで直視できたものではない。だからこそその行為に『大人になる』という呼称を与え、あるべき規範として設定し、そうでないものを貶める刃として運用している、というわけさ」

『言い方はともかくとして、それは間違ってるんでしょうか?』

「いいや、間違いとも言えないだろう。だがしかし。良薬は口に苦しとは言うが、無論この怪異にも看過できない問題点がある」

『問題点?』

「気づかなくなるのさ。痛みを怖れて鈍くなった感性ではね。自らの発した言の葉……他人にとっての言の刃であることを理解できない。社会という枠組みの中で取りまわされた刃は酷く刃こぼれして錆び付いてしまっている。無論それにも気づけない。疑問や違和感を捉える感性が鈍ってしまえば、思考し是非を考える力も鈍くなり愚鈍と成り果てるのもまた、道理だろう?」

『考える、力……』

「思考力、あるいは創作力に置き換えてもいいだろう。感性とはセンスであり、特色であり、他人と異なる部分だ。そうあるべき規範を見出し、感性に正解を求めてしまえば。あるいは画一性に拘泥するがあまり間違いという概念を定着させてしまえば、思考や創作は社会規範の劣化コピーに成り下がるだろうね。それを嫌うものは一定数存在し、だからこそ鈍熊の対象にはなり得ないわけだ。大人になることを選ばない生き方とは、すなわちその感性を活かして……まさしく生かしたまま在るという生き方ということだね」

『けれどもそれは、生きにくさを助長することになりませんか?』

「確かに鈍れば生きやすくはなるだろう。が、生み出すのもまた鈍色に変わってしまう。他人に触れ傷つき、あるいは不用意に傷をつけるのは愚鈍なやり方ではあるが……鈍では人の中に響くまいよ」

『……3つ。例を挙げていましたけれども』

「うん?」

『後者二つがそれらだというなら、『大人になる』というのはどういう在り方だと先生は定義しているんですか?』

「私が思うに、大人とはなれるものではなく追い求める偶像という回答にはなるのだが。納得がいかないのであれば自分で考えなさい。それが課題だよ……これから先、何十年と向き合っていくことになる、大きな課題なのだからね」

『あの』

「なんだい?」

『すました顔をしているところ大変申し訳ないんですけれど。機材の都合上時間は有限なので続きをお願いしてもよろしいですか?』

「……ああ、そう……熊についての話に、入っても……いいでしょうか」

『はい。よろしくお願いします』

「ええ、と。そう、話を続けよう。キムンカムイという言葉があるが、聞いたことはあるかい? 山の神という意味であり、熊を表す言葉だ」

『カムイ、が神様を指し示す言葉でしたか』

「その通り。荒神と捉えてもいい。特異なのはね、熊という存在を表す言葉はこれ一つではないという点にある。真偽はともかく、一説ではその呼び名は数十通りにも上るとされている」

『数十……』

「一方で、山麓に現れテリトリーを犯すものをヌプリケスングル、と呼ぶ。山麓に住むものという人を喰らう怪異だ。これもまた熊の姿をとっており、山を下り人間の領域侵犯を犯した個体を指すのだろうね。動物としての種でも個体でもなく、その在り方によって名が変容するのさ」

『二面性のようなもの、でしょうか』

「悪くない解釈だ。言語の通じない存在であるにもかかわらず、共通の地域でありながら棲み分けができているからこそ。人と熊という分類ではなくどのように現れ、あるいは関わる存在なのか、名付けて分類しているのさ。いわんや同族をや、だ。我々ははたして、言葉の通じる他者をきちんと推し量れているのだろうか?」

『鈍ってしまえば、同じに見える……ということですね』

「然り。その是非は簡単に断じれるものではないのは確かだが、鈍熊に悪意があるのか、あるいは悪質なのかと問われれば……そのどちらもかぶりを振ることになるだろうね」

『麻酔治療のように、一種の医療措置とも捉えられるからですか?』

「ああ。過敏であり社会に潜む不条理や悪意に苛まれているものからすれば、鈍るということは痛覚から解放される特効薬だ。用法用量を守ればこれほど重宝するものもないだろうよ。……ふふ、とはいえ、だ」

『どうかしましたか?』


「いやなに。熊の親切というのは、かくも厄介なものだと思ってね」

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架空の怪異の話 @meermere

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