-2題 【贖金魚】

「購金魚(あがないきんぎょ)を知っているかい?」

『いいえ、知りませんし興味もないです』

「知りたいかね?」

『話聞いてます?』

「よろしい、聞かせてしんぜよう」

『………』

「購金魚は人の罪悪感を喰らう怪異だ。またの名を購杓子(あがないじゃくし)ともいう。忌々しいことに一部では幸運の象徴とも呼ばれるようだがね」

『都度都度思うんですけど、どうして先生は端的に説明せずに注釈みたいなところから語っていくんですか』

「これはね、癪に触るからだよ」

『はあ』

「ああ、君の質問に対する回答ではないよ。手水鉢(ちょうずばち)の金魚、という『癪に触る』ことを添えられた柄『杓に触る』こととかけた言い回しが、この購杓子という別呼称の由来となっている、ということさ。ともすればこれが容姿を形容する決定打になったのかもしれないね。知ったことではないが」

『別にそれには興味がないんですけど』

「ああ。だから購金魚になど遭遇してしまったんだろうね」

『さっきから話が見えないんですけども。もしかして怒ってます?』

「贖金魚の外見はまるでヒレの生えた手のひら大のシャボン玉だ。まるまる肥えた金魚のように見えるそれは、ふわふわと対象者の前に現れ、ふよふよと風に流されるかのように近づき、戯れるようにぷかぷかと浮かび……やがてぱちん! と弾けて消えてしまう。見た目は実にかわいらしい怪異といえる。対象者に及ぼす影響も悩みごとがシャボン玉のように弾けて消えてしまう、害のないものだ。まるで童謡のようにな」

『……ここまで特に気になるところはありませんでしたけども。無害で見た目もそんなかわいらしいものなら、それでいいじゃないですか』

「だからこそだ。贖金魚の腹立たしいところはな」

『やっぱり怒ってるじゃないですか』

「そうだな。そうかもしれない。私が最も引っかかるのは、これが加害者の罪悪感に基づいて生じた存在であることだ」

『被害者でなく、加害者ですか?』

「例えばの話をしよう。君が何かしらの加害を受けたとする。罰金なり罰則なり、相手がなにかしらのペナルティを負ったかもしれないな。さて、君は相手を許すだろうか?」

『……んー……許す、いえ……許さざるを得ない、でしょうか』

「ほう。含みのある言い方をするじゃないか」

『ペナルティを課せられた、という上での話ならということです。被害を受けたとなればそれはまあ思うところはあるでしょうけれども、然るべき罰則が与えられたのであれば……第三者がそれが相応しいと判断したのであれば。それ以上口を挟むのは相手に対して不当だと思います。それ以上は攻撃と同じで、こちらが悪者になってしまう』

「なるほど。君の倫理観は……いや、正しさの基準というべきか。ともかくそれは、遵法精神に則ったものであるらしい」

『……? 当然の話じゃないですか?』

「そうだな、当然だ。では君が事故で片腕を損失したとしよう。同様に相手は罰則に従い服役し、務めを果たした。当人からの謝罪も受けた。君はこれを許すことはできるかい?」

『……許す……とは、言い難いです。取り返しのつかないものを失っていますから。日常動作にしろ運動にしろ、今までできていたことができないという事実を認識するたびに想起することになる……と思います』

「そうだろうね。しかしだとするのであれば、だ。取り返しのつくものとつかないもの、その基準はどこにあるんだろうね? 君は今、何を基準にその違いを見出したんだろうね?」

『それは……第三者の目線、だと思います。心の傷は、他人からは見えませんから』

「その通り。だからこそ人は自らの傷に対して何かしらの対処療法を取る。慌てふためくものもいれば、押し黙るものもいる。愚痴をこぼすものも、忘却するものも、自他に害を与えるものもいる。それは一種当然であり、それが与える害のあるなしを問うつもりもない。普通であれ、というのは何事もなかったかのように押し殺せと外圧をかけることに他ならないからだ」

『そこまでは……』

「言えないかい? ならば今この場は私が代わりにそう断じておこう。ともかく、ここで私が言及しておきたいのは、誰かしら、何かしらの救済を求めるということさ」

『それは……まあ。そうなんじゃないでしょうか』

「法という上位から裁定を下す存在、あるいは代理として他者を糾弾する味方をもってしてその救済は果たされる。言ってしまえば、溜飲が下がるということだ。もしもそれが機能しなくなってしまえば、自分で解決してしまえばより納得できるという理屈が正当化されてしまえば……君の言う攻撃、と呼べるものに変化してしまうわけだ。あるいはこれを、私刑と呼ぶのだろう」

「……結局、それがどう関係してくるんです?」

「被害者の救済には制限が掛かっているということさ。目には目を歯には歯を、とはいうが。現代の基準にそれを持ち込むわけにもいかないだろう。だから罪悪感というものは加害者の心に留まり続けるのさ。許しを与えないというのはね、被害者に与えられた唯一の権利であり、尊厳を守る方法なのさ。だからこそ」

「だからこそ?」

「贖金魚は決して被害者を救うためのものではない。加害者側に都合がよいように、これでもう許されたという許しを明白にするための存在だ。ここまでしたのだから許された、きちんと謝罪をしたのだから許された。まるで幸運の青い鳥のように、どんな禍根があってもきれいさっぱりはじけて消えてしまうのさ。加害者当人の中では、だがね。それはそれは幸運の象徴にも見えるだろうよ」

『……』

「罪悪感がなくなってしまえば再び同じようなことを繰り返すだろう。当然だ、痛みは信号であり、警告だ。心の痛みが同じ過ちを繰り返さないように、というように言動を抑止する役割を果たしていたというのに、それを都合よく消してしまえばどうなるかは火を見るよりも明らかだろう」

『再犯、あるいは……同じ被害』

「然り。痛みとは人体にかけられたリミッターだ。それを麻痺させてしまえば己の人体そのものを破壊してしまうことになる。心も同様だ。行きつく先は己の破滅か……より悪ければ、他者への加害だ。贖金魚が罪悪感を食べてしまうのはね、その加害者が次の過ちを犯し新たな食糧を生み出してくれるのを期待しているからだ。奴らの行動は決して慈善事業などではないのさ」

『もしかして、その先って』

「察しがいいな。繰り返し加害された先にあるのは報復さ。誰も救ってくれないのなら、誰も問題を解決してくれないのであれば、自分がなんとかするしかない。それがいかに道徳的に正しいものでないとしても、ね」

『復讐、ですか』

「そういうことだな。復讐は何も生み出さない……とは言わないさ。とびきり大きなものを元被害者の内面に創り出していく。それが今の今まで耐え忍んだ、良識や良心を持った善良な人間であればなおさら大きなものをね」

『……罪悪感』

「それはそれは、数多くの贖金魚が押し寄せてくるだろうさ。特大のご馳走を目の当たりにすればね。そしてタガが外れてしまった元被害者は次の加害者と被害者を生み出すことだろうよ。まるまる肥えるだけの、肥沃な餌場をな」

『なんともまあ、救いのない話ですね』

「ま、あまり近づかないことだね。君が被害者であるにせよ、加害者であるにせよ、救われる話を聞きたいのであればね。贖金魚に頼っては足元を掬われてしまうよ」

『掬う?』


「ああ。なんだって、金魚は掬うものだろう?」

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