-1題 【木目鯨】

「木目鯨(もくめくじら)を知っているかい?」

『いいえ、知りませんね』

「知りたいかね?」

『それほどでも』

「よろしい、聞かせてしんぜよう」

『……お好きにどうぞ』

「木目鯨は失せ物に関する怪異だ。その名が指し示す通り、全身が木目のような模様になっている鯨……だと言われている」

『言われている? なんで名前がついているのにそこは曖昧なんですか。見た人がいるからそういう名前がついたとか、そういうことではなくてですか?』

「『赤手子(あかてこ)』や『首なしライダー』のように、見た目がそのまま名前になる事例は確かに存在する。ともすると、その経緯が怪異譚の名前を決定づける動機として、最もポピュラーなものと評しても差し支えないかもしれない」

『単純ですね。分かりやすいとも言えますが』

「そう、分かりやすい。それが一番肝要なんだよ」

『と言うと?』

「人が最も恐怖を感じるのは、分からないことだということさ。自分とは違う、知っているものと異なる、既知のものではない……自己が認識している普通から外れた異物に対して恐怖感を抱くのは、生物としても当然の反応であり、それは生きていないモノに対しても同様だということさ」

『……ああ。だから名前をつけてそれがどう言うモノなのかをイメージ付け、恐怖を和らげようとするってことですか』

「そういうことだね。対象を卑近化し自らの認識に近付けることによって許容するという動作は何も珍しいことじゃない。実際に社会の内でも行われている行動の一つでしかない。苗字で呼ぶよりあだ名で呼び合う方がより身近で親密な感じがするようなものだよ、ワトソンくん」

『世間に疎いホームズ先生に慎みながら申し上げますと、あだ名、いじめの温床になりかねないから使わない方がいいらしいですよ』

「……ダメなのか? あだ名」

『ええ。他人から教えてもらいました』

「……まあいい、話を戻そう。特徴や外見以外で名前がつくのは何かしらの意味合いを持たされていることが多い。そして木目鯨の特異なところは、怪異本体の目撃談がほぼ皆無なところにある」

『それはどうして?』

「この怪異が対象を体内に閉じ込めてしまう性質を持っているからさ。遭遇することはなく、特定の条件を満たした対象を体内の異空間に取り込んでしまう。捕食されるわけでもないから誰もその外見を知らない、というわけさ」

『随分と危険な怪異なんですね』

「いいや?」

『どこが無害なんですか。対象者を取り込み幽閉するんでしょう? 非常に危険な存在だと思うんですけど』

「君は思い込みが激しいね。気をつけるといい」

『急に刺すじゃないですか』

「釘ならいくらでも刺しておいた方がいい。ことさら、君のように怪異と遭遇しやすい気質であればなおさらね。私は木目鯨は対象を捕えると言ったはずだが?」

『対象と対象者でなにが違うんです?』

「大違いさ。なぜなら木目鯨の対象となるのは人そのものではなく、人が捨て去った想いそのものだからだよ」

『想い?』

「そう、想いだ。感情と言ってもいい。抱えきれなくった激情、切り捨てなければならない未練、成長を妨げる禍根。そういった切り捨てたい感情を捕え、閉じ込める。だから被害者、はいないというわけだ」

『なんか、大丈夫なんですか、それ』

「実害があるとすればその捨てたい、切り離したい想いに関する物が消え失せてしまうことだろうね。被害者はいないが、物としては害を被ることになる」

『そういえば、最初に失せ物に関する怪異だって言ってましたっけ』

「その通り。だからこれは無害で場合によっては有益な怪異——というのが、想いを捨て去った当人視点での話だ」

『不穏なことを言いますね。その言い方だとまるで不利益を被るひとがいるみたいじゃないですか』

「被害者はいない、という言葉に嘘はないさ。当人や周囲からすればね。だが、切り捨てられた想いの側からしてみれば、この現象はどう映るのだろうね? どのような感情を抱くことになるんだろうね?」

『どういう意味です? 感情を切り離すってのは忘れるって意味じゃないんですか?』

「その認識は概ね正しい。どれ、愚鈍な君にも分かるように説明してあげようじゃないか」

『なんで今罵倒されたんですか?』

「ではここで6秒、口頭で数えてみるといい」

『1、2、3、4、5、6。なんで今ここでアンガーマネジメントやらされたんですか?』

「怒りの感情は持続したかい?」

『まあ一瞬ムカつきはしましたけど。今はそれほどでも』

「要するに、感情が減衰するためには時間を要するということさ」

『……わざわざそれを言うために、このやり取りをしたんですか?』

「そうだが?」

『なんのために?』

「その方が面白いからさ」

『誰が』

「私が」

『……1、2、3……』

「は、話を戻そうか。想いを切り捨てた当人からすればそれは忘却されたものではあるが、切り捨てられた感情側はそれを知る由はない。当然、切り捨てられた後の記憶は有していないわけだからね。なぜ自分がそこにいるのかもわからないのさ」

『……4、5、6……』

「……ええと。そう、わからないながらも想いはそこに在り続ける。そして摩耗し、昇華されていく。過去が思い出という形に美化されるように。あるいは、鯨の体内で消化されてしまうように、ね。ゆっくり、ゆっくりとほぐされ受け入れられるようになった感情は、失せ物ともに本人へと還っていく。まるで押し入れの奥にあるアルバムを見つけた時のように」

『そういうものですかね』

「そういうものさ。本来はこんなことは怪異に関与されなくても起きうることであり、そうであるべきものだ。そうではないから、そうはあれなかったからこそ、怪異という未知の力に頼らざるを得なくなる、というわけだ」

『頼らざるを、得ない』

「君もそうなんだろう? だから私の部屋にまで説明を求めに来た。見たことも聞いたこともない、けれども知っている存在の正体を求めてこの教室まで来た。違うかい?」

『……忘れました』

「ふふ。そうだろうね。そうでなければならない。また何か気になるものを見つけたり聞いたり、あるいは知っていたら放課後ここに来るといいさ。これは、私にとっても意味のあることだからね」

『気が向いたら、そうします』

「ああ。そうするといい」

『……そういえば。なんで鯨なんですか?』

「うん?」

『いえ。別にその生き物が鯨である必要ってないじゃないですか。体内で消化するだけならば猫でも虎でも豹でもいいわけですよね?』

「なんで全部ネコ科なんだい?」

『どうせ捕食されるなら猫がいいなって』

「ああ、そう」

『で、特徴や外見以外で名前がつくのは何かしらの意味合いを持たされている……っていうのが本当なら、わざわざ鯨として形容されているのは何故なんですか?』

「君は『52ヘルツの鯨』という話を聞いたことがあるかい? 由来とすれば、おそらくそこだろうね」

『周波数が異なるために周囲とのコミニュケーションの取れない、孤独な鯨……でしたっけ?』

「そうだね。誰にも打ち明けられることなく、当人からも切り捨てられてしまった想い。誰一人味方がいないそれは、孤独と言って差し支えないだろう。他人の心中なんて知った気分にしかなることができない。ましてや自分の心中ですらそうだ。きちんとくみ取れるように調整して周波数を合わせてやらなければ、何に対してその感情を抱いたのか、正しく分析することはできないだろう。木目鯨の体内のどこかにあるとされる無線機から、切り捨てた当人に該当する周波数を見つけ出すことができたなら。合わせることができたなら、その想いは消化されることなく帰ってくる——そういう話があるのも、その鯨から連想された、あるいは準えたエピソードなのかもしれないね」

『そういうもの、なんですかね』

「さてね。あくまでそういう伝聞があるというだけさ。実際のところは、遭遇した当人にしか分からないだろうさ。それこそ、君の方がよく知っているのかもしれないね?」

『……あの。最後に一つ聞いてもいいですか?』

「なんだい?」

『鯨の方の由来はわかりましたけど、木目の方はどんな由来があるんですか?』


「簡単だよ。想う心を失うから、木目、ということさ」

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