第一話 悪役令嬢の朝は早い

『――ないのかしらっ!?』


 左側の壁。強い語気。

 けれどやけに澄んだ女性の声で目が覚めた。

 悪役令嬢の朝は早い。念の為にとセットしておいたスマホのアラームよりも早い。


 枕元のスマホに手を伸ばす。浮かび上がる白の文字は六時半前だ。このまま彼女の叱咤を聴きつつまどろんでも良いのだが、今日はそういうわけにはいかない。


 一限に必修の授業を入れた二ヶ月前の自分を恨みつつ、布団から起き上がる。このまま二度寝でもして寝坊した日には単位が危ない。

 すでに二度の欠席をした俺は学んだのだ。


 しかし、悪役令嬢というのはこんなに朝早くから活動しているものなのだろうか。

 俺は悪役令嬢について聡くない。持っている知識といえば、本屋にそういうキャラクターのポスターが貼ってあったのを見たり、漫画アプリでそういったタイトルを目にした程度だ。


 だが仮にもチックン公爵家の令嬢。いや、そもそも令嬢がこんなアパートに住んでいるのもどうかと思うが、もう少し寝てれば良いのに。


 そんなことを思いつつ、顔を洗い、服を着替え、荷物をリュックに突っ込んで。


「よし、行くか」


 七時きっかりに家を出る。

 ドアを開けると、同じような音が左側から聞こえた。朝の空気は爽やかだが、俺の気は重い。


 ドアを締める。おそるおそる音のした方を見ると、猫背の小柄な女性が同じようにドアの前に立っていた。


 短めの黒髪。度の強そうな眼鏡に黒のシャツワンピース。朝日に照らされてむしろ青白くさえ見える頬からは、不健康そうな生活を感じる。


 隣の部屋。つまり、悪役令嬢の部屋だ。


 俺はいつものようにおはようございますと小さく頭を下げる。年齢はおそらく俺よりは下だと思うのだが、制服を着ているわけでもないので学生かさえも分からない。

 そして、眼鏡越しの彼女と目が合うこともない。


「……スゥー」


 吐息のような音がして、猫背の彼女はさらに背中を曲げたかと思うと、そそくさと去っていく。


 俺はその背中を見つつ思う。

 彼女は、おそらく悪役令嬢にこき使われている召使いなのだ。


 ひとつため息をついて、俺もその後を追う。

 改めてだが、側からみれば頭がおかしいのは俺なのではないかと思ってしまいそうだ。


 だが違う。俺は見たのだから。

 この部屋から出てくる悪役令嬢を。

 金色の髪をした、あの悪役令嬢を。


 ――あれは、大学に入学して一週間が経った日の。まだ肌寒い夜中のことだった。





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隣の部屋に悪役令嬢が住んでいる アジのフライ @northnorthsouth

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