光芒

蟻村観月

プロローグ

 ナレーション 因果島因果は誰もが認める最高のアイドルだ。

        そんな彼女がこの度、アイドル人生を終える。

        思えば、彼女は常にアイドルだった。なにごとにおいても。

        口を開けば、プロ意識の塊と評され、尊敬の眼差しを一心に集め

        た。

        彼女を尊敬しないメンバーはいないと思うほどに。

        スタッフからの信頼も厚かった。

        そんな彼女が今年の一月にグループからの卒業を突如発表した。

        日本じゅうが彼女の卒業に悲鳴をあげた。

        因果島因果。

        絵に描いたようなアイドルが卒業を決心した理由。

        そしてアイドル人生最後の一週間をとおして見えて来る、

        彼女の完璧さに我々は息を呑むことしかできなかった。

        これからはじまるのはアイドル人生の集大成。

        有終の美を飾る因果島因果の栄光の姿だ。


(テロップ) グループ卒業まで一週間となりますが、現在のお気持ちは?


因果島因果 そうですね。寂しい気持ちはありますけど、自分で決めたことな

      ので。

      いちばんはファンの皆さんの顔が見られなくなるのは寂しいです。

      メンバーには何時でも会えますから。


(テロップ) 卒業コンサートも控えていますが?


因果島因果 楽しみでいっぱいです。わたしの集大成ですから。


(テロップ) どんなライヴになる予定ですか?


因果島因果 メンバーとファンが楽しめる内容になっています。


ナレーション 屈託のない笑顔で語る彼女に誰もが眼を奪われる。

       月並みな表現では言い表せない。

       魔性とはちがう。

       彼女から滲み出る愛らしさの根源はなんなのだろう。

       アイドルを根底から覆したと言っても過言ではない。

       因果島因果。

       彼女はアイドル人生最後になにを残すのか、

       レンズをとおして追っていきたい。


(テロップ) ドキュンメタリーオブ因果島因果

(BGM) 壮大な音楽


 映像が一時停止する。

 蛇原は苦々しい顔で画面と台本を凝視している。隣に偉そうに座っている還暦を疾うに過ぎているであろうに白髪の一本も生えていない黒髪を後ろに撫でつけたおとこは生え揃っていない鬚を触る。

「どうですか?」眼の下の隈が目立つ顔の隅下は意見を仰ぐ。

「そうだねえ。別段、良いわけでもない。かと言って、悪いわけでもない」蛇原は濁す発言をする。「清家さんはどう思われますか?」

「まあ平凡だよね。訴えかけたいものが画面から伝わって来ない。そもそもナレーションの台本が良くないよね。折角さ、大御所の声優を起用しているんだからさ、こう、なんとというのかな……声に説得力があるわけだから、声を活かす台本にしなきゃ。誰がこのホンを書いたの?」清家は台本をボールペンで叩きながら当てつけのように虚空に向かって言う。蛇原ははじまったよと苦々しい表情をうかべる。清家は自分に相談がないまま物事が進むことを心底から嫌う。要は自分中心でないと苛立つ。常に自分が輪の中心にいないと気が済まない。お山の大将でいる自分がなによりも大好きで堪らない。

 そんなおとこが総合プロデューサーの肩書きを持っていることに反吐が出そうになるが、数々のプロジェクトを成功させてきた傑物であることは認めなくてはならない。

 認めたくなどないのだが……

 蛇原は清家の顔色を窺いながらそんなことを思う。

「ケイト・ワタナベさんにお願いしました」清家と視線を合わせないようにラップトップとにらめっこしている振りをしている壺滝を見る。肝腎の壺滝は蛇原の視線を無視し、関わり合わないように努める。

 その様子を肩身の狭い思いを空気で感じ取る隅下は身体を縮こませて、一時停止中の画面を凝視するしかなかった。

 画面のなかの因果島因果はこの場にいる誰よりも輝いている。手が届かない存在になって久しい。日本じゅうが彼女に夢中になり熱狂した。稀代のアイドルだった。そんな彼女のラストステージに迫るドキュメンタリー映画の制作がはじまったのは今年の頭。正直、因果島因果の最後をいまさら取り沙汰さなくても良かったと思わなくもない。しかし搾り取れるところから搾り取ろうとする業界特有の拝金主義は悪しき風習と感じているが下っ端の自分が意見を述べたところで軽くあしらわれて終わり。

 だからって誰かが提言するかと思えば、しない。

 業界の空気を目一杯肺に取り入れている連中が作る映像作品に魅力は感じない。

 それでも––画面のなかでさえ輝きを放ち続ける彼女はどこまで行っても特別だ。

「ワタナベくんか」清家は露骨に厭そうな表情を皺ひとつない顔にうかべる。「彼の才能は認めるよ? 素晴らしい才能の持ち主だと思う。けどさー、所詮はアマチュアから漸く脱皮しつつある若造のひとりに過ぎない。まだプロと呼べる段階にないよね? そんな成長過程真っ只中の人間に一任すること自体間違っていると思わないの?」

 清家の小言は何時になく非道い。

 若き才能に畏怖でもしているのか、大きい舌打ちをし、蛇原を睨みつける。

 蛇原の一存で決定したことにとことんまでケチをつけたいようだ。腐っていると言うより、老害を拗らせ過ぎている。こんな人が"天才"と持て囃されている理由がわからない。凡人に毛が生えた程度の存在でしかないだろうに。良くもまあ図々しい態度をなに喰わぬ顔でできるものだ。

「製作陣全員で協議に協議を重ねて出した結論です。候補者は他にいました。なかにはスケジュールの都合上、引き受けられないと断れたかたもいらっしゃいました」

「で? 他の候補者って誰がいたの?」詰問口調で蛇原に詰め寄る。徹底して蛇原に落ち度があることにしたいようだ。自分に意見を仰がなかったことを責めるつもりでいるらしい。

「第一候補は樫村順子さんにお願いしようと思ったのですが、ご病気の治療に専念したいと他の映像作品の依頼も断っているそうで、いくら、"伝説のアイドル"因果島因果のドキュメンタリーであっても受けられないと言われました」

「あそう」クリエイターに対して一切のリスペクトがないのはいまにはじまったことではないが、療養している相手に取る態度ではないのは隅下でもわかる。「彼には声を掛けなかったの?」

「彼?」蛇原は小首を傾げる。二人称代名詞で言われてもわからないものはわからない。しかしそれが清家の癪に障ったのだろう、機嫌が一段と悪くなる。

「片入甘粕くんだよ。蛇原くん、知らないとは言わせないよ?」高圧的な口調で言う清家に蛇原はたじろぐ。

「知らないとは言っていませんよ。ただ……」気まずそうに蛇原はゆっくりと視線を虚空に漂わせる。

「ただ、なんだ? 真逆とは思うが候補にすらあがってないと言うんじゃないだろうね?」清家は細い眼をさらに細める。口調こそマシュマロのように柔らかいが、言葉に棘がある。「ぼく、企画の初期段階で言ったはずだよね? 片入くんを起用するよようにと。もしかしてだけど、ぼくの話、誰も聴いていなかった?」

 そういうわけではないと喉まで出掛かりそうになるのをなんとか怺える。

「当初はそのつもりでいたんですが、なんと言いますか、オファーを出す間際に彼の盗作疑惑がネットで拡散される出来事が起こったんです。それで上のほうから彼の起用を取りやめるように言われまして」蛇原は言う。「本人にもネットに出ている情報は正しいのか確認したところ、事実だと述べたので、候補から外しました」

「ぼくが知らないところで行われているよね? どうして誰も伝えてくれないの?」

 それはあんたはこの企画に関わりがないからだとは言えない。

 確かに、因果島因果を見出したのは清家だ。だからドキュメンタリーに関わりたい気持ちはわからなくはない。しかし運営から清家をスタッフに入れないよう釘を刺されている。なにも知らない清家は我が物顔で会議に参加しては、自分が寵愛するクリエイターの名前をあげて、現場を騒然とさせる。無理だと口酸っぱく言っているのに、無理じゃないの一点張りで取り憑く島がない。清家に振り回されるのを未然に防ぐために運営は清家を参加させない方針にしたと言うのに、自分のことしか考えていない清家はあたりまえのようにありとあらゆる会議に顔を出しては荒らしていく。

 大御所だから誰ひとりものを言えない情況は異常だ。

 でも業界の人間は清家に頭があがらないのも事実。

 そのうち、タイトルにも口を出して来そうだ。

「それとさ、タイトルだけれど、変更する気はないの?」

 溜息を吐き掛けた。

 頭で考えていたことが次の瞬間に出るとは思ってもみなかった。

「流石に非道いと思うんだよね」

「あの、帰ってもらえませんか?」ラップトップの画面を凝視していた女性スタッフの壺滝は真っ直ぐな視線を清家に向ける。「貴方はお呼ばれされていないのですから、大きい顔で編集所まで顔出さなくても大丈夫ですよ」

「完成された映像の確認しに来てなにが悪いと言うんだい?」清家ははじめて壺滝に視線を向ける。その顔に驚きの表情が広がっていた。清家はまじまじと彼女を見詰める。しかし壺滝は清家に一瞥もくれない。視界に入れたくないようだ。「君……」

「わたしの顔に憶えがあるんでしょうか? 他人の空似だと思いますよ」壺滝は眼鏡のブリッジをあげる。

「あー、それで、タイトルの件ですけど、変更するかしないかスタッフ内でも意見が割れていまして、安直なままで行くかひと捻り入れるか逡巡している段階なんです」蛇原はお腹の調子が悪そうな顔で言う。先ほどまで血色良かった肌がみるみるうちに青白くになっていく。ほんとうにお腹の具合が悪いのではないだろうか。

「そんなのいまはどうでもいいよ。君たちに一任するよ。それより君だよ、君」

「わたしがどうかされましたか?」壺滝は清家の顔を見ようとしない。

「見憶えがあるでは済まされないよ。どうして場末の編集所なんかに君のような––」

「場末は言い過ぎですよ。編集は立派な仕事です。仕事に優劣をつけるような人がこの場にいるほうが毒だと思いますけどね!」沈黙を貫いていた隅下は両肩を怒らせはするが、清家を直視できない貧弱さは隠しとおせなかった。大御所と言われる目上相手に食って掛かれないのは仕方ない話ではある。

「君、誰?」清家は隅下の存在を認識していなかった。そのことに隅下は慄然とする。隅下自身、存在感の無さを指摘されるほどではないと思っていたが、清家にすれば隅下のような数多く存在するスタッフのひとりとしか思われていないのは悲しかった。

 ずっと貴方が観ていた映像の編集をしたのは自分だと主張したいが彼にとっては止まり木を探す鳩としか認識されていない。「どうして無関係の人間が椅子に座ってるの? だめじゃない、蛇原くん、そういうことをするから折角の出世街道が遠のいていくんだよ。いい加減、自分の無能さと向き合わないと」

「隅下くんはこの映像の編集をしてくれる大事なスタッフです。そもそも彼がいないと話がはじまりません」蛇原はフォローに回るが清家にとっては心底どうでもいい。多くのファンの相手をするアイドルとおなじく。

「君も同罪だ」清家の眼の色が変わる。

「え? どういう意味ですか?」耳を疑った。清家から放たれた言葉の意味を蛇原はどう解釈するのが正しいか上手く咀嚼できなかった。そもそも自分に向けられた言葉かも怪しい。清家の視線は宙空を見つめたまま微動だにしない。

「君も同罪なんだよ、因果」清家は舞台で決められた台詞を吐く役者を思わせる。「君が僕をここに導いた。責任は君が取ってくれないと。なあ因果!」

 隅下と蛇原は互いに困惑した色をうかべる。

 壺滝は我関せずでラップトップに集中している。

「せ、清家さん……?」蛇原は清家の肩を揺さぶるも正気に戻る気配はない。蛇原は隅下と壺滝を見るがふたりと視線は合わなかった。関わりたくないようだ。あんな仕打ちを受ければ助けようと思わないのもあたりまえかと蛇原は黄泉の国へ行き掛けている清家を見ながら、そんなことを思う。しかし急にどうしたと言うのだろう。

 幻覚でも見ているような反応だった。

 口から零れた名前。

「……俺、ほんとうのことを言うと、因果島因果がどんなアイドルだったか知らないんですよね」隅下は体を小さく丸め、この世を恨むみたいな目付きで言う。「蛇原さんは彼女がどんなアイドルだったかご存知なんですよね?」

「まあね。とはいえ、特別な才があったわけではないよ。因果島因果が特筆すべき才能はなかった。それでもあれだけの人を魅了できたのは偏に類まれなるアイドル性だろうね」蛇原は言った。

「アイドル性ですか」隅下は画面で惜しげもなくノーメイク姿を見せる因果島因果を直視する。ステージのうえで歌い踊っていない彼女はどこにでもいる平凡なおんなの子にしか見えない。編集していて思ったのは、彼女は日本じゅうを魅了の渦に巻き込んだのだろうか疑問だった。アイドルの裏側など軽々しく覗いていいものではない。

 悲惨さをこれまでもかとというくらいに画面に映している。

 場面によっては視線を背けたくなるほどに惨たらしいシーンが陸続と続く。年齢制限を掛けて公開に踏み切ったほうが健全だ。しかし配給会社及び運営は甘い考えを持ってなどいない。

 勝負に出たなという印象を隅下は抱いた。

 下手すれば、因果島因果によって掛けられていた魔法が解けてしまうのではないかと戦々恐々の気持ちで一杯だ。このまま制作が頓挫してくれたほうが良い気がする。そうすれば、自分が理想とする因果島因果が甘い記憶として残り続けるのだから。

 ファンの気持ちを慮ればこそである。

 隅下は劇場で上映されても足を運ぶ気には一切なれない。

 ホラー映画よりもホラーだ。

「因果島因果は数多くのアイドルが希求して止まない、その場に存在するだけで耳目を集める、圧倒的なアイドル性を全身から滲み出ていた。ひと度、カメラの前、ライトの下に立てば、誰もが彼女の視線を奪われる。それが因果島因果だ」蛇原は満足げに語ったが隅下が望む回答ではなかった。具体性を望んでいた。抽象的な表現ではなく。この人もまた因果島因果に魅入られてしまった人間のひとりなのだろう。清家はもっと深いところまで魅了されているようだが。

「そんな人がどうしてなんかしたんですか」一時停止している画面に映る彼女はなにかに悩んでいるようには見えない。誰よりも輝かしい未来を見ている。彼女がいる場所は照明でも当てられているのではと勘繰ってしまうほどに光輝いている。それが蛇原が宣う"アイドル性"なのかもしれなかった。

「それを繙くために俺はドキュメンタリー映画を企画したんだ」

「真実を知りたくなったんですか?」隅下は言う。

「そうだ。あの日の出来事を俺は」蛇原の言葉は中途半端に終わる映画みたいに容赦なく切断される。隅下は蛇原をまじまじと見詰めるが反応がない。接続が切れたパソコンを想起させる。

「蛇原さん?」隅下は蛇原に呼び掛けるが反応がない。フリーズしてしまっている。隅下は滝壺に話し掛けるか迷っているとむこうから視線を合わせてくる。

「どうされました?」変梃な情況になっているというのに、壺滝は神妙な顔で隅下を見る。そもそも清家が可笑しくなったのは彼女の存在に気が付いてからだ。リアクション的に身に覚えがありげだったが、隅下では見当が付かなかった。一瞬、壺滝白滝が因果島因果に似ている––あるいは本人の可能性も考えたがそれは有り得ない。「ずっと見詰められるとわたしの顔になにかついているか、わたしの顔が類を見ないほどに不細工かと勘繰ってしまいます」

「あ、すいません」隅下は壺滝から視線を外す。指摘されたから視線を外すのは却って失礼かと思い、恐る恐る視軸を合わせる。「清家さんと蛇原さんが固まったまま微動だにしないので」

 そう言われてはじめて空間の異様さに気付いたらしい壺滝は氷の彫像のふたりに一瞥をくれる。なにかしらのリアクションはあって然るべきと思ったが彼女は平然とした顔をするだけだった。異様さを受け止められる彼女の精神力に感服するばかり。

「そうみたいですね。隅下さんに言われるまで気がつきませんでした」

「その割にはリアクションが薄いように散見されますが?」

「そう、見えます?」そうとしか見えないと隅下は言おうと思ったが口にはしなかった。「わたしとしてはこれでも感情を出しているつもりなんですけど」

「感情が読み取りにくいんですね」隅下は言う。もっと気の利いた発言をしたほうが好感度があがるのだろうが、隅下に期待するだけ無駄である。「因果島因果のことに触れた途端にふたりはフリーズしてしまいました」

「だからなんなんですか? 『世にも奇妙な物語』みたいな奇怪な事態がふたりの身に降り掛かったと本気で思っているんじゃないでしょうね?」

「思ってはいませんけど、それまで嫌味ったらしい発言をしていた清家さんが虚空を見詰めたまま固まったんですよ? 不思議としか思えないじゃないですか」ふたりの会話など耳に入っていなかったであろう壺滝にすれば、隅下の発言は意味がわからないだろう。正直、隅下自身も半信半疑で話しているくらいだ。目撃者がひとりしかいない証言に信憑性を求めろというのは酷な話だ。なので、当然の如く、壺滝の懐疑的な視線は間違っていない。

「蛇原さんはどうして固まったんですか?」説明してもらいましょうと壺滝はラップトップを閉じる。興味が湧いたというよりも、不思議な現象が真にあったのか突き止めたくなったのかもしれない。隅下の思いちがいかもしれないが。

 隅下は蛇原が発言の途中で固まったことを話すと壺滝は眉根を寄せて、不機嫌になる。なにを言っているんだ、こいつはと表情から滲み出る。興味を持たれたのではなく、事の経緯をただ知りたかっただけらしい。

「噂に聞いてはいましたけど、ほんとうに実在したんですね」壺滝は言った。

「なにか知っているんですか?」すかさず隅下は尋ねる。

「因果島因果の思い出話をしたり、関連の話を思いがけずしてしまうと、白昼夢を見ると実しやかに囁かれているんです。ささめかれているんです」どうして別の言葉に置き換えて言ったのかわからないが、一部の間では有名な話のようだった。隅下は末端も末端故にそのような噂話が届いた試しがない。現場で多く仕事する人間は多種多様な話題に晒されているようである。真偽不明な話をどこまで信じているのか、質問しようか迷ったがするだけ無駄と思い、言葉を飲み込む。

「ふたりは噂どおりに白昼夢を見てしまったと?」隅下は訊く。

「おそらく」壺滝は答える。

「でもどうしてそんな眉唾な噂が流布し出したんですか?」隅下は当然の質問を壺滝に投げ掛ける。

 壺滝は視線を斜め上に向ける。少考しているようだ。

「わたしも知り合いの人に聞いただけだけど」要は又聞きの又聞きだから信用するなと暗に言われているような気がした。「因果島因果は死に際に"わたしに関わった人、全員が不幸になればいい! それがわたしが死ぬことで報われる大義になる"––そう言い残して彼女はマンションの屋上から飛び降りたと言われています」

「呪いをかけたってことですか?」隅下は喉から絞り出すように言葉を紡ぐ。

「そう、なんでしょうか」壺滝は小首を傾げ、感情を一切排した真っ黒な床を凝視する。「ほんとうに彼女は他者に呪詛を吐いて、不幸を望んだまま死んだのでしょうか」

「そうではないと考えているんですか?」そのような口振りだったから隅下はそう尋ねたのだが、壺滝の顔にでかでかと疑問符がうかんでいた。表情からでは思考までは読み取れなかった。

「逆に質問しますけど、隅下さんはわたしの発言どおりだとお考えなんですか?」

 おっと、予想の斜めうえの回答が来た。

 これには隅下は口を噤まないと行けなくなった。

 壺滝が隅下を凝視する側になる。隅下は異性から見詰められることに慣れていない。居心地の悪さをこれでもかと感じる。ずっと自分だけこの空間に存在していることに違和感を抱き続けて来たが、限界がすぐそこまで迫っている。

 早急になにか口にしないと逃げ出してしまう虞がある。

 だからって、そんな簡単に考えが纏まるわけもなく……

 両側から壁が迫りきて、頭のうえでカウントダウンがはじまっている気がする。時間制限内に意見を述べないと隅下の命は終わってしまう。差し迫った環境下で求められている回答を導き出すのは隅下は不得手だ。

「……ぼくはそもそも映像のなかの彼女しか知らないので、滅多な発言は却って失礼に当たると思いますけど」保険を掛ける隅下。「全部の映像を観たうえで編集しているわけではありませんし、彼女の活動の記録をすべて知っているわけでもありません。その立場の人間がどうこう言うのは間違っているとはまたちがうような気がするんですけど、彼女は自殺を選ぶような人ではない気がするんです。映像のなかの彼女はキラキラし過ぎるほどにキラキラしている。だからこそ余計に思うのかもしれません。因果島因果がなにかに絶望して、他者を恨み、呪うまでになり、その果てに死を選択するような人ではないと」

 見切り発車で話しはじめたことを隅下は非道く後悔した。

 纏まり切らないままに話した所為で要領を得ない内容になってしまった挙句におなじフレーズの多用。もっと考えて話すべきだった。

「そういう人ばかりだったら良いのにね」壺滝は棘を失ったサボテンみたいな口調で囁くように言う。思っていたリアクションと異なり、拍子抜けする。

「この話、業界内だけじゃないんですか?」

「内輪で済めば良かった。週刊誌に記事にされて、あっという間に話が拡散されてしまった。誰が話したのかわからないけど、悪質にもほどがある」

「そうだったんですか」隅下は言う。「蛇原さんがドキュメンタリーを企画したのは、あの日の真実を知るためと言っていました」

「わたしも知りたい」壺滝は言った。

 隅下は我に返る気配のないふたりを一瞥する。

 呪いに掛かってしまったのか、充電が切れてしまったのか、わからないがバジリスクに睨まれたみたいになっている。これが俗に言う"呪い"なのだとしたら、呪いを解くなにかを探るしかないが、解決方法があるか甚だ疑問だ。

「すべての映像を編集していないと言っていたよね?」壺滝は尋ねる。

「言いましたよ。蛇原さんもすべての記録を持っているわけではないようで。都度、映像をもらい、ぼくに送信して、編集依頼が来るんですよ」

「いまはどこまで編集が続いているの?」

「先ほど見せたシーンまでです」要するにオープニングしかできていない。その先の映像がどうなっているか蛇原はおろか隅下も知らない。

 そのことを話すと壺滝は怪訝な顔で笑顔を湛えている因果島因果を見遣る。

「運営が映像を持っているの?」

「そうではないようです。ディレクターが映像を管理していると蛇原さんは言っていましたけど、下っ端のぼくはなにも知らないと言っても過言ではありません」

「この映画のプロデューサーでしょう? 仕切る人が知らないっていったいどうなっているの?」壺滝は隅下を責め立てるように言うが、当の隅下も理由を知りたいところだ。蛇原から言われるがままに動いているのだ。質問を投げたところで納得の行く返答が来ないのを彼は重々承知している。

「外部に映像が洩れないよう徹底しているとぼくは解釈していますけど、好意的ですよね?」

「好意的ね」壺滝は言う。「蛇原さんも知らなければ、清家さんさえも。いったいどうなっているの?」

 壺滝は廃人と化す寸前のふたりを見据える。

 隅下はカメラに向けられた無垢な笑顔の因果島因果を見る。

 その笑顔に裏打ちされた感情と真実を知る術などあるのだろうか。

 心のなかで、映像のなかの因果島因果に君はほんとうに自殺をしたのと語り掛けてみるが、その口から真実が聞けるはずがないのを隅下はわかっている。

 わかっているけど、訊かずにはいられなかった。


 因果島因果の呪いが実在するかのように、蛇原蛇の目と清家按慈の訃報が届いた。死因は自殺とされているが原因は明かされていない。

 死に際にふたりは因果島因果の映像を観ていたという。

 その話が事実か確認はなされていないという––   

         

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