新しい魚

 新種の魚だと思う。海へ還してやりたい。

 その魚は赤い砂の上で長い鰭をばたつかせ、もがいている。もがくたびに乾いた鱗が砂煙をたてる。鱗が血のように砂で赤く汚れる。どこか別の國から流れついたか。

「死を怖がっているのか」

 あるいは生きようともがくのか。

 手袋の上に魚を載せる。思ったよりもあたたかい。鼓動がある。鰓は隠れているのか、見えない。魚の眼球が動き、こちらを見る。

 野の向こうから叔父である醫手が来る。漁手をひとり連れている。

「叔父さま、これです」

 手袋の上の魚を手渡す。叔父も手袋で受ける。叔父はその魚を漁手へ手渡す。

「見たことはあるか」

 漁手の手袋はところどころ破れておりその裂け目から爛れた皮膚が見える。その爛れた皮膚が魚から落ちた赤い砂で汚れる。

「こんな魚は見たことはありませんな、邑人も見たことはないでしょう」

 そう言って漁手は叔父へ魚を戻す。そのとき鰭が動く。

「それにここは海から遠いです。この魚が跳びはねたとしてもここには届きません」

 漁手のことばに叔父はうなずく。

「海へ還すまえに私が預かる。随いてきなさい」

 私は叔父のあとを歩く。漁手は私たちと離れて野を逸れる。その小さくなる背をずっと見ながら歩き、漁手のしていた手袋の下の手を思い出す。

「彼はもう永くない」

 叔父は立ち止まってそう言う。まるで月の自転周期について語るように。

「彼の孫には邑から新しい手袋を贈ろう」

 それがいいと私も思う。

 叔父の醫処へたどり着き、なかに入る。醫術台の上に魚を置く。叔父は壺を持ち出してなかの水を魚にかける。鰓が動くと思ったけれど隠れているようで、見えない。赤い砂が台の下へ流れる。

「海の魚ではないかもしれない」

 と叔父は言う。

「鰭が布のようで、水を泳ぐのに適していない。獣の脚のようなものも生えている」

 叔父は書棚から旧い魚類図鑑を取り出し、開く。多くの魚が横を向いて描かれている。そのなかに魚の生態を描いた図があり、叔父はそのなかのひとつの絵を指す。

「この魚はこれと近いのかもしれない」

「なんと書いてあるの?」

「この図から線が延びていて、説明する文があるけれど、読めない」

「そう。でも泳いでいるのは海じゃなさそう」

 魚類図鑑は閉じられる。頁が起こした風に舞い、一枚の栞が落ちる。栞には見たことのない地球の雲が描かれている。

 布で魚をくるみ、叔父は醫処を出る。私は叔父のあとをついていく。叔父は歩きながら魚の口へ虫を入れる。魚は口を上下にひらき、それを食べる。口が虫の体液で湿る。

 海辺へ着く。叔父は布をひらき、魚を海に浸す。寄せる波は魚と赤い砂とを浸し、赤く戻っていく。魚は海へ還らない。ただ海辺に身を横たえている。

 しばらくそうしていた魚は、やがて身震いする。魚は海に浸ろうとするのではなく、頭をもたげる。叔父は感嘆の声を漏らす。脚で立とうとする。私も声を抑える。魚は還るべき海ではなく、雲を見る。そして鰭をひろげる。体長くらいはある鰭をひろげる。

「泳げ」

 私は叫ぶ。叔父は私の肩を抱く。魚は鰭で地を打つ。そのとき、魚は一瞬だけ浮く。鰭を大きく動かし、宙にとどまったかのように見える。でも、浮いたあと、そのまま魚は海に落ち、波にのまれる。波は魚を沖へと運んでいく。

「宇宙船の発射実験のようだったな」

 と叔父は言い、私の肩を強く抱き寄せる。私の防光衣と叔父の防光衣が乾いた音をたてる。

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物語圏 尾甲 @onaikotaro

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