第101話 一度しか生きることはできない(終)

 貴族として最高の公爵位を授かったアレクシアの帰還を、リートベルクの民たちはもろ手をあげて出迎えた。


 主君が公爵と同格と認められたことで、自分たちも実質上、公爵領の民となったのだ。辺境伯の名称に変わりはないが、誇らしさは尽きない。


 かつて女辺境伯が誕生した時よりもさらに多くの人々がアレクシアを一目見ようと押しかけ、盛大な拍手と喝采を送った。


「お帰りなさいませ」

「お疲れ様でした、お二人とも」


 大規模な祝福を通り抜けて城に帰りつくと、家令のエヴァルトと管財人のモニカ夫妻がそろっていたわってくれた。この二人もずっと穏やかで円満な夫婦だ。


「ただいま、義父上~! テオ~!」


 ルカはヴィクトルと熱い抱擁をかわし、テオドールを捕まえて思いきり吸った。


 エリザベートとヴォルフリックは休暇が終わって学園に戻ってしまったので、唯一家に残っている末っ子を三人分愛でないと物足りないのだ。


「もぉ~! 父上は僕のこと好きすぎるよぉ!」

「うん好き。大好き。あんなに毎晩夜泣きしてたテオがすっかり大きくなっちゃってぇ……」

「いつの話? 僕覚えてないからね!」


 テオドールはうざったそうに言い返すものの、父を筆頭に周囲からこよなく愛されてきた末っ子は、これでもかというほど自己肯定感たっぷりに育っている。


 外見は天使のような美少年だが、中身は自分が家族の宝物だと熟知しているため、ちょっとやそっとの逆風には折れないしたたかでしなやかな性格だ。


 テオドールに逃げられて寂しそうにするルカに、アレクシアが声をかけた。


「留守の間に花が見頃になったようだ。散歩に行かないか?」

「行く!」


 ルカは心のしっぽを激しく振った。


「義父上、ちょっとデートしてきます!」

「見せつけるな。ゆっくりしてこい」


 前半と後半で矛盾した指示を返すヴィクトルに見送られて、夫婦は城下の森へと降りた。


 夏至を過ぎたばかりの時季。日は長く、陽だまりはあたたかい。


 広大な森には鮮やかな緑が満ち、城壁の黒い釉薬ゆうやくに照り映えていた。


「いいお天気! 気持ちがいいね」

「そうだな」


 すずらんの季節は終わろうとしているが、野ばらはちょうど満開だ。


 青々と広がる自然の中にサフィニアやゼラニウム、ペチュニアやアルストロメリアの花たちが競うように咲いている。


「ヴォルフはちゃんと野菜も食べてるかな。リザはリヒャルト殿下に迫られて困ってないかなぁ……」

「大丈夫だろう」


 ルカは離れて暮らす息子と娘を心配したが、アレクシアは平然と答えた。


「リザとは学園に帰る前に話をした。あの子が小さい時にも言ったことがあるのだが……」


 五歳のエリザベートがルカと結婚したいと望むも断られ、落ち込んでいた時。


 アレクシアは言ったのだ。──結婚は幸福の必須条件ではない、と。


『おまえが結婚したいと思う相手に出会ったならすればいいし、独身でいたければそれでいい。結婚した後に事情が変わったり、耐えられない状況になった時は離婚すればいい』


 この機会にもう一度、母は娘にその話をした。


 リヒャルト殿下を愛し、敬い、伴侶として添い遂げたいと思うなら求婚を受ければいい。そうでなければ無理に結婚する必要はないと。


 エリザベートはおとなしいが、芯のしっかりした子だ。リヒャルトの求愛に応えるにしろ、断るにしろ、自分でちゃんと考えて決めるだろう。


「我が領はもう充分に栄えている。娘の結婚で地位を高める必要はないからな」

「その! 結婚しなくていいっていうところ! もっと! もっと強めにお願いします!」


 ルカは全力で食い下がった。


 愛娘の結婚なんて、そんな殺傷力の高い言葉は聞きたくない。考えるだけで息の根が止まってしまう。


「リザは結婚なんてしなくていいし、しなくていいし、しなくていいからぁ!」

「それは言えないな」

「なんで!?」

「私は結婚してよかったからだ」


 言葉を失うルカに、アレクシアは柔らかく笑んだ。


 ルカはいつも優しい。出会った時から優しかったが、結婚生活が長くなった今でもずっと愛情深くて思いやりがある。

 

「後悔したことは一度もない。結婚してとても幸せだ」


 アレクシアだけを一途に愛してくれる夫と、結婚して本当によかった。


「ずるぅい……!」


 ルカは心臓を押さえてよろめいた。


 そんな一撃必殺のような言葉を言われてしまったら、反論なんてできるはずがない。

 

 絡めた指に力を込めて、二人はさらに散歩を続けた。


 しばらく進んだ先の山肌は斜めに切り立ち、沢には透明な水が流れていた。


 花びらの雪が降りしきる。野鳥たちが軽やかにさえずりながら、澄んだ湧き水をついばんでいる。


「君と初めて出会ったのは、このあたりだよね」

「よく覚えているな」

「忘れるはずないよ。僕の人生が変わった日だから」


 あの日の光景を、生涯忘れることはない。


 星のように森を翔ける一本の羽矢。それがはじまりだった。


 ルカの蜂蜜色の髪を揺らしてはしり抜けたやじりが、きらめく尾を引いて、まっすぐに飛んだ。

 

「初めて君を見た衝撃も、感動も……全部はっきりと覚えてる」

 

 たった一目、アレクシアを見た刹那。


 周囲の音が、空気が、時間がすべて停止した。


 凛とした立ち姿。風に揺れる漆黒の髪。ゆがけを嵌めた手のひら。


 まばたきをするのも惜しかった。一秒でも、一瞬でも見逃したくなかった。


 まるで雷に打たれたように、ルカの全身は痺れた。


 ただごくシンプルな思いだけが、無意識のうちに口からこぼれ出た──。


「アレクシア」

「ん?」

「好き」


 当時と同じ言葉を捧げながら、ルカはまっすぐにアレクシアを見た。


「あの時から……ううん、あの時よりももっとずっと、君のことが大好きだ」


 ある日突然、一番好きな女性ができてしまった。


 季節もちょうど同じ頃。この場所で邂逅かいこうした恋がルカの運命となり、生きる希望になった。


「……アレクシア」


 ルカは足を止めてアレクシアに向き直った。天上の蒼穹を切り取ったような青の眼を、愛おしそうにじっと見つめる。


「この前の……リリーが贈ってくれた本のことだけど……」


 出版社で働くリリーによれば、流行小説の中では今、前世や転生や生まれ変わりといったテーマがブームなのだという。


「生まれ変わるって、本当にあるのかな?」

「どうだろうな。おとぎ話ではないか?」

「そうかもね。でも、もしも本当にあったとしたら……僕は生まれ変わってもきっとまた君に恋をする」


 ルカは地面に片膝をついた。アレクシアをまっすぐに見上げて、手をさし出す。


「必ずまた君に出会って、君だけを愛すると誓います。だからその時はまた──僕と結婚してください」

「はい」


 ためらいのない返事をもらって、ルカは森に咲くどの花よりも明るく破顔した。



 この国には「人はこの世で一度しか生きることはできない」ということわざがある。


 ことわざとも言えないかもしれない。そのまま「人生は一度きり」という意味である。


 人間の生涯はたった一回だけ。


 生まれ変わることも、時を逆行することも、人生をループすることもない。他者に憑依することも、本の中に入り込むことない。前世の知識で無双することも、歴史を修正することもできない。


 人と人は一期一会。時間は未来へと流れるのみで、決して過去に巻き戻ることはない。


「"人は一度しか生きることはできない”……」


 ルカは左手を太陽に透かした。薬指には純金の指輪が光っている。


 この指輪はかつて結婚前にアレクシアに贈ったものだ。彼女の手ではめてもらって以来、一回も外したことはない。


 人は一度しか生きることはできない。

 輪廻りんね転生と聞けばロマンティックだが、あいにくと実際にあるのは現世だけだ。前世も来世も異界も魔界も存在しない。


 だからこそ、この日々が愛おしい。


「アレクシア──愛してる」


 たった一度の人生で、たった一人の相手に恋をした。


 この指輪を外さずに、この手を離さずに、唯一無二の生涯を共に歩んでいきたい。


 今までも、これからも──ずっと一緒に。








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完結です!

最後までお付き合いいただき本当にありがとうございます♡


よろしければここまで読んでくださった記念に☆☆☆で評価していただけると勉強になります!

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元・末端令息ですが、最強妻と辺境で幸せに暮らします! 『追放された末端令息は辺境の野蛮令嬢に一目惚れする』続編 sana @s_a_n_a

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