愛とは (未来の話)

 銀嶺は恭子と共に居間で寝ている男女の赤子を見守っていた。

 そのうち男児は銀嶺と恭子の間に出来た子供であり女児は今は亡き銀嶺の妹であり恭子の主人であった実子の子供である。

 その父親は赤子を育てられる状況でないため女児は二人の下で夫婦の実子の男児と一緒に育てられている。

 銀嶺が女児を見た時、銀嶺は頭にふと実子の声が、かつての言葉がよぎった。


――愛とは生きるのに必要なモノであるが、時に身を滅ぼすモノだ――


「昔、僕がまだ高校生だった頃、『愛とは生きるのに必要なモノであるが、時に身を滅ぼすモノだ』と実子が言っていて気を付けるようにと昔言われたものだ」


 ソレを思い出し銀嶺は実子の付き人をしていた恭子に小さく口を開いた。


「愛だの恋だのという言葉はかつての僕には分からなかったが、恐らく僕の考える愛の範囲だけの意味では無いのだろうと言うことは今では察せられる」

「確かに、あの方は私達とは別のモノの見方を為さっていましたので……」


 恭子も遠い何処かを見つめて銀嶺に小声でそのまま返した。

 かつて恭子の主人だった実子は自分の欠片を宿した子供を産み落として力尽き、山に還ってしまった。

 付き人そのものは恭子が銀嶺と正式に結婚する際に解消され対等な関係となっており、主従が解消された実子とはまた別の契約を結びソレに従った生活をしている。


「まぁ、恋愛で身を滅ぼすのは珍しい事ではないので間違った解釈ではないかと」

「それはそうだな」

「しかし、本当に真澄ちゃん大きいですね。耀弥かがみより少し小さい位とは……」

 

 並んで寝かされた赤子は1歳に満たない月齢の違う子供であった。

 二人の赤子の月齢は4ヶ月違いであり、赤子は大人にとっては短い時間でもその間にかなりの成長を遂げる。それでも2センチしか変わらないのは後に産まれた女児の真澄が相当大きい事に他ならない。


「耀弥もその月齢にしては少し大きめの赤子の扱いだったよな」

「その通りですね」


 二人の実の子で耀弥も大きい部類なので恭子は銀嶺に是と返す。

 耀弥は活発にハイハイなど動く様になりあまり寝る時に近くで寝かせると真澄が手足などが巻き込まれかねないのだが、引き離すと耀弥が泣き喚いて嫌がり暴れるので一緒に寝かせている。真澄が月齢の割に大きく首は早くに据わっていて寝返りも打っているので、銀嶺と恭子は真澄もそのうちずり這いをしだすだろうと考えている。

 銀嶺の母であり二人の祖母である楓曰く真澄も気付いたら、寝返りでは移動できない場所で耀弥と一緒に座っていたりするらしい。

 耀弥も真澄が寝ている時は大人しく、それ以外で何か起こり耀弥が月齢の割に大音声で泣き喚いていても真澄は起きていたら一緒に泣いているか寝ていると全く起きずに熟睡しているのが日常と化している。

 耀弥が寝ている状態で真澄が泣くと耀弥も起きてさらなる大音声で泣き出す状態になる。


「平和だ……」


 銀嶺の言葉は本音に他ならない。


「まぁ、元気な証拠とも申しましょうか……」


 苦笑交じりに恭子は告げた。


「真澄と耀弥は健やかに育っている所作と言うことで……」

「そういう事にしておこう」


 銀嶺は日常風景を頭に浮かべつつ恭子の言葉を肯定した。


「しかし……愛、ですか。執着の感情の事ですね」

「そうだ。仏教ではあまり良くないモノとして扱われるな」

「えぇ、まぁ。独りよがりになりがちで全てがソレに乗っ取られると周りに迷惑をかけたり自身を破滅する事にもなりかねませんしね」

「だから仏教だと人に下心なく優しくすること、情をかける事を慈悲と呼ぶそうだ」

「あぁ」


 銀嶺の言葉を受けて恭子は目を瞠りそして目を閉じてまたゆっくりと目を開き口も開いた。


「……実子様の仰った事はそういう事なのでしょうね」

「……どういう事だ?」


 恭子の言葉に銀嶺は思わず恭子を見て訊き返す。


「慈悲とはを慈悲と呼ぶ事もありますから」


 引導を渡す行為を慈悲と呼ぶ事もあるように、恭子は下を向いて淡々と告げた。

 

「なるほど、そういう事でもあるの、か……」


 恭子の表情を覗いながら銀嶺は絞り出すように言った。


「そして」


 恭子は一拍置いて二の句を告げた。


「子供の愛着障害が子供の命を脅かすのも確かです」

「愛着障害……ネグレクトや虐待を受けた小さい子供がなってしまう症状だったか」


 恭子の言葉に訊き返すように銀嶺は告げた。


「えぇ、凡そその通りです」


 恭子は頷き話を続けた。


「愛着障害のある子は脱力発作を起こす事があります、それは癲癇の発作の様に動かなくなるモノです」


『もしソレがお風呂の中で、あるいは道路を渡っている途中で、高い所に登っている最中に起こったとしたら――』


 その先は言うまでもない事である。


「自殺を考える年にも満たないのに遠回しな自殺行為の様なモノとなるのか……憐れだ」


 顎に拳を添えて銀嶺は話の感想を述べる。


「愛が生きるのに必要と言うのはそう言うことなのでしょう。そして負の愛も生きる糧となるのも確かでしょうから」

「?それはどういう――」

「この話は此処までにさせて頂きますね」


 満面の笑みをした恭子はそう言ってその話題を断ち切る。

 その笑みを面食らった銀嶺は言葉を詰まらせた。


「そ、そうか。わかった」


 恭子の笑顔に壮絶な拒絶を感じ辛うじて出た言葉の中で銀嶺は固唾を飲む。

 そんな中、恭子はいつもの和やかな雰囲気の笑顔に戻り口を開く。


「では私は夕飯の支度をして参りますね、どうか二人をお願いします」

「わ、わかった、泣いたらおむつとか確認するよ」


 そして恭子は居間から退出し台所へと向かった。

 それを見送った銀嶺は寝ている赤子を見遣り詰まった息を吐き出す。






「恭子、君がチを赦し前に進めなかったらどうなっていたんだい?」


 吐き出した息と共に小声で銀嶺は本音を漏らし部屋の中で霧散した。

 

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怪談マニア 祝銀嶺の目録 すいむ @springphantasm

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