脚本「街は囁いて」

澤根孝浩

第1話 街は囁いて

登場人物


・嶋田 亜紀 (31)

・坂井 千鶴 (55)

・坂井 貴代 (31)

・マスター  (38)

・佐嶋 武士 (27)

・藤田 大蔵 (49)

・鈴木 太郎 (31)




    舞台は開店前のバー。店にはカウンター席とテーブル席が2つ。

    カウンターテーブルの上にはボトルが何本かとグラスが置いてある。

    上手からマスターが登場。

    店内を見回し、テーブルを拭いたり、机を整えたりしている。

    開店の準備ができ、もう一度、店内をもう一度見回している。

    (音響)ドアの音がなる。



   亜紀が店に入ってくる。


マス:いらっしゃいませ。ようこそお越しいただきました。こちらへどうぞ。


    席へ誘導するマスター。

    メニューを持ってくるマスター。それを見ようとしない亜紀。


亜紀:眠れないんです。もしできたら、ゆっくり眠れるような、そんなお酒をくださ      

い。

    少し悩むマスター。


マス:承知致しました。


    (音響)カウンターに戻ろうとすると、ベルの音がカットイン。

    千鶴と貴代が入ってくる。千鶴が前を不機嫌そうに、後ろを貴代が沈んだ表

    情で入ってくる。


マス:いらっしゃいませ。…失礼ですが、お二人様ですか?

千鶴:そうよ、何か悪い?

マス:とんでもありません。こちらへどうぞ。


    席へ誘導するマスター。


マス:メニューをどうぞ。


    メニューを渡して、カウンターに戻っていくマスター。

    カクテルを作るマスター。出来上がると、亜紀のところへ持って行く。


マス:お待たせ致しました。


    カクテルを置くマスター。カクテルを口にする亜紀。


亜紀:美味しい…。これは何という名前なんですか?

マス:ビトウィーン・ザ・シーツ。名前の通り眠りにもっとも近いカクテルです。


    静かに笑う亜紀。


マス:実はいろんな意味があるカクテルなのです。では、少しカクテルのお話を…。


    説明を始めようとすると、千鶴から声がかかる。


千鶴:ねぇ。

マス:は、はい、ただいま。…失礼します。


    亜紀に頭を下げ、千鶴たちの席へ行くマスター。

    マスターにメニューを突き出す千鶴。


千鶴:何でもいいから、悲しいことを忘れられるお酒をちょうだい。

マス:残念ですが、世界中のどこにも悲しみを忘れることの出来るお酒はございませ  ん。悲しみを忘れるお酒があるのは唄の世界だけです。ただし、悲しみに立ち向かうための勇気をもらえるお酒ならたくさんありますよ。


    良いことが言えたと少し誇らしげなマスター。少し間が空く。


千鶴:…何言ってんの?


    恥ずかしそうに顔を伏せるマスター。


千鶴:まぁ、いいわ。任せるから、適当に何か持ってきて。

マス:承知しました。

千鶴:あんたはどうすんの?


    貴代に向かって促す千鶴。


貴代:…わたし、いらない。

千鶴:まったくこの子は…。バカ! 

貴代:バカじゃないもん。

千鶴:あんたなんて醤油でも飲んでればいいのよ。それも減塩のやつ!

マス:お、落ちついてください。

千鶴:落ち着かないわよ! この子、本当におバカで…もう…。

貴代:…わたし、悪くないもん…。

千鶴:悪くない!? いいわ。あんた、話を聞いて、この子が悪いかどうか、判断してちょうだい。

マス:あ、あの…ご注文は…。


    話を始める千鶴。


千鶴:この子、見てみなさい! 


    諦めた様子のマスター。


マス:はい、お聞きします。

千鶴:見るからに、どうしようもないでしょ。30過ぎて仕事もなくて、結婚もできなくて。でも、親としてできることなんてしれてるでしょ。だから、せめて結婚相手を探してやろうって。でも、方々回ったけど、会ってくれるとこまで行かないのよ。何が悪いのかわからないけど…それでも拝み倒して、やっと一人、会ってもらえることになったのよ。それが今日! 勢い勇んで、高級料亭に行ってきたわよ。それなのに、この子ったら、前菜に出てきた高野豆腐に思いっきり噛みついて、そしたら、高 野豆腐からびゅーって…それもお見合い相手の顔に…。


    頭を抱える千鶴。


千鶴:わたしもう恥ずかしいやら情けないやら…。

貴代:だって、高野豆腐、好きなんだもん。

千鶴:だからって、あんな風に必死に噛みつくことないでしょ!

貴代:だって、高野豆腐、好きなんだもん。

千鶴:もう…おバカ!


    間が空いて、泣き始める二人。見入っているマスターと亜紀。


マス:…よくわかりました。 ぴったりのお酒を出させていただきます。

千鶴:ぴったりって、何よ。高野豆腐のお酒でも出すつもり?


    嬉々とした表情で顔を上げる貴代。


マス:残念ですが、高野豆腐のお酒は…。


    世界の終わりのようにがっかりとする貴代。カウンターに戻るマスター。

    千鶴が亜紀に気が付き、席を立ち、近づいていく。


千鶴:失礼だけど、あなた、おいくつ?


    戸惑う亜紀。


亜紀:え、えっと、今年で三十一です。

千鶴:やっぱり。うちの子と同じくらいに見えたのよ。結婚はしているの?


    言いよどむ亜紀。


千鶴:いい! 言わなくていいわ。あなたも結婚してないんでしょ。見ればわかる、 わかるのよ。

亜紀:見れば…って…?

千鶴:世間じゃ強い女性とか流行みたいに言われているけど、あなたも結婚したいんでしょ!?…責めてるわけじゃない! 責めているわけじゃないのよ! うちの子も同じだし。仕事もしないし、何て言うの…家事手伝い…いやいやこの子、家事手伝ったことないわ。喰っちゃ寝、喰っちゃ寝、食ったかと思えば寝、寝たかと思えば食って…気が付いたら喰いながら寝てて。やっとお見合いできたと思ったら、びゅー   だからね…。


    泣く貴代。


千鶴:泣くくらいなら、高野豆腐を少し嫌いになりなさい!


   泣くのをやめる貴代。亜紀を向く千鶴。


千鶴:あなたもね、諦めちゃだめよ。きっと結婚できるからね。

亜紀:は、はい。


    マスターがカクテルを持ってくる。


マス:お待たせ致しました。シンデレラブルーでございます。名前のとおり、お客様が素敵な男性にお会いできますようにと願いを込めて作らせていただきました。


    照れる貴代。


マス:そして、こちらがオールド・パル。古い友人という意味のカクテルです。お待ち合わせをされているお客さまにはぴったりです。


    驚く千鶴と貴代。


千鶴:なぜ、私たちが待ち合わせだって、わかったの?


    少し間が空く。


マス:私にはこの街の声が聞こえるんですよ。街が教えてくれたんです。お二人は大切な方と長い時間を経ての再会をされると。


    少し誇らしげなマスター。


千鶴:あんた、何言ってるの?


    恥ずかし気に顔を伏せるマスター。


貴代:すいません。街に聞いてくれませんか? その人がここに向かっているかどうか。

マス:その必要はありません。お待ち合わせの方は今もお店に向かっています。耳を澄せば、足音が聞こえてきます。


    目を閉じ、耳を澄ますマスター。目を開けて、にっこりと貴代に微笑みかけ    

    頷く。


貴代:…よかった。


   オールド・パルを一口飲む千鶴。


千鶴:…美味しい。

マス:ありがとうございます。


    少し間が空く。


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