第2話 貴代の思い出
1
千鶴:…もしよければ、待っている間、その人の話を聞いてくれるかしら?
マス:喜んで。
亜紀を向く千鶴。
千鶴:あなたも聞いてくださる?
亜紀:…はい。
千鶴が立ち上がり、話し始める。
千鶴:もう二十年も前になるかしら。わたしたち親子が住んでいたのは、まるで昔話に出てくるようなのんびりした田舎の村でね。子供たちも昔ながらと言うか、悪ガキばっかりで。…この子、こんなんでしょ。もうかっこうの標的よね。いじめられて、いじめられて…。この子ね、いじめられると、学校から飛び出しちゃうのよ。泣きながら一心不乱に全速力でね。だけど、行き先はいつも一緒。村にただ一つの診療所…佐嶋診療所。
(照明)チェンジ。
マスターと亜紀と千鶴が上手に去る。貴代は座ったまま。
2
佐嶋が入ってくる。
佐嶋:どーしたんだい、キーちゃん。またお腹が痛いのかな?
頷く貴代。
佐嶋:よーし、じゃあ手術だ! はい、スタート。
白衣のポケットからメスを取り出して、貴代に近づていく。慌てる貴代。
貴代:手術、やだ!
佐嶋:そうかぁ、手術はイヤかぁ。じゃ、注射で治そう! はい、スタート。
白衣から注射を取り出し、貴代に近づいてく。逃げる貴代。
貴代:注射、やだ!
佐嶋:注射もイヤかぁ。それは困ったぞ。先生、この二つしか病気を治す道具を持っていないんだ。
貴代:お話、聞かせて!
佐嶋:またかい?
貴代:先生のお話を聞いたら、きっとすぐに治るよ。お願い!
わざとらしく悩む佐嶋。
佐嶋:お話は病気を治すものじゃないんだけど、キーちゃんには効果抜群だからなぁ。仕方ない。
貴代:やった!
佐嶋:今日はね、世界一深い海に住んでいる魚の話をしよう。海で一番深い場所には…。
3
佐嶋が椅子に座り話し始めようとすると、千鶴が入ってくる。
千鶴:こらっ。貴代。
貴代:人違いです。
顔を隠す貴代。
千鶴:この子はおかしなとこばかり覚えて…。帰るよ。
貴代:いや! わたし、佐嶋先生のお話を聞く!
佐嶋:実はこのお話、まだ出来上がっていないんだよ。今度、キーちゃんが来るまでに完成させておくから、待っていてくれる?
貴代:途中まででもいいから聞かせて。
千鶴:わがまま言うんじゃないの! いい加減にしないとブツよ。
貴代を叩く千鶴。
貴代:お母さんが叩いた…。
泣き出す貴代。頭をさする佐嶋。
佐嶋:よし、じゃ、今度、キーちゃんが来るまでにお話を完成させておくから、楽しみにしていて。…だから、今日はお母さんと帰ろう、ね?
渋々頷く貴代。
佐嶋:よかった。キーちゃんは良い子だ。
千鶴:佐嶋先生、ご迷惑をおかけしました。いつもいつも…。
佐嶋:いえ、こんなことを言ったら、叱られるかもしれませんけど、僕もキーちゃんが来てくれるのを楽しみにしているんですよ。
頭を下げる千鶴。
千鶴:ありがとうございます。
頭を下げて下手に去る千鶴と貴代。上手に去る佐嶋。
4
下手から入ってくる貴代。
貴代:頭をポカンと叩かれたくらいで、くじけるような悪ガキはいない。田舎の悪ガキは強いのだ。だから、わたしも学校から逃げ続けた。そんな私にとって、佐嶋診療所は、ただ一つの逃げ場所であり、愛すべき場所だった。先生の話してくれる物語は、どれもユーモラスで温かさに満ちていた。だから、母親や担任の先生に何度、連れ戻されても、わたしは診療所に行くのをやめなかった。
照明チェンジ佐嶋が上手から入ってくる。
佐嶋:キーちゃん、またお腹が痛くなっちゃったって。
貴代:うん…。
佐嶋:よーし、それじゃ、この前約束したお話をしてあげようかな。お話でお腹が痛いのを治しちゃおう。
貴代:お魚の話、完成したの?
佐嶋:うん。面白いか、どうかわからないけど。
貴代:面白いよ。
佐嶋:まだ聞いてないのに、わかるのかい?
貴代:うん。
5
椅子に座る二人。佐嶋が話を始める。
佐嶋:これは、海の一番深いところに住む魚のお話です。世界で一番深いところは、くぼみのようになっていて、そこには、一匹の魚と口がありました。
貴代:口?
佐嶋:そう。それは、地球の口なんだ。
貴代:地球に口なんて、あるの?
佐嶋:もちろん。目だって鼻だってある。魚は一匹だけだったから、話し相手は、その地球の口だけだったんだ。でも、その口は世界中のどんなことも知っていたから、魚は毎日が楽しかった。砂漠に一晩だけ咲く花の話や天高く飛ぶ巨大な鳥のこと…地球の口から語られる物語は尽きることがなかった。でも、ある日、魚は…。
(音響)ゆっくりとしたイメージの音楽IN。(徐々にフェイドアウト)
貴代が立ち上がる。
貴代:魚はたくさんの話を聞いているうちに、くぼみを飛び出して、地球の多くのものを見たいと言い出します。口は悲しいのですが、それを止めることはしないで、どこにでも飛んでいける光の翼を魚に与えます。そして、魚はくぼみを去り、世界中を見て回るために旅立ちます。…話は架橋に差し掛かっていきます。私はすっかり物語の一員になっていました。しかし、異変が起こったのです。大地が激しく揺れました。物語の中ではなく、現実世界で。
(音響)地震の音、IN。
貴代は混乱している。佐嶋が立ち上がる。
佐嶋:いいかい。机の下に隠れているんだ。
それに従って、貴代は机の下に入る。佐嶋が上手に走り去ろうとする。
貴代:先生! どこに行くの!?
佐嶋:ガスを止めてくる。キーちゃんはそこにいるんだ。
何かを言おうとするが、地震の揺れで言えない貴代。
佐嶋:大丈夫。そこは海の底よりもずっと安全だ。
上手に走り去る佐嶋。
貴代:わたしは目をつぶり、ここが海の底だと必死で思おうとした。どこよりも静かで、平和なくぼみだと。どれだけ続いたのだろう。激しい揺れの後、ぴたりと衝撃が止まった。わたしは、ゆっくりと机から顔を出そうとした。
声が入る。
佐嶋:ダメだ! まだ机の下にいるんだ!
6
止まる貴代。(音響)建物の崩れる音、カットイン。
下手から千鶴が入ってくる。
千鶴:キヨー! キヨー!!
机の下に倒れている貴代を見つけ、助け出す千鶴。
貴代:先生が…先生が…。
上手方向を指さす貴代。千鶴が上手の方に近づこうとする。
しかし、建物の残骸が邪魔をしているようで進めない。
千鶴:佐嶋先生ー!!
諦めたように、力無く振り向き、貴代に抱きつく。
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