第5話 佐嶋先生

    照明がBARのものに変わっていく。

    千鶴、貴代、マスターが入ってくる。


亜紀:私が場所を決めなければ…私が遅刻しなければ…私が…。


    興奮していく亜紀。そっと亜紀の肩に手を置く千鶴。


千鶴:…一般論に聞こえるかもしれないけど、あなたが悪いわけじゃない。ああだったら、こうだったら…その積み重ねで人生は出来ているの。


亜紀:ごめんなさい。話しているうちに興奮してしまって。自分から話すと言ったのに。

千鶴:いいのよ。わたしたちも同じようなものだから。マスター、彼女に冷たい水を。

マス:承知しました。


    水を用意するマスター。その水を亜紀に渡す。


マス:レモンが入っています。すっきりしますよ。

亜紀:ありがとうございます。

マス:とんでもありません。失礼ですが、一言、言わせてください。


    マスターを見る亜紀。


マス:鈴木さんはあなたが悲しみを抱えて生きるよりも、笑顔でいるこを望んでいると思いますよ。

千鶴:そうよ。あなたが立ち直ることを何よりも願っているはずよ。


困ったように笑う亜紀。


亜紀:…どうなんでしょうね…。

貴代:わたし…バカだけど…だけど、わたしもそう思う。

亜紀:貴代さん…もうやめましょう。ここはバーなんですし、美味しくお酒を飲みましょう。



    (音響)ベルの音、カットイン。

    佐嶋、下手から入ってくる。入り口に目が行く四人。


貴代:先生!

佐嶋:キーちゃん、お腹はもう大丈夫かい? 


    にっこりと笑う佐嶋。


貴代:はい…。

佐嶋:それはよかった。


    千鶴を向く佐嶋。


佐嶋:お久しぶりです。


    声が出せず、小さく頭を下げる千鶴。

    マスターがメニューを持ってカウンターから出てくる。


マス:いらっしゃいませ。

佐嶋:ジントニックをいただけますか。

マス:承知いたしました。


    貴代をじっくりと見る佐嶋。


佐嶋:そうか。もうすっかり大人なんだね。

貴代:はい…あのとき、先生に助けてもらえたから、大人になることができました。


    首を振る佐嶋。千鶴が佐嶋の前に出てくる。

    唐突に膝をついて、頭を下げる。


千鶴:先生、許してください! 

佐嶋:どうしたんです? 私が千鶴さんを許さなくてはいけないことなんて何もありませんよ。

千鶴:大地震のとき、助けられなかった…貴代がお世話になりっぱなしだったのに…。


    深く深く頭を下げる千鶴。


佐嶋:仕方がなかったんです。壁が崩れて私のいた部屋には来られなかった。

千鶴:違う…違うんです。あの時、瓦礫の間に私一人が通れる空間を見つけました。けれど、私には勇気がなかった…臆病風に吹かれてしまった…私は自分が恥ずかしい。

佐嶋:すぐに建物は崩れた。あなたは間違っていなかった。それに、あなたはキーちゃんを助けなくてはならなかった。何も恥ずべきことはない。


    手を差し伸べる佐嶋。立ち上がる千鶴。

    マスターがカクテルを持ってくる。


マス:ジントニックでございます。

佐嶋:ありがとう。さぁ、再会の乾杯をしましょう。

貴代:…先生?


    貴代を見る佐嶋。


貴代:…魚の話。

佐嶋:うん?

貴代:先生がしてくれた魚の話…。地震で途中になっちゃったけど、覚えていますか?

佐嶋:そうだったね。確かに話は途中だった。

貴代:教えてください。魚は…世界中を見て回った後、光の翼でどこに行ったんですか?


    間が空く。


佐嶋:帰ったんだ。…魚は地球の口が待っているあのくぼみに帰ったんだよ。世界を回ったけれど、地球の口よりも大切なものは見つけられなかったんだ。


    顔を伏せる貴代。


貴代:…よかった…。

佐嶋:よかった?

貴代:…うん。よかった。二十年間、ずっと想像していたんです。魚はどこへ行ったんだろうって。…わたしが想像していたのと同じだったんです。魚はくぼみに帰るんだって。


    にこっと笑う佐嶋。


佐嶋:…なるほど。


    (照明)暗転、カットイン。

    佐嶋、貴代、千鶴、去る。


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