終章

 奉日本たかもと家での騒動から数日が経っていた。あの日の吹雪が嘘のように、穏やかな冬晴れが続いている。


──あの晩、燈史郎とうしろう黒霧くろぎりから溢れた百鬼夜行に命を奪われた者はいなかった。総司そうじの指示のもと、多くの退魔師──奉日本家以外の退魔師たちも含め──が連携を取り、完璧な退魔をみせた結果であった。それを奇跡と、呼んではいけないだろう。

 そのひとりひとりに、燈史郎は深く頭を下げていた。退魔師を嫌っていた燈史郎からは、考えられない姿であった。

 屋敷の修繕や退魔の剣の管理に関しては総司が責任を持って行うから気にするなと、たまには遊びに来るようにと燈史郎に伝えていた。気まずそうに頷く燈史郎の表情を、慶心けいしんにも見せてやりたいくらいだった。

──けれどもちろん、何もかもが元通りになった訳ではない。


 人形の器を持つ娘、白夜びゃくやはもう、この世にいない。



 あの後。

 燈史郎は泣いて、泣いて、泣き続けた。


「……シロ、家に帰ろう。白夜も、綺麗にしてやんなきゃ可哀想だろ」


 つが声を掛けるが、動かない白夜の身体を抱きしめながら、ふるふると、燈史郎は首を横に振る。


「シロ」

「嫌だ……」


 一度離れてしまえば、それですべてが終わるとでも思っているのか。燈史郎はさらにきつく白夜を抱き竦め、項垂れた。

 退魔の剣はあの時、白夜が戻る前に通に施した細工を解かせたから、白夜が目覚めるような奇跡は起きない。


「──ぃ」

「もう、放っておいて……白夜と一緒にぼくは死ぬから」

「っお前! ふざけんなよ! 白夜がどんな思いでお前のこと守った、と……?」


 燈史郎のなげやりな発言に目を見開いた遊鷹ゆたかはその胸ぐらを掴み上げ怒鳴ったが──その言葉は半端に途切れ、視線が落ちる。瞬きを繰り返す遊鷹の耳に、その声は届いた。


「──燈史郎、痛いってば!」


 その場にいた、全員が息を飲んだ。最初に我に返ったのは燈史郎で、涙に掠れた声が白夜の名を呼ぶ。


「白夜……?」

「あれ、私まだ生きてる?」


 上体を起こした白夜は、驚いた様子で自身を見下ろしている。


「──っ白夜、白夜、白夜……!」

「燈史郎、ふふ、痛いよ」


 きつく、燈史郎は白夜を抱き上げた。応えるようにその背中に腕を回す白夜の指先は震えている。これが夢ならば、どうか覚めないでと願う。


「満つさん」


 涙ぐむ満つの背中を支えてやりながら、遊鷹は小さく声を上げた。


「……どうした」

「白夜、あれ、人じゃね? 人形じゃなくない……?」

「え?」


 戸惑う遊鷹の言葉に、満つはよくよく白夜を見つめた。

 首にも、指にも、手首にも、人形特有の節がない。なだらかな肌だ。それが、意味することは。


「はは……ッ、脅されでもしたかね?」


 満つの、生涯ただひとりの主は神すら脅迫する自慢の男だったから。


「……? 誰が誰に?」

「ないしょ」


 浮かぶ涙を拭って、満つは笑った。


 人形の器を持つ娘、白夜はもう、この世にいない。

──だって彼女は、人に成ったのだから。


        ***


 夕刻、身支度を済ませた燈史郎と白夜を見送るために、満つと遊鷹は軒先まで出ていた。どうしても、夜に行きたい場所があるらしい。


「じゃあ満つ、ちょっと出掛けてくるね。遊鷹くん、満つのこと頼んだよ」

「おー」

「白夜、無茶はすんなよ。首落ちてももうくっつかないからな?」

「先生怖いこと言わないで!」


 きゃーきゃーとはしゃぐ白夜を満つが追いかけて始まるじゃれあいを横目に、燈史郎は遊鷹の腕を引いた。


「ねぇ、遊鷹くん」

「……何」

「……また、兄ちゃんって呼んでくれる……?」


 一瞬、遊鷹は動きを止めた。まさかそんなお願いをされるとはと、目を丸くする。小さく吹き出して、燈史郎の背中を叩いた。


「ふ、気が向いたらな! ほら、白夜待ってんぞ。早く行ってやれよ──しろー兄ちゃん」

「……! うん!」


 嬉しそうに笑った燈史郎が白夜のもとに駆け寄る足の軽さに、遊鷹は呆れたように瞳を細める。


「いってきまーす!」


 元気よく手を振るふたりを見送ってから、満つは遊鷹に問うた。


「もう戻る?」

「や、今日はこっち泊まる。母さんたちにも言ってあるし」


 関係が改善されて、遊鷹は福籠庵ふくろうあんと満つのところを行ったり来たりして通っている。満つ──白夜や燈史郎もだ──が福籠庵に泊まりに行くこともあって、満つの体調はすこぶる好調だった。


「ずっと」

「うん?」

「……一緒に茶、飲みたかった」

「俺のこと、考えてくれてたの? すげぇうれしい」


 満つの、血色のいい目元を撫でる。

 ふたりは笑い合うと、明かりの灯る家の中へと入っていった。


        ◆◆◆


 燈史郎と白夜が初めて出会った小さなふたりのあの夜も、燈史郎が無理矢理に起こした白夜の魂を入れた人形に口吸いをしたあの夜も──そして、今日も。

 どうやら月は、ふたりを見守ってくれているようだった。

 燈史郎にとって夜闇を照らす灯りは、あの日から白夜であり、慶心であり、満つであり、遊鷹であった。だから、夜が怖いくせして月明かりに特別な感慨はない。


「着いた。ここだね」

「うわぁ、なつかしい……!」


 ふたりが足を向けたのは、初めて出会った桃園だった。どちらからともなく、一度あの場所に行ってみたいという話が出たのだ。


「いい匂いー」

「ね、ちょうど食べ頃だからどれもおいしそうだね」


──特別な感慨はないのだけれど、白夜が満足げに、もいだ桃と満月を見比べる様が可愛いから良しとしようか。


「なんで笑ってるの?」

「別にー」

「変なの。その顔気持ち悪いから外でしない方がいいよ」


 白夜が両手で掲げた桃は、横から見れば月と重なっているのだろう。

「いただきます」と声を揃えて、ひとつの桃に両端から齧りつく。

 満つに見られたら行儀が悪いと顔をしかめられる行為だが、深夜に食べる汁麺とか、そういった背徳感が良さなのだ。


「白夜」

「んー?」

「あとで、今のこの感じ、描いて」

「えー、私も入れて? 自分描くのやなんだけど」

「じゃあ白夜は僕が描くから」

「描けるの?」

「描き方教えて」

「何それ」


 笑った拍子に、白夜の口の端が桃の汁で濡れて、それがあんまりに可愛くてしあわせで、自然と唇を重ねていた。


「……全部食べてからにしてよ」

「桃に足が生えてどっか走っていっちゃえばいいのにね」

「だーめ。私が食べるの」


 くすくすと笑い合いながら軽口を叩き合って、それでも互いに桃を食べる速度がほんの少し早まったのを指摘するのは野暮だろう、なんて。


                   (了)

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水蜜月下桃源鬼(すいみつげっかとうげんき)~人形師と恋慕(こいした)う可惜夜(あたらよ)~ 灯燈虎春(ひとぼしこはる) @hitobosi-thaw

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