奪われ続けた令嬢は虹乙女と呼ばれた

花散ここ

奪われ続けた令嬢は虹乙女と呼ばれた

 わたしはこれから、最果てにある修道院に護送されるらしい。修道院とは名ばかりのそこは、牢獄。収監する事を憚られる程の、ある程度の身分がある婦女子が罪を犯した場合、その修道院にて死ぬまで幽閉されるのだ。

 自由も無く、尊厳さえも踏み躙られる恐ろしい場所。


 わたしはそこに入るのだ。



 どれが始まりだったのか、わたしには分からない。

 母が死んだこと? 父が後妻を迎えたこと? その後妻との間に、娘が生まれたこと?


 それとも、わたしが【虹乙女】だと言われたからだろうか。



 幼い頃に母が死んだ。わたしはまだ三歳で、その時の事は朧げにしか覚えていない。ただ、優しい温もりや、抱き締められた時のいい匂いがいまも心を照らしている。

 母が死んですぐに、わたしには義母が出来た。親切な人だったと思うけれど、再婚してすぐに異母妹のパトリツィアが生まれた。それがどういう事なのか、いまのわたしなら分かるけれど……あの時のわたしは、パトリツィアが生まれたことが嬉しくて、彼女が可愛くて仕方なかったのだ。



 パトリツィアが成長するにつれて、わたしは邪険に扱われるようになった。

 新しいドレスを買ってもらうのも、お出掛けに連れて行って貰うのも、異母妹だけ。義母はわたしへの憎悪を隠さなくなったし、義母に夢中の父がわたしを省みることは無かった。

 わたしへの扱いを非道だと訴える使用人もいた。その人達はみな解雇されて、昔から仕えてくれていた使用人はひとりもいなくなっていた。新しく来た使用人は、わたしの事を無い者として扱う。わたしはいつもひとりだった。

 パトリツィアは「お姉様の為だから」「お姉様には似合わないから」なんて言いながら、わたしの物を奪っていく。装飾品も、絵本も、硝子細工の小物も全て。




 馬車がひどく揺れる。

 最果ての地までの道は悪路だと聞いている。わたしがいま乗っている馬車はひどく簡素で、伯爵令嬢ならば本来は乗らないであろうもの。しかしわたしは……義母と異母妹がいうには【罪人】だから。馬車で護送して貰えるだけ有難いらしい。



 クッションも当てられていない、板張りの背凭れに体を預ける。目を閉じて思い出すのは、初めて妖精達に囲まれた日のこと。


「妖精があんなに人に懐くだなんて……!」

「まさか、あの娘は【虹乙女】なのでは?」

「それは妖精に愛され、天候を操るという伝説の……?」

「そうだ、【虹乙女】が行く所には妖精が付き従い、乙女が悲しめば雨が続き、乙女が笑えば美しい空が広がるという」


 あれはわたしが十三歳の時だった。

 同じ年頃の子ども達と一緒に、初めて王城へ上がった時。第一王子の婚約者を選定するという場だった。

 わたしにも珍しく新しいドレスが与えられ(ひどく地味で流行遅れだったけれど)、パトリツィアが飽きてしまって放り投げたアクセサリーを着けさせられた(それはドレスにも、わたしにも全く似合っていなかった)。

 婚約者に選ばれるわけがないと、父と義母はわたしを売り込む事もせず、まだ十歳の異母妹を第一王子のお側につけようと必死だった。

 わたしだって、自分が選ばれないのは分かっていた。顔立ちだけは母譲りで美しかったとは自分でも思うけれど、愛想もなく可愛くないと毎日言われ続けていたし、その通りだと思う。可愛くて愛されるのは、いつだってパトリツィアだった。


 だからわたしは輪を外れて、美しい庭園で花を見ていた。母が亡くなって、屋敷の庭園は全て潰されてしまったから。

 そうしたら光がわたしに集まってきた。赤、青、黄色、白、紫、緑……様々な光がわたしの周りを楽しそうに飛び回る。それが妖精だと知ったのは、人々のざわめきが耳に届いてのこと。

 その場でわたしは、第一王子の婚約者に決まったのだ。



 第一王子──ヘンドリック様はとても優しい人だった。金色の髪は王冠のように光を映し、濃緑の瞳は穏やかにわたしを見つめてくれる。

 わたしは初めて居場所を見つけたと思った。燃えるような恋ではないけれど、この人となら幸せになれると思っていた。尊敬するヘンドリック様を支えようと、誓ったほどに。


 わたしが第一王子の婚約者に決まった事で、家族もわたしを大事にするようになった。その心に何を隠していようと構わない。わたしはただ、平穏に過ごせるだけで嬉しかったから。贈り物を奪われる事も無く、手紙を破かれる事も無く、穏やかな日々。


 だから、まさかあんな事になるだなんて思ってもいなかった。




「オリヴィア=グライスナー。悪いが君との婚約を解消させて貰う」


 国王陛下主催の舞踏会。

 わたしをエスコートする筈のヘンドリック様は、わたしの異母妹の手を取っていた。


 軽やかなワルツを奏でていた楽団も、その手を止める。ざわめきも消えて、その場の皆がわたし達に注目していた。


 パトリツィアはヘンドリック様の半歩後ろで、わたしだけに見えるように厭らしく笑っている。扇で口元を隠していても伝わるほどに。その後ろにいる父と義母も満足そうだった。


「ヘンドリック様……どういう事か、ご説明願えますか」

「君は【虹乙女】だからという理由で、私の婚約者となった。しかし本当の【虹乙女】は君の異母妹だというではないか」


 パトリツィアが【虹乙女】?


「本当の【虹乙女】である彼女は、君の幸せの為にと身を引こうとしていたらしいが……私はそんなけなげな異母妹パトリツィアを愛してしまった」

「お姉さま、ごめんなさい。私……お姉さまの幸せの邪魔をするつもりは無かったのだけれど……やっぱり、嘘をつくのは良くないわ」


 わたしは自分で【虹乙女】であると名乗りをあげたことは無い。わたしの周りにいる妖精たちを見て、皆が勝手にそう奉り立てただけなのに。

 パトリツィアが手を上げると、そこに光が集まる。ふらふらとした、色とりどりの光。なんだか動きが可笑しいような……。

 しかし周りの人達は、その様子を見て「【虹乙女】だ!」と口々に叫ぶ。


「君が【虹乙女】を詐称したことは、本来ならば死罪となってもおかしくはない。しかし、優しいパトリツィアはそこまでは望まないという。よって、君には最果ての地にて神に仕えてもらう」


 玉座にいる、国王陛下と王妃殿下に目を遣ると満足そうに頷いている。そうか、これはわたし以外のすべての人達が納得したことなのだ。

 わたしには平穏に暮らす事も許されないのか。これからも虐げられ、奪われて過ごさなければならないのか。


 ふらふらとした光がひとつ、わたしの元に近付いてくる。それは紛れも無く妖精だったのだけど、その瞳は虚ろでどこかぼんやりとしている。妖精はわたしの耳に近付いて、消え入りそうな声である事実を囁いた。


「分かりました、ヘンドリック様。わたくしは最果ての地にて、この国の安寧を祈ると致しましょう」


 膝を折って淑女の礼を見せる。

 悔しいだとか、哀しいだとか、そういった感情はとうに消えた。わたしの中に残っているのはただ、怒りだけ。それを顔に出すこともせずにいたわたしは、駆け寄ってきた衛兵達に連行された。異母妹はにっこりと笑って、それを見ていた。




「さて、これからどうしましょうか」

『助けてあげるよ』

「そうね……妖精の里はわたしでも入れるかしら」

『もちろん。虹乙女なら大歓迎だよ』


 揺れる馬車の中で、わたしの周りには様々な色の光が集まっている。

 そう、やはり【虹乙女】はわたしなのだ。あの舞踏会でパトリツィアの側にいた妖精たちは、禁忌の薬を嗅がされていたという。その薬を嗅ぐと思考能力が落ち、薬の持ち主へと集まってしまう。それをあの時近付いてきた妖精から教えられたわたしは、怒りで目の前が赤くなった。

 この国を守る妖精に対する暴挙が許せなかった。だからあの場は一度引いた。これ以上妖精達を傷つけるわけにはいかないから。



 馬の嘶きが響き、衝撃と共に馬車が止まる。

 御者と衛兵の悪態が聞こえる。……暴漢だろうか。あの異母妹と義母のことだから、わたしを亡き者にしようと刺客を送ってきたのかもしれない。


 わたしを守ろうとする妖精たちが、その輝きを増す。正直、その光が眩くて視界が遮られているんだけれど……なんて思っていたら、扉が乱暴に開かれた。


「ご無事かな、オリヴィア嬢」

「……レオンハルト様王太子殿下


 額に玉の汗を浮かばせて、それでもどこか安堵したような笑みでわたしを見つめるのは、第一王子の友人として舞踏会にも招かれていた隣国の王太子だった。



 レオンハルト様の騎乗する馬に、わたしも乗る。

 といってもわたしは乗馬が出来ないし、レオンハルト様の前に座って、その腕に支えられているのだけれど。


「遅くなってすまない。この馬車を特定するのに、少々手間取ってしまってね」

「いえ……。あの、レオンハルト様がどうしてわたくしを……」

「君はもうヘンドリックの婚約者ではないのだろう。それなら私が攫っても構わないかと思って」

「仰っていることがよく……」

「君は私のものだということだよ」


 にっこりと笑う彼の瞳に、わたしを蔑む色は無い。


「しかし、わたくしは【虹乙女】でもなく……既に伯爵令嬢の身分も剥奪されております。王太子殿下に相応しいとは……」

「そんなのはどうでもいい。私が、君を、欲しいと思ったんだ」


 わたしを。

 【虹乙女】でもなく(実際は【虹乙女】だけど)、伯爵令嬢でもなく、大衆の前で婚約を破棄された娘を。


「私はよく、この国に遊びに来ていたからね。婚約者として登城する君をよく見ていた」

「わたくしを……」

「綺麗な子だと思ったのが最初。笑顔だって可愛いのに、いつも何かを遠慮するような哀しそうな瞳をしていたね。……自分が一緒なら、そんな顔をさせないのにと思っていた。だから今回の婚約破棄は、君には申し訳ないけれどチャンスだと思った。君を私のものにする、絶好の機会だと」


 真直ぐな好意に、顔に熱が集う。この人はわたしを見てくれている。

 信じたい気持ちと、裏切られるのが怖い気持ち。それでもわたしを支えてくれる腕の温もりは、わたしが切望していたものだった。


「さて、王城へ行こう」

「……え?」

「君の名誉を回復しないと」

「名誉、でございますか?」

「第一王子に婚約破棄をされた憐れな娘ではなく、王太子に請われた美しい娘だと知らしめてこよう」


 展開の早さについていけない。腕の中からその表情を盗み見ると、幼い少年のような悪戯な笑みを浮かべていた。



 わたしが断罪され、連行されていったのは、舞踏会が始まってすぐの時。

 再度、大広間に足を踏み入れたのは、もう舞踏会が終わりを迎える頃だった。


「レオンハルト、一体どういうつもりかな」


 パトリツィア異母妹とダンスをしていたヘンドリック第一王子様は、わたしを伴って現れた殿下に不愉快そうな視線を向ける。


「ヘンドリック。君を友人だと思って遠慮をしていたんだが、この令嬢は私の正妃として連れて行くよ」

「な……っ! 彼女は【虹乙女】と詐称した罪人だぞ!」

「彼女が自ら【虹乙女】だと公言したわけではない。祀り上げたのはこの国の人間だろう」

「しかし……」

「お姉さま、今度は王太子殿下を惑わすのですか」


 一歩前に踏み出たのはパトリツィアだった。その瞳は涙に濡れて、シャンデリアの灯りで輝いている。


「いけません、これ以上罪を重ねては……」

「パトリツィア嬢、私の正妃となる女性を貶めるのはやめてもらおう」


 レオンハルト様が声が厳しいものになる。低く険しい、棘のある声。びくりと肩を跳ねさせたパトリツィアの瞳から、はらはらと涙が零れ落ちた。


「私はそんな……」


 顔を両手で覆ったパトリツィアの肩を、ヘンドリック様が抱く。

 その瞬間、ふわりふわりと妖精たちが現れた。


「見ろ! 妖精が現れたぞ!」

「【虹乙女】であるパトリツィア様をお慰めしているのではないか」

「やはり【虹乙女】はパトリツィア様だ!」

「【虹乙女】を騙った罪人を死罪にせよ!」


 ざわめきは次第に怒号に変わる。その熱量に思わずわたしがよろめくと、それを支えてくれたのはレオンハルト様だった。心配いらないと、その優しい眼差しが言っている。


『違うよ! 【虹乙女】はオリヴィアだよ!』

『僕達が好きなのはオリヴィアだけ!』

『その女キライ!』

『嫌な薬を使うからキライ!』


 妖精達は怒りを露わに、わたしの周りを飛び回る。それはわたしを守る光の壁のようだった。


「待って、みんな落ち着いて。これじゃ話も出来ないわ」

『むぅ……オリヴィアがそう言うなら……』


 わたしの願いに応えて、妖精たちが飛び回るのをやめる。それでもわたしを守ろうと、わたしの傍でふよふよ浮かんでいる。


「……これは、どういうことだ。オリヴィア、君が【虹乙女】なのか」


 唖然としているヘンドリック様に、わたしは首を傾げて見せる。


「妖精達がわたくしの傍に居てくれる事は間違いございません」

「……っ! 婚約破棄は無効だ! オリヴィアを私の婚約者とする!」

「そんな、ヘンドリック様! 私を愛していると仰ったではありませんか!」


 顔色を悪くしたヘンドリック様が、高らかに婚約破棄の撤回を宣言する。それに被さるような、悲鳴交じりの声はパトリツィアだ。


「お前は自らが【虹乙女】だと、そう言ったではないか! オリヴィアが嘘をついていると、お前も、お前の両親もだ!」


 ちらりと父と義母の顔を窺えば、二人とも蒼白の顔色だ。それは国王陛下と王妃殿下も。


「すでに彼女は私の正妃候補だ。今更婚約破棄を撤回すると言われても困るのだが」

「レオンハルト! 他国の君は黙っていてくれないか。婚約を破棄したのは彼女が【虹乙女】ではないからで、それが間違いであるならば、この婚約は続行だ!」

「君は大衆の前で婚約を破棄すると言ったではないか。そしてそれは、陛下も認めていた。だから私は彼女を貰い受ける事にしたのだが……これは我が国の国王陛下も認めておられる。父上陛下は『レオンハルトの望む者を正妃にするように』と、私に一任しているからね」

「くそ……貴様ぁっ! オリヴィアが【虹乙女】だと知っていたな!」

「ヘンドリック、君との友人の縁もここまでのようだな。私は彼女が本当の【虹乙女】だと知っていたわけではないよ。ただ、彼女に昔から惹かれていただけだ」


 声を荒げるヘンドリック様に対して、淡々と受け応えるレオンハルト様。

 わたしは、わたしの意思を持って、レオンハルト様の腕に手を添えた。応えるようにレオンハルト様はわたしの腰に手を回して引き寄せる。


「わたくしは、レオンハルト様と共に参ります。妖精達もわたくしと一緒に行くでしょう」

「……オリヴィア、違うんだ。私は君を愛している」

「ヘンドリック様が愛してらしたのは、パトリツィアでございましょう」


 わたしは父と義母に向けて、カーテシーをする。いままでお世話になったと、そんな気持ちを篭めて。


「さようなら、お父様、お義母さま」

「待たれよ。【虹乙女】を我が国から出すわけにはいかぬ」


 顔色の悪い国王陛下が玉座から降りて近付いてくる。


『妖精王様、怒ってるよ!』

『オリヴィアを虐げたことも、僕達に薬を盛ったことも!』

『もしオリヴィアを閉じ込めたとしても、妖精王様がレオンハルトのところに連れて行くよ』

『レオンハルトはオリヴィアを守ってくれるから!』

『レオンハルトはオリヴィアのことが大好きだから!』


 大人しくしていた筈の妖精達が、わたしと陛下の間を飛び回る。その内容に思わずレオンハルト様を見上げると、その顔がうっすらと赤くなっていた。


「……他者に言われるのは中々に気恥ずかしいものがあるが。妖精もこう言ってくれているのでね、オリヴィア嬢はわたしが正妃に貰い受ける」


 言葉を切ると同時に、レオンハルト様はわたしの事を抱き上げてしまった。体勢が崩れて慌ててその首に両腕を回すも、その距離感に顔が赤くなる。


「……オリヴィア、私を捨てるのか」


 悲壮なまでの声はヘンドリック様のものだった。

 彼はこれから叱責だけでは済まない、処罰を受けることになるのだろう。そしてそれは異母妹や、父と義母も。


「わたくしを捨てたのは、ヘンドリック様ではありませんか」

「お姉様……母国を捨てて、きっといい気分でしょうね! あなたはいつもそう……何も興味が無い振りをして、いつだって一番素敵なものを奪っていくのよ!」


 パトリツィアが憎悪の浮かんだ瞳でわたしを睨む。でも、何を言っているのだろう。わたしから全てを奪ったのは、パトリツィアなのに。


「わたしから奪っていったのは、あなたでしょう。あなたはいつも『お姉様のためを思って』なんて言いながら、わたしから全てを奪うのよ」

「だって……ずるいじゃない! お姉様ばかりずるいのよ!」


 悲鳴交じりの声は、子どもが駄々を捏ねているようだった。「付き合いきれんな」と吐き捨てたレオンハルト様は、踵を返して大広間を後にする。

 いつの間にか用意されていた、隣国の紋章が刻印された豪奢な馬車に乗せられて、わたしはその日の内に生まれた国を離れたのだった。



 わたしが国を離れてすぐに、妖精達が一斉に国を出たそうだ。まるで虹の橋が架かっているかのように美しい光景だったと、それを見ていたレオンハルト様は笑っていた。

 虹の橋が架かった先は、このレオンハルト様と共に暮らす国。妖精王様はわたしと妖精に対する非道な行いに至極腹を立て、あの国を捨てる決意をしたのだと妖精達が教えてくれた。


 妖精に見限られたわたしの母国は、日照りが続いているらしい。農作物が軒並みだめになってしまって、周辺諸国に援助を求めているけれど、それに応える国は少ないと聞いた。援助をして妖精王の怒りを買うのが恐いのだろう。


 ヘンドリック様は王位継承権を剥奪されたそうだ。一兵卒として辺境の防衛軍に入隊したらしい。苛酷な環境に、ヘンドリック様が耐えられるかは分からない。

 パトリツィアは最果ての修道院に送られた。彼女からしたら、わたしが奪っていたというけれど……わたし達は相容れないのだろう。

 父と義母は身分を剥奪され、平民になったという。贅沢の好きだったあの二人がそれに耐えられる事はないだろうけれど。



「オリヴィア、何を考えている?」

「なにも。ぼんやりしておりました」

「そこは嘘でも、『レオンハルト様のことを考えていた』とか言ってはどうかな」

「あら、わたしがレオンハルト様のことを考えているのは、いつものことですわ」


 くすくす笑うと、レオンハルト様の両腕に囚われる。抱き締められ、その鼓動が聞こえるほどに寄り添うと体温が同化していく感覚がする。


 レオンハルト様はわたしを大事にしてくれる。わたしから奪うのは、視線や呼吸ばかり。

 わたしがレオンハルト様に惹かれていくのに、時間は掛からなかった。


「レオンハルト様」

「ん?」

「お慕いしています」

「参ったな、今日の公務は全てキャンセルしなくてはならないようだ。妻がこんなにも可愛いなら、部屋から出すわけにはいかないな」


 気を利かせた妖精がぱっとその姿を消したけれど、わたしは苦笑するばかり。レオンハルト様の胸に両手を添えて、暖かな拘束から逃れようと試みる。


「いけません。大事なお仕事ですもの」

「ではさっさと片付けてくるとしよう」


 そう言ってわたしの額に口付けるレオンハルト様は、蕩けるような眼差しを送って来る。鼓動が跳ね上がるのを自覚するけれど、きっとわたしも同じような顔をしているのだろう。


 わたしはこの国で、愛しい人と生きていく。何があっても一緒だと、そう信じられる。

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