文例③について ―実は人称を混在させるのは難しい―
文例③は、無秩序に三人称表現と一人称表現を混在させたつもりだった。
しかし、実は無秩序に混在させるのは難しい。
適当に「俺は」と入れたり、「弓弦は」と入れたりを試みたのだが、混在による違和感というよりは、わざとらしさが目立ってしまった。
無意識のうちに人称を混在させることができるのはむしろ才能なのではないかと思う。
そもそも日本語は主語を省略することが多い言語だから、あえて「彼は」とか「弓弦は」とかを入れると、それだけで不自然になったりする。
主語ではなく、視点の向きや動きで表現する言語なのではないか。
あとでふり返って読むと、文例③には次の四つの表現があった。
1)一人称小説の表現
俺はどうにか校門を出た。
俺は重い教材が入ったトートバッグを肩にかけ、駅へと歩いた。
俺は悠々自適の独身生活を始めることとなった。
2)内的独白(モノローグ) 一人称小説でも三人称小説どちらでも使える
若い女性の歌声。隣の住人が歌っているのだろうか。
どんなひとが住んでいるのだろう。
こういう歌が歌えるなんて素敵なひとなんだろうな。
3)三人称一視点(主人公視点)の表現
夏はどうなるのかと弓弦は憂えた。
4)三人称客観視点(視点は観客席にある)の表現
……本棚に収納し終えた
マンション四階の廊下で、弓弦とその人物は向き合った。
このエッセイ?では「人称の混在」を敢えてやってみることをテーマにしているが、実は三人称小説で視点が混在するのも不自然だと気づかされることになった。
三人称小説で一視点(主人公視点)と客観視点(観客視点)が混在すると違和感が生じる。
「……本棚に収納し終えた
「マンション四階の廊下で、弓弦とその人物は向き合った。」も同様で、これを弓弦視点にするなら「マンション四階の廊下で、弓弦はその人物と向き合った。」 とすべきだろう。それでも少し違和感は覚えるが。
三人称小説で一視点(主人公視点:カメラは主人公の「目」)と客観視点(観客視点:カメラは観客席にあり舞台を撮っている)が混じった文にどれだけ違和感を覚えるかやってみたくなったので、次の文例④を書いてみた。(まだ書いてない(笑))
敢えてやってみる人称混在 ―小説技法研究― はくすや @hakusuya
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