蛇香

蓮谷渓介

第1話

 私はアイツを呪い殺すことにした。


 私は部署を異動になった。アイツのせいで。


 私はその部署では人望もあり、忙しい職長は何もしないので自ら率先して皆に助言を与え導く立場にあった。


 なのに私でなくアイツが残った。頼りなく、はっきりしない、ウジウジしたアイツが。


 先日新しく入った子が辞めてしまった。その原因が私にあるというのだ。確かに強く当たった事もあったし泣かした事もあったがそれはあの子の為だった。それにあの子も後日ありがとうと言ってくれた。


 そんな嫌われ役も出来ないアイツがなんで残るのか。あの部署はアイツのせいでダメになる。


 だからアイツを呪い殺すことにした。そしてそのあいた穴を埋めるために私が戻るのだ。


 そんな事を考えていると私の前に一人の男が現れ言った。


 「私があなたの望みを叶えて差し上げましょう。これから毎日このお香を焚いて祈りなさい。そうしてお香が無くなる時、あなたの望みは叶うでしょう」


 蛇のような顔をして、悪魔のように美しいその男は私にお香を手渡した瞬間消えて無くなった。夢のように朧気で長く短い時間だった。


 私は早速お香を炊いてみるとえもいわれぬ香りが立ちこめ時間の感覚が曖昧になっていく。そんな時間を日々続けいつの間にか10年の年月が流れていた。


 その10年間、いつも通り、新人を教育し、無能な社員どもにアドバイスし、定時で帰りお香に祈りを捧げた。


 そうこうしている内についに呪いの成就の時がきた。


 それは呆気ないものだった。


 私の目の前にあったお香の煙が絶えた時、アイツは死んだ。死因は不明。


 そして私の思惑通り元居た部署に戻ることが出来たのだが、どうも様子がおかしい。

 私の居場所がどうにも見当たらないのだ。


 少ない人数で効率的に業務をこなし、新人であろうと直感的に理解できるよう整備された手順やマニュアル。


 私が呪いの儀式に忙しいころ、アイツは作業の省力化に力を注ぎ少ない人数でもこなせる仕組みを構築していたのだ。


 なんとあざとい奴だ。


 しかし、私には昔の実績がある。私のアドバイスは金言のごとく皆に必要とされるに違いない。


 そうこうしている内に後輩達は次々出世して行く。翻って自分はどうかと言うと、何も変わっていない。そう何も変わっていないのだ。


 アイツを呪い殺すと決めた10年前のあの日から。


 ただ時だけは過ぎ、年をとった。


 何も身に付かず、給料も僅かしか上がっていない。


 当たり前だ、アイツを怨むことしかしていなかったのだから。


 無償で貰ったお香から始まった呪いの儀式は、私の10年を代償として完成したのだ。10年の間にあった私の可能性全てをアイツを呪い殺す為だけに使ったのだ。


 「念願成就おめでとう御座います」


 いつの間にかあの男が立っていた。


 「望みが叶ったご気分はいかがですか? 自分の成長という道を捨て、人を殺すことに10年掛けて望みが叶った今、貴方には何が残っていますでしょうか?」


 何が残っている? そりゃあるさ。後輩の育成という、先輩としての責任がある。


 「そうそう、あなたは周囲からの自身の評判をご存じですか? 仕事が出来ないクセに助言をしてきててウザい、とか。みんなと同じ平社員のクセに責任感持ち出してめんどくさい、とか。機嫌損ねるから話合わせるの大変、とか。あとは……」


 もういい! 聞きたくない! 誰だそんなことを言うヤツは……。


 あいつだ、あいつしかいない。前から反抗的な目をしていたあいつだ。


 「ふふ、その調子です」


 ……私はまたお香を焚いている。


 もう何人、死んだことだろう。


 退職し、保護を受け、ただお香を燃やす日々。


 ただ、お香を焚いている間は疲れも空腹も何もかも忘れることができた。


 でもそれだけだ。老婆になった私にはもう何もない。金も、時間も。


 「いやいや、残っていますよ」


 そこにはあの男が立っていた。

 最初に会った時から変わらず、蛇顔の、悪魔のように美しい男。


 「そう言えば自己紹介がまだでしたね。申し遅れました、私の名はレヴィアタン。七つの大罪の内、嫉妬を司る者。俗っぽい呼び方ですと悪魔とも呼ばれておりますが……」


 悪魔、そうか、ほんとの悪魔だったのか、もう驚く気力も残っていない。そんな私に何が残っているというのか。


 「あなたにはまだ嫉妬の炎が残っているじゃあないですか。あなたの命、それは嫉妬の炎そのものです。命ある限り私の僕として、その命を燃やして頂きますよ」



 ああ、なんで私はこういう運命を辿ったのだろう。



 そもそもアイツが私を左遷するような真似をしたからだ……。



 そうだ! アイツだ。アイツのせいだ。

 アイツの死んだあと、その家族はどうしたのか。

 私は孤独に死のうと言うのにアイツは子を成し血を繋ごうと言うのか。


 なんと恨めしい、家族を持って血を繋げるアイツが恨めしい。

 その家族も、その家族も同罪だ!


 「そうそう、その調子です」


すべて死んでしまえ



私は許さない、



私より幸せになっている奴らすべて、



すべて呪ってやる、



私の命ある限り……

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蛇香 蓮谷渓介 @plyfld

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