冥宮劇場ピルグリム Labylintheatre's Pilgrim.【ゲネプロ版】

長月十伍

Generalprobe

 ミミカの黒髪ブルネットが揺れたのは頷きからか、それともごくりと唾を飲んだからか。


「もうそろそろだけど行ける?」


 緊張した面持ちの少女にそう問い掛けた空色髪の女は、首肯とも緊張とも判じれない少女の頭にぽんと手を置き、柔らかく笑んだまま再び前に向き直る。

 摺鉢すりばち状の観客席の最前列に位置する彼女達のすぐ目の前にはざらついた砂地の舞台が円形に広がっており。

 その中央で一人は佇み、そしてもう一人は尻餅を搗いて右手を前に出した。


「こっ、降参だっ!」


 無骨な片手半剣ワンアンドハーフハンデッドソードの切先は尻餅を搗く大柄な男に向いており、その男を厳しく見下ろす青年はその男の体躯も相俟あいまってひどく小柄に見えた。

 だが絵になる青年だった。この一瞬を切り取った絵画はきっと長い時代に渡って展示されただろう。

 やけに目を惹く、白にほど近い銀色の髪は後ろで束ねられている。

 長い睫毛に縁取られた双眸は冷ややかに大柄な男に向けられており、降参の意を受け取ると青年は踵を返し剣を背に負った。

 わあ、と歓声が上がる。ザクザクと砂を踏み付けて退場口へと向かう青年。だがその歩みはふと止まる。

 青年の立つ場所から退場口まではまだ十メートルはある。しかしそこに、年端もいかぬような少女がいつの間にか立っていた。剰え——その手には、青年がそれまで振るっていたのと同じ片手半剣が握られて。


「乱入だっ!」

「うっひょお、盛り上がってきたぁっ!」

「やっぱ闘技場コロッセオはこうじゃなきゃな!」


 観客席の面々が口々に熱狂を叫ぶ中、負けた大柄の男は反対側の退場口からそそくさと出て行った。

 青年は溜息を吐き、背に負った片手半剣を再び構え直した。

 騒めく観客達。その中に混じり、少女を送り出した女は最前列で腕を組み笑んで見守る。


「さ、前哨戦プロモーションだ」


 青年は剣のリカッソ——剣の鍔元から四分の一程度までに渡る刃の無い部分だ——を右肩に載せ、切先を背に隠す。

 彼が修めた剣術において《奴隷の構え》と呼ばれる構えだ。奴隷が綱で以て大きく重い何かを引いているように見えることからそう名が付いているが、青年はその呼称があまり好きでは無かった。

 対する少女は、まるで鏡写しのように片手半剣のリカッソを左肩に載せ、やはり切先は背に隠す。

 青年の眉根が俄かに寄せられ、怒りか疑いかの皺が眉間に刻まれる——少女が見せたその構えが、青年が修めた剣術では《乙女の構え》と呼ばれる構えだったからだ。人攫いが少女を肩に担ぐ姿が名付けの由来であり、やはりその呼称を青年は好ましく思っていなかった。

 だが今はそれは重要では無い。もっと大切なことが、この場にはもう生まれている。


「どうしてお前がその構えを知っている!?」


 号を飛ばす青年。明らかにその声音には怒りが見えた。

 この地に広く伝わる剣術から、青年が修めた剣術は乖離している。切先は常に相手に向けろ、と言うのがこの地の剣の基本であり、背に隠すと言うのははばかられる。その逆を行く青年の剣は、普通ならば知り得ないものだ。

 青年の問いには答えず、しかし少女は切先を背に隠したままで前進を始めた。整えるように二歩進むと、疾駆のように大きく鋭い踏み込みを見せ、背負い投げのように豪快な振り下ろしを繰り出した。


「「!?!?」」


 空色髪の女を除き、観客の誰もが目を疑った。流石はあの青年に対する挑戦者だ、見た目はうら若き少女でも挑戦者足る者だったのかと、驚愕は熱狂へと変じる。

 だが青年は避けなかった。真正面から飛び込んで来るその剣閃に、あろうことか担いだ剣の柄尻を横から叩き込んだのだ。


 青年の《奴隷の構え》も、少女の《乙女の構え》も、そのどちらもが攻撃的な構えであり――肩に担ぎ切先を背に隠すという体勢は一撃の強度を増すが出は遅くなってしまう。

 だから剣に剣を交えて受け止める選択は出来なかった。体躯に見合わず、少女の斬撃は鋭く素早かったのだ。顔に似合わず、確かに命を奪う一撃だった。

 その剣に対してならば間に合わない。自らも担いだ剣を振れば、その前に斬られる。だから青年は柄尻を叩き込んだ。

 そして剣閃の軌道を逸らすと同時に少女の体が流れたことを確認して、打ち抜いた剣をそのまま振るうのだ。両腕の肘から先を互い違いに押し引くてこの原理で剣は鋭く翻る。

 弧を描く切先は少女の頭部目掛けて吸い込まれていく——だから少女はつんのめるままに前方へと飛び込んで難を逃れる。

 その影をしか斬れなかった青年は、一つ舌打ちをすると少女に向かって号を放つ。


「その剣技は我が師から賜った秘伝のもの————答えろ! どうしてお前が、その剣を知っている!?」


 少女は立ち上がっては身を反転させると、答えを返さずに再度青年へと駆ける。今度は剣は、切先はやはり背の方向へと向けて右腰に地面と水平に保持する《かいの構え》だ。

 対する青年は今度は自分が鏡であるかのように《鞘の構え》で対応する。

 肉薄と同時に振り抜かれた少女の薙ぎ払いに、身体の左側面に立てた剣で受け止めながら身体を捩じ込む青年。剣を盾とした体当たりバッシュをぶちかましたと言ってもいい。

 ともに華奢と言える体躯だが、青年の身体は細身だろうと鍛え込まれており、その筋肉量から意外にも重い。

 途端に少女の両足は地面から離れ、ぶわりと宙に浮く。

 その一瞬のうちに、青年は先程の《鞘の構え》では無くその前の《奴隷の構え》へと転じた。立てた剣を持ち上げながらその下を潜るようにして担ぐや否や、右肩を下げて剣を旋回させ、地面を抉るすれすれの軌道で刃を振り上げる。

 切先は大きく立体的な円を描いては吸い込まれる様に、空中で慣性に従うだけの少女の脇腹を目掛けて奔る。

 誰しもの目に、その一撃は致命を齎すのだと映った。

 だがそれは成らなかった。

 あろうことか少女は、身動きなど取れない筈の空中でその剣閃を躱して見せたのだ。


「「っ!?!?」」


 その瞬間、観客席の全員が目を見開いた——やはり、一人を除いて。

 立ち上がって前のめりに凝視する者も多くいた。それ程までに少女の動きはあり得なかったと言えた。

 しかし理屈で考えたなら解らない動きでも無い。


 先ず少女の振り抜いた薙ぎ払いは、青年と少女との上背の差からやや振り上げ気味だった。

 それを弾かれと言うよりは撥ねられてぶわりと浮き上がったのは、少女の体勢がそのやや振り上げ気味の薙ぎ払いのために伸び上がりつつあったことからだろう。そして少女の足が地から離れた直後、青年がぐるりと剣を旋回させて渾身の一撃を見舞うその瞬間。

 少女は浮き上がる自身の胸に両膝を折って引き付けながら、その勢いで上下が反転した身体で、しかし未だ地面を向く剣を力一杯に押したのだ。

 当然そんなことを踏ん張りの効かない空中でしようものなら、押した分だけ身体は更に浮き上がる。剣から手を離して引っ込めてしまえば、青年の刃はもう何も無い空間をしか斬り裂かない。

 今し方の咄嗟の後方宙返りによって難を逃れ着地した少女は、砂地に倒れ込んだ剣の柄に飛び込む様に手を伸ばし、そして実際に飛び込んで振り上げた右足で以って変則的な蹴りを繰り出す。


「ちっ!」


 何とも雑伎じみたアクロバティックな蹴りが顔に飛び込んで来たことで青年は踏み込んだ次の足を出す事が出来ずに後退する。

 その隙に剣を取り上げた少女は今度はしゃがみ込んだ低い体制のまま足首を狙った斬り払いを繰り出し、再びの舌打ちと共に青年がそれを跳んで躱したなら、その回転の勢いのままに更なる剣を繰り出す。


 しかし青年は見抜いていた——足首を狙った薙ぎは柄を握る右手と左手とが逆だったことを。鍔元に左手を、柄尻に右手を当てがっていたのだ。

 通常とは逆の手になることで間合いリーチは変わる。しかもその差は凝視しないと気付けない程の絶妙さで、紙一重の擦り傷を致命傷に変える嫌らしさを孕んでいる。


 そして反転した身体が再びこちらを向く時、少女は《櫂の構え》から薙ぎ払いを放った。

 その直前、右手がリカッソを握っていたことを認めた青年はいつもよりも大きく後退あとずさる準備をした。退いた足に体重は載せずに更に引けるようにと。

 少女の踏み込みは大きく、しかし踏み込みと同時に前に出した蹴り足に軸足を引き寄せ、鍔元を握る左手を引き付けながらリカッソを握る右手で剣を押す。

 中心へと至る求心力による回転で生んだエネルギーを、その最たる瞬間に今度は遠心力へと変える。

 柄を握る左手をほんの少し緩めると剣は手の内を滑走スライド間合いリーチが伸びる。

 リカッソを押していた右手は剣が遠くへと放られるのに合わせて柄の鍔元に戻り、先程踏み込んだ今は軸足となった右足を、蹴り足となった左足が追い越して前に踏み出た。

 紛れも無い渾身の、会心の一撃だった。洗練されたその剣に目を見張って見惚れる程の————だが青年の後退はそれよりも大きく。


「ぁ——っ」


 躱されたことで大きく身体の流れた少女の口から呟きの様な嘆きが漏れ出たのとほぼ同時に、読み通した後退によって紙一重で刃の軌道から逃れた青年は既に《櫂の構え》を成していた。

 右足で大きく踏み込んで避けるために空けた距離を潰しながら、上体を前のめりに屈ませて剣を肩に担ぐことで《奴隷の構え》に転じた直後、剛の剣技が半円を描く。

 けたたましいにも程がある重厚な金属音を轟かせ砂地の舞台に食い込むと、二人の頭上には半ばから断たれた剣が勢いよく舞い上がった。


 青年は、少女の得物を斬ったのだ。


「猿真似の、付け焼き刃——そんな偽物の剣でオレは斬れん。さぁ、いい加減に答えろ。どうしてその剣をお前が知っている? 誰がお前にその剣を仕込んだ?」


 切先を突き付けながら問う青年の表情は形相と言っていい。その圧に押されて少女は尻餅を搗きガチガチと歯を細かく震わせる。

 だが。


「悪いけど、ここまでなんだなぁー」


 突き付けた切先を摘んで外す、空色髪の女がそこにいた。


「っ——!?」


 此度の闘技は驚愕だらけだ。しかし何と劇的ドラマティックなんだと観客は一様に沸いている。

 謎の乱入者。しかもその姿はうら若き少女であり、しかしその姿に見合わぬ剣の技巧を有している。

 そしてその剣はどうやら青年と同じ筋、同じ師によって仕込まれたもので、青年の語りによるとそれはあり得ないとのことらしい。

 その謎を問い質すために剣を交え、その中で少女は実に劇的な動きを見せた。

 だが青年の冷静沈着さが上回り、漸く追い詰めた矢先に————こんな闘技、魅せられない理由が無い。

 だから観客達は誰しもが食い入る様に見入り、この次はどんな展開になるのかと唾を飲んだ。

 だが何事にも終わりはやって来るものだ。

 特に、こうして命を懸けて向き合う場では、思いの外唐突に、それはやって来る。


「……お前、」

「言っておくけど答える気は無いよ? ——ね?」


 にこりと微笑んだ女は摘んだ切先をぴんと弾く。

 それまで微動だにしなかった剣が唐突に横に流れたことで体勢を崩した青年は身体を反転させて向き直ると同時に再びその切先を差し向ける——も、しかし。


「じゃあね、闘技場コロッセオ。今度まみえる時は、もっと楽しい逢瀬にしようぜぃ?」

「待てっ!」


 あの一瞬で、少女と女は砂地の舞台では無く観客席に移動していた。十中八九、空間系のスキルか魔法だろう。

 制止の号を飛ばすも、それに従う敵などいない。そうだからと言って、追おうとしない者もいないように。

 女は右腕で右隣の少女の肩を抱き寄せると、空いた左手を頭上に掲げる。半ば握り込んだ五指は親指と中指とだけが接し、それを力強く擦り合わせてはバヂンと弾く。

 途端に紫電が迸り、淡く輪郭を薄らげた二人はそこから消えてしまった。

 唐突の幕切れに、観客達は騒然となる。

 ただ青年だけが虚空を睨み、一人静かに息を吐く。

 そして背に剣を負い直し、踵を返して勝者用の退場口へと歩を進める。

 その背に、横顔に、観客達は訳も分からずではあるものの、しかし素晴らしいものを見たと賞賛の拍手を惜しみなく贈る。

 ザリザリと砂を噛む靴底の鉄の音は喝采に掻き消され————そして青年が退場口へと消えて行く、その時だった。


 今まさに退場せんと歩む青年の首根っこを引っ捕まえて、退場口から逆走して出て来た空色髪の女が引き摺って駆ける。

 それを追い掛けて、あの少女が舞台の中央を目指す。

 到達と同時に解放された青年はひどく咳き込み、元凶である女は彼の姿には目もくれずにどよめき立つ観客達を見渡した。


「みっなさぁーん! ご観覧、誠にぃ、あ誠にぃっっっ、ありがとうございましたぁーっ!」


 大きく両手を広げてからの、仰々しいまでの大袈裟な礼だった。

 そして女は、自分とは対照的におすおずとしている少女に振り向きながら開いた掌の指先を向ける。


「ミミカ!」


 紹介を受け、少女はぺこりと丁寧なお辞儀を繰り返す。舞台を囲む三百六十度の観客達に律儀に頭を下げて回った。

 そんな中、女は今度は闘技の勝者たる青年をちろりと眺めた。その目配せの合図を受け、青年が溜息を吐いて覚悟を決める。


「シェルヴァーナ!」


 頭を抱えたい衝動に駆られながら、それでも背の片手半剣を抜き上げて掲げた。一つポーズを決めたなら剣を背に戻し、殆どしていない程度レベルのお辞儀を一度だけ見せた。


「そして——シュガーレイ」


 紹介した二人よりも仄かに小さく、しかしよく通る声で自らを呼んだ女は、改めて道化のように大きく仰々しい、しかし丁寧で綺麗なお辞儀カーテシーを見せる。

 今日の空模様のように雲ひとつ無い髪の毛が、吹き抜ける薫風のように揺れ靡いては垂れた。

 呆気に取られていた観客達は、そこで漸く気付く——今し方までそこで繰り広げられていた一連は、全てだったのだと。八百長とは少し違う気もするが、予め段取りを組んでいるのだから結果は変わらない。


「ふざけんなぁ!」

「騙したのかぁ!」


 ともすれば命に届きかねない危険を承知で、互いの力と技巧そして修練の成果を試し合いぶつけ合うこの場所において、三人がやったことは紛う事なき侮辱だ。闘技を生業とする全ての者、ひいてはそれを観戦し応援する全ての者に対する、最大級の嘲りだ。

 だからこそそんな声を上げる者も少なからずいたが、しかし身体を起こしたシュガーレイの眼は確かに捉えていた。

 作り物だとしても、まぁまぁ楽しめたんじゃ無いか、と納得して感嘆する者も確かにいることを。

 だが観客達の反応を眺める余韻に浸り切る前に、三人は闘技場コロッセオに詰める衛士達にとっ捕まり、連れられて情け無く退場する羽目になる。


「剣闘の王として名を馳せたお前が、まさかこのような事をしでかすとはな」


 闘技場コロッセオの管理・運営を担う領主が、整えられた顎鬚を撫でながら嘆息する。

 彼の執務室にて衛士に囲まれた三人の最前に位置していたシェルヴァーナは顔を上げ、真摯な目付きで領主を見上げた。

 しかし嘆きに応じたのは彼では無く。


「主犯はこいつじゃ無くてあたしだよ」

「ほう?」


 シェルヴァーナが溜息を吐く。


「……確かに、経緯を話せば発端は彼女です。ですが、乗ったのはオレです」

「なるほど。詰まるところ、お前はかつての地位を利用して観客達を欺いた、と」

「いやいやいや欺いたは違くない?」


 好き勝手に反論するシュガーレイに、青年は頭痛がする思いだった。


娯楽エンタメでしょーよ。それとも? あたしらのアレ、つまらなかった?」

「むぅ……」


 領主は再び顎鬚を撫でる。

 問われて見れば確かに、あの戦いの一部始終には目を見張るものがあった。闘技もさることながら、そこにはこの先どうなるのだという展開ドラマがあった。だからこそ観客達は魅了され、喝采を贈り、それが事実とは異なる虚構だと、自分達は騙されたのだと知って憤慨した。

 だが苦情の数を言えば大したものでは無い。多くの者が金を払っただけの満足は得たから不問にする、という事実は確かにあったのだ。


「だと言うのなら、最初からそう言うものだと理解させて見せるべきだったな」

「まぁー、だろうね。からはそうするよ」


 にひ、と笑むシュガーレイに、領主は再三顎鬚を撫でて嘆きの息を吐く。


「その今度とやらが、訪れるとでも思っているのか?」

「そこはもう——ね?」


 ぽん、と肩に手を置かれ、今度はシェルヴァーナが嘆息する。


「……領主、ヴァーデミオン・ストリンド。悪いがオレはオレのを行使する。苦情は皇帝に言ってくれ」

「かぁーっ! ここでそれか……お前にそれを言われて拒める者は、それこそ皇帝だけだ」


 バチンと広いひたいを叩き項垂れながら重く息を吐いた領主。続く彼の合図と共に、取り囲んでいた六人の衛士が壁際にまで後退した。注視はしているものの、何かあったとて直ぐには手の出せない距離が空いた。


「では、おいとまする」

「じゃーねーぃ、領主様っ。ミミカ、行くよんっ」


 三人は捉えられていた身にも関わらず、余りにも堂々と退室した。何一つ咎められる事なく、実にあっさりと闘技場コロッセオから抜け出したのだ。


「いやぁー、まずまずの成果だったんじゃ無いかなぁ!」


 表通りの開放感に、シュガーレイが大きく伸びをしながら満面の笑みで告げる。彼女のその表情に、それまで息を飲むばかりだったミミカも明るくなる。だがシェルヴァーナは、本日何度目か判らない溜息と共にシュガーレイに苦言を返す。


「こんなことにオレのを使わせないでくれ」

「いやホントそれな。ってかマジで何でもありじゃんその、どーなってんのさ」


 またも溜息が漏れる。

 そしてシェルヴァーナは、自らの右頬に刻まれた刻印をなぞりながら、遥か彼方にぼやけた視線を投じる。


 剣闘奴隷だった過去。幸いなことに師を得、付き従い、剣を学び技に明け暮れた。

 師もまたそうだった。剣闘奴隷の身から拾われ、その剣を叩き込まれたと。

 そこには連綿たる悲劇の歴史があった。シェルヴァーナの師は、その悲劇を覆すことは出来なかったと語った。それは、彼に至るまで始まりの者から繰り返されて来た反復だった。

 そして剣と共に悲運は受け継がれる。シェルヴァーナは今度は、自らに降り注ぐその運命を打破しなければならない。

 だからこそ剣闘奴隷として舞い戻り、前人未到の千連勝を挙げ、名誉闘士としての地位と“自由”という特権を皇帝より賜った。


 簡単に言えば、シェルヴァーナの権利とは“皇国内においてあらゆる事象・組織・思想に束縛されない自由”である。

 皇帝の名の下に許されたこの自由を覆せるのは皇帝だけであり。

 つまり彼は、法を犯したとしても拿捕されない。無論、そのようなことをしないだろうという信頼が彼にこの特権を齎したのだが————いや。彼にその特権が許された、最大の理由ならば信頼の他にある。

 彼がなぞる右頬の刻印だ。それには魔法の力によるが込められており、悲劇に立ち向かうことを忌避した瞬間に、或いは逃げ出した瞬間に、呪いはシェルヴァーナを苦しめ落命を確定させる。そうで無くとも、刻限によりいつかはそうなる。

 自由は寧ろその呪いの対価とも言えた。何をせずとも時が経てば勝手に死ぬのだ。そんな運命をシェルヴァーナに、皇帝は最大の自由を与えた。

 これは契約でもあり、そして密命でもある。

 師の命を奪ったを、シェルヴァーナは討ち取らなければならない。そのための枷と自由。それをシェルヴァーナは、千の勝鬨に対する報奨として望み、皇帝は副賞として自由を認めたのだ。そこに、シュガーレイは目を付けた。


「……シェルぅ、猶予はあとどんなもーん?」

「四ヶ月と三週間、といったところだ」


 青年の名は、シェルヴァーナ・アデュー。

 もはやこの国において知らぬ者はいない——千の勝鬨を連ねた生きた伝説だ。一日に最大で十二もの勝利に叫びながら剣を掲げたことすらある。

 だが反面、彼の刻印の意味と呪いについてを知る者は殆どいない。彼が次の季節を存分に味わう頃には死ぬ運命にあることを、知る者も殆どいない。


「じゃあうかうかしてらんないなぁ。さっさと次のステップに行きますか」

「次、か。次はどうするつもりだ、シュガーレイ」


 女の名はシュガーレイ。いや、それは偽名で、あくまでこの世界においての呼び名として通している名だ。本名、生まれ落ちた時に両親から授かった大切な名なら他にある。

 異世界からの来訪者ピルグリムである彼女を知る者は、有名なシェルヴァーナに対しごくごく僅かだ。

 大陸の至る所に散在する“冥宮ラビリンス”は時折、彼女のような異邦者ピルグリムを喚び寄せる。そしてこの世界に舞い降りた彼女は自らをシュガーレイと名乗り、この世界で至上の舞台公演を打ち大成することを命題と定め、そしてそのためにシェルヴァーナと契約をした。

 彼のを上演し、シェルヴァーナ・アデューという名が宿す意味を、そしてその剣の凄まじさと美しさと儚さとを、広く民衆に感動と感激を以て伝える。

 それでしかシェルヴァーナ・アデューという生に喜びは訪れないと豪語したシュガーレイに、戸惑いながらもシェルヴァーナは託したのだ。

 何処の馬の骨とも判らない彼女の、しかし現実味を帯びて語る展望。未来に想いを馳せずにはいられない程には、シェルヴァーナは後悔と未練とを抱えていた。


「よぉーっし、先ずは作戦会議と行こうか。お腹も空いたところだしぃーっ」


 シュガーレイの言葉に、傍の少女はにぱりと顔を輝かせてぴこぴこと頷く。

 ミミカ——シュガーレイ以上に素性の知れぬ少女。彼女曰く、喚び寄せられた冥宮の中で宝箱チェストの中に入っていたのだそうだ。

 歳の頃は十五。この国では成人として扱われるが、どう見ても十二、十三を迎えたばかりにしか思えない。

 その少女こそが、つい先程まで自分の剣技をほぼ十割に近い精度で模倣トレースしていた少女だと未だに目を疑うのはシェルヴァーナだ。

 だがそれは紛れも無い事実であり、その少女がいなければ自らがシュガーレイに未来を託すことも、この三人の結託も、先程誰しもを魅了したあのも、生まれはしなかったのだろう。


「ミミカ、何か食べたいものあるー? 無ければいつもの、宿のランチになるけど」

「……お饅頭」

「饅? ああ、昨日屋台で買って食ったあれね。この時間売ってっかなぁー」

「その屋台なら今日のこの時間は東の広場の市にいる。売り切れていなければ食える筈だ」

「おおっ! だってさ。よかったねぃ、ミミカ」


 少女の表情の明度が増した。

 その表情に小さな溜息を鼻から溢しながらも、それを見遣る自分の顔が仄かに綻んでいることにシェルヴァーナは気付かない。

 馴れ合うつもりは無かった筈だった。それでも、心地良ければ人は笑む。


「うーっし、んじゃあ東の市そっちに行きますか! ついでに何か掘り出し物あれば買おー買おー」

「散財するなよ。財政難だろ」

「そこは剣闘の王様がさぁー」

「今日の一件でしばらくは自主出禁だ」

「うぇー……ってことはぁ……、か」


 大陸に散在する冥宮からは有用な遺物が発掘されることも多い。“ロストテクノロジー”や“ドリフテッド”などと呼ばれる、今はもう失われてしまった、或いはそもそも生まれなかった知識や技術、それにより作られた何かは非常に貴重だ。そしてそれらを守るように魔物モンスターされ、冥宮を探索し大いなる遺産を持ち帰ることを生業とする探宮者シーカーを阻む。


「それが妥当だろ」

「んじゃシェルきゅんよろしく」

「何でオレが」

「冥宮にミミカは流石に連れて行けないっしょ。それとも君はアレか? 年端も行かない幼気いたいけな少女に苦難を味わわせて愉悦に浸るゲス的なアレか?」

「……少なくとも、行ってんだろうが。それに、」

「それに?」

「オレの——“シェルヴァーナ・アデュー”の剣を鍛えるのには丁度好い」

「……まぁ、そーなるよねぇー。ミミカ、だってさ」


 ミミカは目をパチクリと瞬かせながら、しかしごくりと唾を飲み込むと両の拳をぐっと握って「ふんすっ」と意気込んだ。少女の無言のやる気に、シュガーレイは頭をくしゃりと撫で付けた。


「んじゃあ、しばらくは次の“舞台”を考えながら冥宮探索ってことで——ああ、あとはイケメン主演俳優様の、クソみたいな棒読み演技をどうするかも考えなきゃだねー」

「だから何度も言ってるだろ、オレはそもそも演技者パフォーマーじゃない」

「でも割とノリノリで言ってた感有るくなーい? ねぇ、ミミカー?」

「(こくこく)」

「……その気になればいつでも契約不履行にしてやるからな」

「うっわ、最っ悪! お前なぁー、そういうとこだぞーぅ?」


 そんな風に睦みながら三人は大通りを東に向けて進む。

 やがて彼らは旗を揚げ、名を上げる。その名の下に仲間は集い、その名は轟く。未来はまだ定まっていないが、これは、そういう物語だ。

 喜劇も悲劇も、惨劇ですらも。

 全ては彼らの演じる“舞台”の上に————。

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