第6話 「執事ヴァルターの怒り」

 その後しばらく、ローゼから「この魔法が凄そうだ」「これは簡単そうだからおすすめ」と講義を受けることになった。

 私としては魔法書に興味があるわけでもなかったので「後は部屋で見るよ」と伝え、自分の部屋に戻ることにした。


 裏庭から建屋へと入ろうとしたところで――。




「――――あ!」

「魔法書が部屋からなくなったと探してみれば、お二人は……。魔法の講義の前に、いろいろと大切なことを教える必要がありますな」


 目の前に長身で白髪の男性が現れた。彼は執事のヴァルターだ。

 「どのように固定されているのか」と問いたくなるような縁のない眼鏡の位置を直しながら、切れ長の目で私のことをしっかりと見つめている。


 どうやら彼は私のことを「容疑者の一人」に数えているようだ。


 私はまず、身の潔白を訴えることにした。


「魔法書を盗み出したのはローゼだよ」


 三歳で魔法書を盗み出し、魔法の練習をする。

 異世界人と疑われかねない行為だ。

 三歳の妹を売るのは大人気ないが、揉め事はやはり避けるべきなのだ。


 念のため、ちらとローゼに視線を送ると、私たちの会話に気付いており、聞き耳を立てていた。

 そして、眉をひそめて随分と不満そうな顔をしている。


(……いや、盗んだのはお前だからな?)


「ふむ……。ただ……その魔法書を持っているのはリーク様ですが……?」

「っ……」


 ヴァルターの注目が、私の右手に向いている。

 ローゼから取り上げたことを忘れていた。

 私はむう、と小さくうなる。

 そして、劣勢に立たされながらも今度は言い訳を開始した。


「これは……ヴァルターへ返すためにローゼから受け取ったんだ。だから……僕が盗んだものじゃないんだ!」


 少し嘘が混じってしまったが、理解できる言い訳のはずだ。


 私は今の発言が嘘だと思われないように、ヴァルターをまっすぐと見つめた。

 しかし次の瞬間、右下からウィンドウが飛びだしてきてそちらに視線を奪われた。



♦交渉術ログ♦


▷あなたは【欺瞞】を発動!

▷ヴァルターはあなたの発言を認めている。

▷あなたは【欺瞞】に失敗した。

▷ヴァルターは怒っている。



「……そう言って、部屋に持ち帰って読もうとしたのでしょう?」


 ヴァルターの目がすっと細くなった。

 もともと切れ長な目だ。ここまで細い目ができる者はなかなかいないだろう。


 そんなことより、【交渉術ログ】へと注意を向ける。

 取得していないはずの【欺瞞】が発動している。


「魔法書を勝手に持ち出すだけでなく、嘘までも……これはルーカス様にご報告せねばなりませんな」


 ヴァルターは私の窃盗と嘘をとがめている。

 いろいろと納得はできないが、ここは素直に謝罪をしていた方が良さそうだ。


「ごめんなさい。ただ……あそこの壁はローゼが汚したから、その掃除は……ね?」


 悪意が込められた人差し指を、黒く焦げたコンクリート壁へと向ける。

 冤罪を掛けられたことに対するせめてもの反抗だ。



♦交渉術ログ♦


▷あなたは【説得】を発動!

▷ヴァルターは考えている。

▷あなたは【説得】に失敗した!

▷ヴァルターは怒っている。



「――リーク様ッ!! あれを一人でやるなど、考えられぬこと! これ以上の嘘はこのヴァルターが許しませんぞッ!!!」


 爆弾が爆発したかのような怒号が、私の頭上で響いた。

 目をカッと見開いて私を見下ろすヴァルターの顔がそこにはあった。額には青筋が浮かんでいる。


(……び、びっくりした。【説得】は発動した……よな……?)


 私は早まる鼓動を抑えながら、右下の【交渉術ログ】を改めて確認する。

 正しく発動しているが、失敗している。

 いや、そもそも【説得】を発動させるつもりはなかった。


 なぜ失敗したのか理由は分からないが、再度頭を下げる必要がありそうだ。それも今すぐに。

 ヴァルターをこれ以上怒らせたままにしておくと、拳骨が飛んできかねない。


「ご、ごめんなさい……」

「火魔法によるいくつもの焦げ跡。三歳のローゼ様が一人でやったことなどありえないことなのです。そもそも三歳で魔法を発動させることも驚くべきことですが……。一緒になって魔法を使用したのでしょう?」


 ヴァルターとはこれまで三年間という短い付き合いであるが、この怒り具合は異常ともいえるほどだ。

 彼はとても穏やかな人物という印象だった。

 これは【交渉術】を使用して、失敗した場合のデメリットに当たることかもしれない。


 ヴァルターは私からの回答を待たずして、あごに手を当てて、周囲の状況の分析を始めた。

 その顔からはだんだんと熱が引いていく。




 しばらくして「勝手に魔法を使ったので怒られる」という雰囲気から「こんなに魔法を使えることは物凄いことだ」という雰囲気に変わる。

 そんな気配の風向きが変わったことを感じ取ったローゼがこちらに走ってきて、堂々と名乗りを上げた。


「――わ、私がやったの! 全部!」

「ローゼ様が……?」

「ええ、凄いでしょうっ!」

「まさか三歳にして、魔法を習得するとは――っ! それにこの量は……!」


 ヴァルターは目を大きく見開くほどに驚いている。

 今日は感情表現が豊かだ。


(それほどまでに凄いことなのか!)


 「魔法書を盗み出して魔法を使ったのは私だ!」とローゼが白状したのだが、それをとがめる様子もない。


「私、才能があるのかも――っ!」

「当主ルーカス様が『火属性の適性』をお持ちでした。ローゼ様はその才能を受け継いでいるかもしれません」


 ヴァルターはローゼの頭を撫でながら彼女の才能を褒めるが、「ただ……」と続ける。


「部屋から勝手に魔法書を持ち出すのはいけませんな。前に注意をしましたでしょう」

「ごめんなさーい! でもでも、魔法! 使ってみたかったの!」


 ローゼは前科持ちだったようだ。

 そうであるならば、最初から彼女の犯行を疑ってほしかったが。

 

 そんな彼女は、私から取り上げた魔法書を手に持ったヴァルターの足にすり寄って、謝罪をしている。


 「しかし……」と眼鏡に人差し指を当ててうなるヴァルター。

 彼の目は魔法書とローゼの間を行き来している。

 魔法書を返してあげても良いかな、と彼が悩むほどの可愛さがローゼにはある。そしてローゼの方に分がありそうだ。


「……少しなら良いでしょう。ただし! 魔法は危険を伴います。私が見ている時だけ使うようにしてください。あと……このことはルーカス様にもご報告いたします」

「ありがと、ヴァルター! 大好き!」


 そう言いながらヴァルターの足に抱き着くローゼ。

 魔法書を返しては貰えなかったが、魔法の使用許可はいただいた。

 彼女の勝利と言っても問題はないだろう。


 二人は仲良く手を繋ぎながら家の中へと入っていった。


「……何だよ」


 取り残された私は、ぽつりとつぶやいた。

 窃盗と虚言に関して叱られた私は一体……。

 お咎めなしだったローゼに不満を抱きながら、私も家の中へと戻ることにした。




 ♢♦♢


 数日が経過した夕食時。

 父ルーカスがローゼの方へ顔を向け、口を開いた。

 その顔には笑みが浮かんでいる。彼はとてもご機嫌だ。


「ヴァルターから聞いたよ。ローゼ、魔法を成功させたそうじゃないか!」


 その言葉を受け、ローゼの顔にぱあと笑顔が広がった。


「火の初級魔法が使えたの!」

「凄いじゃないか! 王国中を探したとしても、その年で魔法を使える子など見つからないだろう」


 この世界における魔法の難度は分からないが、三歳というのは、前世の記憶を持った異世界人くらいでないと無理じゃないだろうか?


「ローゼはあなたが持つ火魔法の適性を受け継いでいるのかしら?」


 母アーリカはローゼの頭を撫でながら、ヴァルターと同じことを言う。


「可能性はあるだろうな。適性がある属性は他の属性よりも相性が良く、各呪文の習得も容易になると言うしな」

「たしか……あなたが魔法を最初に使えるようになったのは、七歳の頃でしたっけ?」

「ああ。あの時は勝手に魔法書を持ち出して、父上にこっぴどく怒られたことをよく覚えているよ」


 父と母は幼いころからの付き合いがあるようだ。

 昔のことを思い出しながら談笑を続けている。


「――パパ! 私、もっと魔法を覚えたい!」


 父がローゼと同じように「魔法書を盗み出して覚えた」と言うものだから、彼女は前のめりになりながら調子に乗る。


「気持ちは分かるが……まだ三歳だ。せめて七歳くらいになるまでは、他の子と同じように別の遊びをしていなさい」

「ちぇー……」


 ローゼは口を尖らせて不満を露わにする。

 しかしすぐに父の厳しい顔に気付いたようで、この場は観念したのか、最後には「はーい」と納得した。




 ♢♦♢


 夕食を終えた。

 私は自室へと向かう途中、執事ヴァルターの部屋に向かっているであろうローゼを目撃した。


 父から魔法の使用を禁止されたばかりだ。

 最後はあっさりと認めていたことを考えると、おそらく……こっそりと、ヴァルターから教えてもらえないか、交渉に行くところなのだろう。


 私も彼女の後に続くことにした。


 我がアルファイド家には使用人が数名いる。

 彼らをまとめる執事長のヴァルターがいる立派な部屋の扉を、ローゼはコンコンと丁寧にノックした。


「リークも何か用があるの?」


 ローゼは無言で後ろに立つ私に気付いたようで、訪問理由を尋ねてきた。

 私は返答しようと口を開きかけたところで扉が開いた。


「何でしょう? ローゼ様、リーク様」

「入っていい?」


 「ええ……」とヴァルターは返事をする。

 私は何も言わずちゃっかりとお邪魔をする。


「さて、どうされましたかな?」

「さっき、パパに『七歳まで魔法を使うな』って言われたの」

「先日、ルーカス様に魔法の件を報告した時もそう仰っていました」

「ねえ、ヴァルター。……こっそり教えてくれない?」


 ローゼは甘い声でお願いをする。


(……随分と自分の強みを理解しているじゃないか)


 ローゼの背後で彼女の交渉を聞いている私は、心の中で称賛をした。


「この前はヴァルターが一緒だったら魔法を使ってもいいって言っていたでしょう?」


 ローゼは続ける。

 ヴァルターにとって痛いところだ。あれは不用意な発言だった。


「それに関しては……申し訳ありません。ルーカス様から強く言われてしまいまして。ローゼ様の成長を考えると、今は他の子と同じように遊んでいるのが一番と」

「じゃあ……そういう遊びもするからたまに教えてよ……っ!」


(――なんて発言だ! 子供らしくもない!)


 これに対し、「むう……」とうなるヴァルター。彼は困っている。

 そこで私は思いついたばかりの「アイデア」を提案してみる。


「魔法の勉強をするのはどうだ?」


 ローゼとヴァルターが、同時に私の方を向いた。

 二人は「私がいたことを忘れていた」という顔をしている。失礼なやつらだ。


 魔法を使うのは禁止。

 であれば、お勉強だけなら良いはずだと考えての発言だ。


「……ふむ、座学ですか。座学とは魔法書を読んで魔法の勉強をすること。そのくらいであれば許可を頂けるかもしれません」


 ヴァルターは「ただ……学んだことをこっそりと実践するのはダメですぞ」と付け加える。


「そんなことはしないわ! 約束は守るもの!」


 ローゼは腰に手を当て、胸を大きく張りながら答えた。

 顔から少し汗が出ているように見えるが、見なかったことにしておこう。


「……良いでしょう。リーク様もご一緒に?」


 ローゼの無理なお願いを避けたところで、会話の議題が「私は参加するのかどうか」についてへと変わる。

 別に魔法を振るって前線で戦うことなどに興味はないが、学んでおくこと自体は歓迎だ。


「ああ」

「では週に一回、魔法についての講義をすることにいたしましょう」

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異世界交渉術~会話スキルを駆使して生き延びる~ @hirose-riku1216

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